13.舞踏会で踊りたい方は、もう決まっているのですが
学園の空気が、すっかり華やいでいる。
近づいているのは、学園主催の舞踏会だ。
休み時間になれば、あちらでもこちらでも衣装やパートナーの話が聞こえてくる。
「今年は誰と参加するの?」
「まだ決めていないの。誘っていただけるかしら」
廊下ですれ違った女子生徒たちの声も、どこか弾んでいた。
つい先日まで、夜になると生徒が呼び出される事件で騒がしかったのに、今では皆、舞踏会のことで頭がいっぱいらしい。
事件はまだ完全に解決していない。
栞に仕込まれた術は見つかったものの、犯人も、奪われた魔力の行方もわからないままだ。
それでも、問題の栞が回収されてからは新たな被害の話も聞かなくなり、学園ではもう過去の出来事のように扱われている。
……いつまでも不安に暮らすより、楽しいことを考えたほうがよいのかもしれないけれど。
私だって、舞踏会が楽しみではないわけではない。
ただし、気になるのはドレスでも宝飾品でもなく、誰と踊るかということだ。
真っ先に思い浮かぶのは、黒い髪と金色の瞳を持つ、あの方。
ジークハルトさまと踊れたら、どんなに素敵だろう。
……なんて考えてしまうあたり、我ながら重症かもしれない。
あの夜のことだって、まだ確かめられていないというのに。
けれど、私から正式なパートナーにお誘いするわけにはいかないだろう。
私は公爵令嬢で、ジークハルトさまは表向き下級貴族のご子息。
二人で連れ立って会場に現れれば、きっと注目を集めてしまう。
彼は静かに学園生活を送りたいと望んでいる。
私の勝手な願いで、その平穏を乱したくはなかった。
だから、今年は一人で参加するつもりだ。
もちろん、パートナーがいなくても、会場で一曲踊ることはできる。
もしも、ジークハルトさまから誘っていただけたなら。
そこまで想像して、頬が熱くなった。
……期待しすぎないようにしなくては。
「エリス、少しいいかな?」
授業の合間に声をかけてきたのは、ボブ殿下だった。
「はい。何でしょうか、ボブ殿下」
「もうすぐ舞踏会だろう? もし相手が決まっていなければ、僕と一緒に参加してくれないかな」
思いがけないお誘いに、私は一瞬返事に詰まった。
ボブ殿下は第二王子で、生徒会長でもある。
お人柄も申し分なく、舞踏会の相手として不足などあるはずがない。
けれど、だからこそ簡単にお受けするわけにはいかなかった。
「お誘いいただき、光栄です。ただ、殿下と私が連れ立って参加すれば、周囲に余計な憶測を招いてしまうのではないでしょうか」
「憶測?」
「婚約のお話などが出ているのではないかと、思われてしまうかもしれません」
王族と公爵家の令嬢が舞踏会に揃って現れれば、そう受け取る人がいてもおかしくない。
たとえ私たちにそのつもりがなくても、噂は勝手に広がってしまう。
ボブ殿下は少し考え、それから困ったような笑みを浮かべる。
「そうか。僕は君と参加できたら嬉しいと思ったんだけど、確かにそういう見方もあるね」
「申し訳ありません。今回は一人で参加しようと思っております」
「……一人で?」
ボブ殿下は念を押すように尋ねた。
「はい」
「そうか。ほかの誰かと参加するわけではないんだね」
「ええ、そのつもりです」
殿下はほっとしたように微笑んだものの、すぐに残念そうな表情を浮かべる。
「それなら、なおさら僕が隣にいられたらよかったのに。……いや、君の言うことはもっともだ。無理を言ってはいけないね」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「当日は会場で会えるだろう? せめて一曲、踊ってもらえたら嬉しいな」
「はい。そのときはぜひ」
私が答えると、殿下はようやくいつもの明るい笑顔を見せてくださった。
丁寧にお断りできて、ほっとする。
ただ、これで舞踏会に一人で参加することは、いよいよ決定したようなものだ。
「エリス嬢も、舞踏会には参加するのか?」
その日の放課後、ジークハルトさまと話していると、思いがけず彼のほうから舞踏会の話題が出た。
「はい。ジークハルトさまも参加なさるのですか?」
「ああ。学園の行事だからな。せっかくだし、見ておこうと思っている」
嬉しい。
少なくとも、会場でお会いすることはできそうだ。
「エリス嬢は、誰かと一緒に?」
胸が小さく跳ねる。
もしかして、と思ってしまう。
けれど、彼はただ参加の予定を尋ねているだけかもしれない。
「いいえ。一人で参加するつもりですの。公爵家の娘という立場上、どなたかとご一緒すると、あらぬ憶測を招くこともありますから」
「……そうか」
ジークハルトさまは、何か考えるように少し黙った。
私は思わず、その横顔を見つめてしまう。
……しまった。
ボブ殿下からお誘いを受けたことが頭にあって、つい余計なことまで言ってしまった。
これでは、最初から誰のお誘いも断っているようなものではないか。
もちろん、ジークハルトさまと一緒に参加すれば、目立ってしまうだろう。
だから、私からお誘いするつもりはなかった。
けれど、もしジークハルトさまが、それでも私と一緒に参加したいと思ってくださっていたのなら……。
そう考えると、今の言葉で誘いにくくしてしまった気がして、残念だった。
でも、今さら言い直すのもおかしい。
せめて、会場で一曲だけでもジークハルトさまと踊れたら。
そう願っているのに、それさえ口にする勇気がない。
「舞踏会は初めてですか?」
結局、口にできたのは無難な質問だけ。
「人間界の学園の舞踏会は初めてだ。魔界とは作法が違うところもあるだろうし、少し楽しみにしているよ」
「そうなのですね。きっと賑やかで楽しい夜になりますわ」
「ああ。そうだといいな」
ジークハルトさまが微笑む。
舞踏会では、あの笑顔をもっと近くで見られたらいいのに。
結局、私たちは舞踏会について、それ以上話さなかった。
別れたあとになって、せめて一曲ご一緒したいと伝えればよかったと後悔する。
けれど、もし断られたら?
そう考えると、次に会ったときこそ誘おうと決心することもできなかった。
翌日、廊下でメイに声をかけられた。
「エリスさま、ごきげんよう。少しお話ししてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんよ。どうしたの?」
以前なら、断りもなく私の隣に並んでいたメイだけれど、最近はこうして一言断ってから話しかけてくる。
「もうすぐ舞踏会ですわね。エリスさまは、どなたとご一緒なさるのでしょうか?」
「今年は一人で参加するつもりよ」
「まあ、そうなのですね」
メイは少し驚いた様子だったけれど、すぐに微笑んだ。
「エリスさまほどの方でしたら、お誘いも多いでしょうに」
「そうでもないわ。それに、一人のほうが気楽なこともあるでしょう?」
「それはそうかもしれませんけれど……」
メイは何か言いたそうにしたあと、ふと思い出したように尋ねてきた。
「そういえば、最近よくご一緒にいらっしゃるジークハルトさまは、舞踏会に参加なさるのでしょうか?」
「ええ。参加するとおっしゃっていたわ」
「……そうですか」
ほんの一瞬、メイの表情が曇った。
「エリスさまは、あの方とずいぶん親しくなさっているのですね」
「そうね。ジークハルトさまには何度も助けていただいているし、とても信頼しているわ」
「……そうですか」
メイは少し考え込むような顔をした。
「でも、エリスさまは公爵家のご令嬢ですもの。あまり特定の殿方と親しくなさると、周囲がいろいろと噂するのではありませんか?」
「それは……そうかもしれないけれど」
「まして、ジークハルトさまは、それほど家格の高いお家の方ではないのでしょう?」
「家柄とお人柄は関係ないわ。ジークハルトさまは、とても立派な方よ」
「ええ。もちろん、それはわかっております。ただ、エリスさまのお立場を考えると……」
メイはそこで言葉を濁した。
私のことを心配してくれているのだろうけれど、ジークハルトさまを家柄だけで判断してほしくはない。
「心配してくれるのは嬉しいけれど、私がどなたと親しくするかは、自分で決めたいわ」
「……はい。差し出がましいことを申し上げました」
メイは素直に頭を下げた。
けれど、しばらくしてから、ふと思い出したように尋ねてくる。
「そういえば、ジークハルトさまは舞踏会にどなたかをお誘いになっているのでしょうか?」
「さあ……そこまでは聞いていないわ」
「そうですか」
メイは何かを考えるように、しばらく黙っていた。
「それなら、舞踏会でお話しする機会があるかもしれませんわね」
「ジークハルトさまと?」
「ええ。私も、あの方とは一度ゆっくりお話ししてみたいと思っておりましたの」
メイはにっこりと微笑んだ。
つい先ほどまで、私がジークハルトさまと親しくすることを心配していたのに。
……メイは、ジークハルトさまに何をお話しするつもりなのかしら。




