15.告白されるかと思ったら、学園が大変なことに!?
曲が終わり、私たちは足を止めた。
ジークハルトさまと向かい合って礼を交わす。
つい先ほどまで彼の手に触れていたのに、離れた途端、もう少し踊っていたかったと思ってしまう。
「エリス嬢、少し外の空気を吸いませんか?」
顔を上げると、ジークハルトさまがテラスのほうを示していた。
「ええ。ぜひ」
こんなに嬉しいお誘いが、今夜は二度もあるなんて。
私たちは並んで広間を抜け、テラスへ向かう。
ジークハルトさまは私の歩調に合わせてくださり、扉のところでは先に立って開けてくれた。
テラスには誰もいなかった。
夜風が火照った頬に心地よく、背後の扉が閉まると、楽団の音色も遠くなる。
「寒くないか、エリス嬢?」
ジークハルトさまの口調が、人前での丁寧なものから、いつものくだけたものに変わった。
「大丈夫ですわ。踊ったばかりですもの」
「それならよかった」
欄干の向こうには、庭園の小道を照らす明かりが点々と続いている。
昼間とは違う景色を眺めながら、私は隣に立つ彼を見上げた。
「先ほどは、ダンスに誘ってくださってありがとうございました。本当に嬉しかったです」
「俺も楽しかったよ。実は、舞踏会の前から君を誘いたいと思っていたんだ」
「……そうだったのですか?」
「ああ。でも、公爵令嬢の君を俺が誘っていいものか、迷ってしまってね」
あの日、私たちは舞踏会の話をした。
私が余計な予防線を張ってしまった、あの会話だ。
「私も、ジークハルトさまと踊りたいと思っていたのです。でも、あなたのご迷惑になるかもしれないと思って……」
「迷惑だなんて、とんでもない。むしろ、誘ってもらえたら喜んでいたよ」
「まあ……」
あのとき、あと少し勇気を出していたら。
そう考えると惜しくもあるけれど、今はもう、後悔ばかりしていられない。
彼と踊ることができたのだから。
「それなら、私たちはお互いに遠慮していたのですね」
「そういうことになるな。次からは、もう少し素直になろうと思う」
ジークハルトさまが笑う。
その「次」があるのだと思うだけで、私は頬が緩むのを止められなかった。
……素直に、か。
それなら、私も少しだけ勇気を出してみようかしら。
実は、ずっと気になっていることがあるのだ。
「あの、ジークハルトさま。一つ、お尋ねしてもよろしいですか?」
「もちろん。何だい?」
「以前、私が術に操られてしまったときのことなのですが……」
そこまで言って、急に恥ずかしくなってきた。
けれど、ここで引き下がったら、きっといつまでも聞けないままだわ。
「あのとき、私に……口づけをなさいましたか?」
ジークハルトさまが目を見開いた。
「……覚えていたのか?」
「いえ、その……はっきりとは。ただ、唇に触れた感触が残っていて……」
言葉にした途端、顔が熱くなる。
ジークハルトさまも少し頬を赤らめ、困ったように視線を逸らした。
「ああ。確かに、口づけをした」
「そ、そうでしたのね……」
「君を術から引き戻すためとはいえ、勝手なことをしてしまった。すまない」
「いいえ! おかげで助かったのですもの。謝っていただくようなことではありませんわ」
それは本心だった。
けれど、あの口づけが私を助けるためのものだったと改めて聞くと、ほんの少しだけ胸が痛む。
「……エリス嬢」
「はい?」
「ただ、あのときは俺も必死だったんだ。君を失いたくなかった」
ジークハルトさまが、まっすぐに私を見つめる。
「後から考えれば、命に関わるような術ではないとわかっていたはずなのに……あのときは、どうしても冷静でいられなかった」
「ジークハルトさま……」
そんなふうに思ってくださっていたなんて。
胸が大きく跳ねた。
「……ありがとうございます」
どう答えればよいのかわからず、ようやくそれだけを口にする。
助けるための口づけ。
それはわかっているのに、彼の言葉を聞いた今、ますます意識してしまいそうだわ。
口づけが本当だったと知って、嬉しいと思ってしまう自分がいる。
あのときの感触を思い出すだけでも胸が高鳴るのに、今はすぐ隣にジークハルトさまがいらっしゃる。
これからも、こんなふうにお話ししたり、一緒に踊ったりできたらいいのに。
そう願ったところで、ふと気づいた。
「次」はいつまであるのだろう。
ジークハルトさまが人間界にいられるのは、成人の儀が終わるまでの一年間。
舞踏会の楽しさに忘れかけていた期限が、急に現実味を帯びてくる。
「……ジークハルトさまは、一年が過ぎたら、魔界へお帰りになるのですよね」
「ああ。成人の儀が終われば、帰ることになる」
「そうですわよね。ご家族も待っていらっしゃるでしょうし」
当然のことを尋ねてしまった。
彼には帰る場所があり、私にはそれを引き止める理由などない。
「人間界に来たばかりの頃は、一年あれば十分だと思っていたよ。学園で勉強して、図書館の本を読んで、静かに過ごせればそれでよかった」
「今は、違うのですか?」
「……違うな」
ジークハルトさまは庭園から私へと視線を移した。
「今は、一年が短すぎると思っている」
その言葉を、私に向けられたものだと思ってもいいのかしら。
期待してはいけないと自分に言い聞かせても、彼がこちらを見つめていると、どうしても胸が高鳴る。
「私も……ジークハルトさまがお帰りになるのは、寂しいです」
言ってしまってから、急に恥ずかしくなった。
そんなことを告げられても、彼を困らせるだけかもしれない。
けれど、ジークハルトさまは目を逸らさなかった。
「俺も、君と離れるのは寂しいよ」
夜風がドレスの裾を揺らす。
広間からは新しい曲が聞こえてきたけれど、私はもう、そちらへ戻りたいとは思わなかった。
「エリス嬢。俺は、君に話しておきたいことがある」
「……はい」
「最初は、誰とも深く関わるつもりはなかった。でも君と出会って、そうも言っていられなくなったんだ」
彼は少しだけ距離を詰めた。
私も逃げずに、その金色の瞳を見つめ返す。
「君といると楽しい。離れていても、何をしているのか気になる。今日だって、君と踊りたくて──」
ジークハルトさまの言葉が途切れる。
何かが、足元の深いところで脈打った。
「……っ!」
欄干に手をつくより早く、ジークハルトさまが私の腕を支える。
石造りの床がかすかに震え、庭園の魔術灯が一斉に明滅した。
「今のは……?」
次の瞬間、地面の下から魔力が押し寄せてきた。
強い。
けれど、ただ魔力量が多いというだけではない。
肌の上を何かが這うような、ひどく不快な感覚がある。
私は反射的に防御魔術を展開した。
薄い光が私たちを包むと、圧迫感がわずかに和らぐ。
「エリス嬢、大丈夫か?」
「はい。ジークハルトさまは?」
「俺は平気だ。それより、この魔力……」
彼はテラスの床へ視線を落とし、言葉を切った。
「何かおわかりになるのですか?」
「……以前、似たものを感じたことがある。ただ、まだ確かなことは言えない」
以前というのは、栞に仕込まれた術のことだろうか。
あの事件では、生徒たちから奪われた魔力がどこへ運ばれたのか、結局わからないままだ。
広間の音楽が止まった。
扉の向こうから、何人もの声が重なって聞こえてくる。
誰かが悲鳴を上げ、続いて教師らしい声が生徒たちに落ち着くよう呼びかけた。
「中へ戻りましょう」
「ああ。まず状況を確かめよう」
ジークハルトさまとともに扉を開ける。
広間では踊りが中断され、生徒たちが不安そうに周囲を見回していた。
教師たちが出口へ誘導を始めている。
「皆さん、慌てずに移動してください! 走らないように!」
先ほどまで笑い声に満ちていた会場が、すっかり様変わりしていた。
ジークハルトさまは人々の様子を見渡し、私に向き直る。
「エリス嬢、こちらへ。先生方の指示に従いましょう」
「はい」
私たちが出口へ向かいかけた、そのとき。
最初のものとは比べものにならない魔力の波が、足元から突き上げてきた。
床が大きく揺れ、誰かの叫び声が響く。
私は防御魔術を強めながら、ジークハルトさまの手を握った。
この魔力は、いったいどこから──。
そう考えたところで、学園の地下から、さらに重い振動が伝わってきた。




