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ボブ、サム、トム……そんな世界でジークハルトなんて名前、絶対に重要人物でしょう?~悪役令嬢は運命の人を見逃さない~  作者: 葵 すみれ


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15/18

15.告白されるかと思ったら、学園が大変なことに!?

 曲が終わり、私たちは足を止めた。

 ジークハルトさまと向かい合って礼を交わす。

 つい先ほどまで彼の手に触れていたのに、離れた途端、もう少し踊っていたかったと思ってしまう。


「エリス嬢、少し外の空気を吸いませんか?」


 顔を上げると、ジークハルトさまがテラスのほうを示していた。


「ええ。ぜひ」


 こんなに嬉しいお誘いが、今夜は二度もあるなんて。

 私たちは並んで広間を抜け、テラスへ向かう。

 ジークハルトさまは私の歩調に合わせてくださり、扉のところでは先に立って開けてくれた。


 テラスには誰もいなかった。

 夜風が火照った頬に心地よく、背後の扉が閉まると、楽団の音色も遠くなる。


「寒くないか、エリス嬢?」


 ジークハルトさまの口調が、人前での丁寧なものから、いつものくだけたものに変わった。


「大丈夫ですわ。踊ったばかりですもの」


「それならよかった」


 欄干の向こうには、庭園の小道を照らす明かりが点々と続いている。

 昼間とは違う景色を眺めながら、私は隣に立つ彼を見上げた。


「先ほどは、ダンスに誘ってくださってありがとうございました。本当に嬉しかったです」


「俺も楽しかったよ。実は、舞踏会の前から君を誘いたいと思っていたんだ」


「……そうだったのですか?」


「ああ。でも、公爵令嬢の君を俺が誘っていいものか、迷ってしまってね」


 あの日、私たちは舞踏会の話をした。

 私が余計な予防線を張ってしまった、あの会話だ。


「私も、ジークハルトさまと踊りたいと思っていたのです。でも、あなたのご迷惑になるかもしれないと思って……」


「迷惑だなんて、とんでもない。むしろ、誘ってもらえたら喜んでいたよ」


「まあ……」


 あのとき、あと少し勇気を出していたら。

 そう考えると惜しくもあるけれど、今はもう、後悔ばかりしていられない。

 彼と踊ることができたのだから。


「それなら、私たちはお互いに遠慮していたのですね」


「そういうことになるな。次からは、もう少し素直になろうと思う」


 ジークハルトさまが笑う。

 その「次」があるのだと思うだけで、私は頬が緩むのを止められなかった。


 ……素直に、か。

 それなら、私も少しだけ勇気を出してみようかしら。

 実は、ずっと気になっていることがあるのだ。


「あの、ジークハルトさま。一つ、お尋ねしてもよろしいですか?」


「もちろん。何だい?」


「以前、私が術に操られてしまったときのことなのですが……」


 そこまで言って、急に恥ずかしくなってきた。

 けれど、ここで引き下がったら、きっといつまでも聞けないままだわ。


「あのとき、私に……口づけをなさいましたか?」


 ジークハルトさまが目を見開いた。


「……覚えていたのか?」


「いえ、その……はっきりとは。ただ、唇に触れた感触が残っていて……」


 言葉にした途端、顔が熱くなる。

 ジークハルトさまも少し頬を赤らめ、困ったように視線を逸らした。


「ああ。確かに、口づけをした」


「そ、そうでしたのね……」


「君を術から引き戻すためとはいえ、勝手なことをしてしまった。すまない」


「いいえ! おかげで助かったのですもの。謝っていただくようなことではありませんわ」


 それは本心だった。

 けれど、あの口づけが私を助けるためのものだったと改めて聞くと、ほんの少しだけ胸が痛む。


「……エリス嬢」


「はい?」


「ただ、あのときは俺も必死だったんだ。君を失いたくなかった」


 ジークハルトさまが、まっすぐに私を見つめる。


「後から考えれば、命に関わるような術ではないとわかっていたはずなのに……あのときは、どうしても冷静でいられなかった」


「ジークハルトさま……」


 そんなふうに思ってくださっていたなんて。

 胸が大きく跳ねた。


「……ありがとうございます」


 どう答えればよいのかわからず、ようやくそれだけを口にする。


 助けるための口づけ。

 それはわかっているのに、彼の言葉を聞いた今、ますます意識してしまいそうだわ。


 口づけが本当だったと知って、嬉しいと思ってしまう自分がいる。

 あのときの感触を思い出すだけでも胸が高鳴るのに、今はすぐ隣にジークハルトさまがいらっしゃる。


 これからも、こんなふうにお話ししたり、一緒に踊ったりできたらいいのに。

 そう願ったところで、ふと気づいた。


 「次」はいつまであるのだろう。

 ジークハルトさまが人間界にいられるのは、成人の儀が終わるまでの一年間。

 舞踏会の楽しさに忘れかけていた期限が、急に現実味を帯びてくる。


「……ジークハルトさまは、一年が過ぎたら、魔界へお帰りになるのですよね」


「ああ。成人の儀が終われば、帰ることになる」


「そうですわよね。ご家族も待っていらっしゃるでしょうし」


 当然のことを尋ねてしまった。

 彼には帰る場所があり、私にはそれを引き止める理由などない。


「人間界に来たばかりの頃は、一年あれば十分だと思っていたよ。学園で勉強して、図書館の本を読んで、静かに過ごせればそれでよかった」


「今は、違うのですか?」


「……違うな」


 ジークハルトさまは庭園から私へと視線を移した。


「今は、一年が短すぎると思っている」


 その言葉を、私に向けられたものだと思ってもいいのかしら。

 期待してはいけないと自分に言い聞かせても、彼がこちらを見つめていると、どうしても胸が高鳴る。


「私も……ジークハルトさまがお帰りになるのは、寂しいです」


 言ってしまってから、急に恥ずかしくなった。

 そんなことを告げられても、彼を困らせるだけかもしれない。

 けれど、ジークハルトさまは目を逸らさなかった。


「俺も、君と離れるのは寂しいよ」


 夜風がドレスの裾を揺らす。

 広間からは新しい曲が聞こえてきたけれど、私はもう、そちらへ戻りたいとは思わなかった。


「エリス嬢。俺は、君に話しておきたいことがある」


「……はい」


「最初は、誰とも深く関わるつもりはなかった。でも君と出会って、そうも言っていられなくなったんだ」


 彼は少しだけ距離を詰めた。

 私も逃げずに、その金色の瞳を見つめ返す。


「君といると楽しい。離れていても、何をしているのか気になる。今日だって、君と踊りたくて──」


 ジークハルトさまの言葉が途切れる。

 何かが、足元の深いところで脈打った。


「……っ!」


 欄干に手をつくより早く、ジークハルトさまが私の腕を支える。

 石造りの床がかすかに震え、庭園の魔術灯が一斉に明滅した。


「今のは……?」


 次の瞬間、地面の下から魔力が押し寄せてきた。

 強い。

 けれど、ただ魔力量が多いというだけではない。

 肌の上を何かが這うような、ひどく不快な感覚がある。


 私は反射的に防御魔術を展開した。

 薄い光が私たちを包むと、圧迫感がわずかに和らぐ。


「エリス嬢、大丈夫か?」


「はい。ジークハルトさまは?」


「俺は平気だ。それより、この魔力……」


 彼はテラスの床へ視線を落とし、言葉を切った。


「何かおわかりになるのですか?」


「……以前、似たものを感じたことがある。ただ、まだ確かなことは言えない」


 以前というのは、栞に仕込まれた術のことだろうか。

 あの事件では、生徒たちから奪われた魔力がどこへ運ばれたのか、結局わからないままだ。


 広間の音楽が止まった。

 扉の向こうから、何人もの声が重なって聞こえてくる。

 誰かが悲鳴を上げ、続いて教師らしい声が生徒たちに落ち着くよう呼びかけた。


「中へ戻りましょう」


「ああ。まず状況を確かめよう」


 ジークハルトさまとともに扉を開ける。

 広間では踊りが中断され、生徒たちが不安そうに周囲を見回していた。

 教師たちが出口へ誘導を始めている。


「皆さん、慌てずに移動してください! 走らないように!」


 先ほどまで笑い声に満ちていた会場が、すっかり様変わりしていた。

 ジークハルトさまは人々の様子を見渡し、私に向き直る。


「エリス嬢、こちらへ。先生方の指示に従いましょう」


「はい」


 私たちが出口へ向かいかけた、そのとき。

 最初のものとは比べものにならない魔力の波が、足元から突き上げてきた。


 床が大きく揺れ、誰かの叫び声が響く。

 私は防御魔術を強めながら、ジークハルトさまの手を握った。


 この魔力は、いったいどこから──。

 そう考えたところで、学園の地下から、さらに重い振動が伝わってきた。

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