11.学園の地下に、魔界の秘宝が眠っているかもしれません
昨夜の出来事を思い返すたび、私は決まって同じところで考え込んでしまう。
ジークハルトさまの顔が近づいて、唇に柔らかなものが触れた──ような気がする。
……あれは、本当に起きたことだったのかしら。
魔術で判断力を奪われ、目の前に幻影まで見ていたのだ。
記憶が曖昧なのも無理はない。
けれど、あの感触だけは妙に鮮明で、思い出すたびに胸が落ち着かなくなる。
そんな状態でジークハルトさまと顔を合わせるのだから、意識しないのは無理というものだ。
「エリス嬢。昨日はよく眠れたか?」
「は、はい。おかげさまで」
学園で会った彼は、いつもどおりの制服姿だった。
昨夜は私服だったこともあって、今こうして向かい合っていると、あの夜だけが現実から切り離された出来事のように感じられる。
「魔力をかなり奪われたからな。少しでも調子が悪ければ、無理をしないでくれ」
「ありがとうございます。もう大丈夫ですわ」
心配してくださるのは嬉しい。
なのに、彼の唇に目が行きそうになって、私は慌てて視線をそらした。
もし本当に口づけだったとしたら、ジークハルトさまはどうしてあんなことを?
私を助けるためだったのはわかる。
けれど、そうだとしても……。
「エリス嬢?」
「い、いえ。昨夜の術式について、何かわかったことはありますか?」
少々強引だけれど、今は事件の話をするべきだ。
ジークハルトさまは私の様子を気にするように一度目を向け、それから声を落とした。
「一つ、思い当たることがある。魔界から人間界へ渡ったまま、行方がわからなくなっている秘宝の話だ」
「秘宝、ですか?」
「ああ。昔、魔界の王が人間界から訪れた者を気に入って、友好の証として貸し出したものらしい」
私は思わず身を乗り出した。
「それは、どのような秘宝なのですか?」
「その地を豊かにする力があると伝わっている。本来は期限付きで貸し出されたものだったが、結局、返ってこなかった」
「返ってこなかった……?」
「秘宝を巡って人間同士の争いが起き、誰かが隠したそうだ。その人物が隠し場所を伝えずに亡くなったため、行方がわからなくなったという」
どこかで聞いたことがある。
私は記憶をたどり、幼いころに読んだ物語を思い出した。
「異なる世界からもたらされた宝物が、荒れた土地を豊かにしたというおとぎ話がありますわ。けれど、ある日その宝物は失われてしまった、と」
「それだ。同じものの話かもしれないな」
おとぎ話だと思っていたものが、魔界では実際にあった出来事として伝わっている。
それだけでも驚きなのに、ジークハルトさまはさらに意外なことを教えてくださった。
「実は、成人の儀が始まったきっかけも、その秘宝なんだ」
「成人の儀が?」
「もともとは、失われた秘宝を探すために、魔界の者が人間界へ渡っていたんだ。ただ、魔力の強い者はそのままではゲートを通れない。だから、魔力を封じて人間界へ行っていた」
「では、それが成人の儀になったのですか?」
「ああ。魔力を封じた状態で人間界に滞在することが、よい修行になると考えられるようになったんだ。それで、魔力を封じて一年間暮らすことが成人の儀として定着した。秘宝の捜索は、いつしか本来の目的ではなくなったんだよ」
「では、今も成人の儀で秘宝を探す方がいらっしゃるのですか?」
「いるよ。見つければ大きな功績になるからな。ただ、長い年月が経って、今では探すこと自体が目的ではなくなっている。俺も、わざわざ探すつもりはなかった」
ジークハルトさまはそこで言葉を切り、私を見た。
「でも、昨夜の術式は魔界のものだった。しかも、奪った魔力を学園の地下へ送っていた。秘宝と関係がある可能性は考えておきたい」
「魔界の術式を使える方が、ほかにも人間界にいらっしゃるのでしょうか?」
「今、人間界に来ている魔界の王族は、俺と姉だけだ。姉は遠方で成人の儀に取り組んでいるから、この事件に関わっているとは考えにくい」
「では、どうして秘宝が?」
「秘宝には、ある程度自ら判断して力を働かせる性質があると伝わっている。人間界に残された秘宝が、魔界の術式を使っている可能性もあると思ったんだ」
「秘宝が、自分で判断するのですか?」
「人間のような知性があるのかまではわからない。ただ、昨夜の術式と関係があるなら、地下に何か痕跡が残っているかもしれない」
「……学園の地下に、その秘宝があるかもしれないのですね」
「まだ何もわからない。魔界の術式が使われていたからといって、秘宝があるとは限らないからな」
それでも、失われた秘宝の話を聞いてしまうと、地下に何があるのか気になってしまう。
ただ、私たちには先にしなければならないことがあった。
昨夜の調査結果を、先生方へ報告することだ。
「……つまり、お二人は危険な術が仕込まれているかもしれないと知りながら、自分たちで囮になったのですね?」
ロイド先生の声は、普段よりも厳しかった。
「はい……」
私たちは、特別な栞を持って夜の学園へ行ったことから、幻影に導かれた先で魔力を吸収されたことまで説明した。
魔力吸収の術式を解除できたことも伝えたけれど、当然ながら、口づけのことまでは話していない。
「精神干渉への対策はしていました。それに、ジークハルトさまにもご一緒していただいて……」
「それでも、実際に術の影響を受け、魔力を奪われたのでしょう」
先生の言葉に、私は口をつぐんだ。
「未知の術式を相手に、対策をしたから安全だと考えてはいけません。今回は無事に戻れたからよかったものの、命に関わる事態になっていたかもしれないのですよ」
「……ですが、ジークハルトさまが疑われているのを、黙って見ていることはできませんでした」
思わず、言葉がこぼれた。
「先生方が調べてくださっているのはわかっています。でも、事件は一向に解決しませんし、その間もジークハルトさまは疑われたままで……。それなら、私たちで調べるしかないと思ったのです」
ロイド先生は、しばらく黙って私の話を聞いていた。
「エリス嬢。お気持ちはわかります。ですが、それであなたに万が一のことがあれば、どうするつもりだったのですか?」
「……申し訳ありませんでした」
私が頭を下げると、隣のジークハルトさまも口を開いた。
「私も同行しました。危険を承知で行動したのは、二人とも同じです」
「ええ。ジークハルト君にも同じことを言っています。お二人とも、今後は必ず教師に相談してください」
「はい」
ジークハルトさまと声が重なった。
ロイド先生は小さく息をつくと、机の上の栞へ視線を移した。
「事件を調べようとした気持ちはわかります。ですが、これ以上は自分たちで調査を進めないこと。私たち教師が責任を持って調べます」
「わかりました」
「それでは、昨夜のことをもう少し詳しく聞かせてください。栞に異変が起きた場所と、魔力を奪われた場所を、覚えている範囲で構いませんので」
私はジークハルトさまに助けてもらいながら、昨夜たどった道順を説明した。
自分ではほとんど覚えていないけれど、彼が一緒にいてくださったおかげで、場所を確かめられる。
ロイド先生は一つ一つ確認しながら、丁寧に話を聞いてくださった。
「報告してくれたことには感謝しています。あとは先生方に任せてください」
そう言われ、私は改めて頭を下げた。
危険なことをした自覚はある。
ジークハルトさまがいなければ、今ごろどうなっていたかわからないのだから。
それから数日後、学園から事件についての知らせがあった。
先生方が栞を調べたところ、魔力測定で魔力量の多い生徒に配られた、特定の模様の栞に術が仕込まれていたことが確認されたのだ。
学園は該当する栞を回収し、生徒たちにも注意を呼びかけた。
これで少なくとも、同じ栞を使った被害は防げるはずだ。
夜間に呼び出されたと訴える生徒が相次いでいたころと比べると、学園の空気も落ち着いてきたように思う。
けれど、犯人が見つかったわけではない。
誰が栞に術を仕込んだのか。
なぜ被害者たちには、ジークハルトさまに呼び出されたと思わせたのか。
そして、集めた魔力を何に使うつもりだったのか。
肝心なことは、まだ何一つわかっていなかった。
「エリス嬢。あれから体調はどうだ?」
授業を終えたあと、ジークハルトさまが声をかけてくださった。
「もうすっかり元気です。ご心配をおかけしました」
「それならよかった」
柔らかく微笑まれ、思わず胸が高鳴る。
もう数日前の出来事だというのに、あの瞬間だけは少しも遠ざかってくれない。
思い切って尋ねてみようか。
あのとき、私に口づけをなさいましたか、と。
……無理だわ。
もし幻だったら、私がそんなことを考えていたと知られてしまう。
かといって、本当だったら、それはそれでどうすればよいのかわからない。
「エリス嬢?」
「な、何でもありません。事件が落ち着いて、本当によかったですね」
「ああ。ただ、地下のことは気になるな」
その言葉に、私は頷いた。
魔界から人間界へ渡ったまま、行方不明になっている秘宝。
学園の地下へ流れ込んでいた魔力。
二つが関係しているのかはわからないし、事件を起こした人物の目的も見えてこない。
今は先生方に調査を任せるしかないのだろう。
けれど、目の前のジークハルトさまを見つめると、事件とは別の疑問がまた浮かんでしまう。
あのとき、唇に触れたものは──。
確かめたい。けれど、もし幻だったと言われたら?
そう考えた途端、胸がきゅっと苦しくなった。
……どうしてかしら。
本当だったとしたら、それはそれで困ってしまうはずなのに。
幻だったとわかるほうが、ずっと嫌だなんて。




