↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ボブ、サム、トム……そんな世界でジークハルトなんて名前、絶対に重要人物でしょう?~悪役令嬢は運命の人を見逃さない~  作者: 葵 すみれ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/18

10.ジークハルトさま、今のは口づけですか!?

 夜の学園で、ジークハルトさまと二人きり。

 昼間なら何とも思わないはずの距離が、今夜はひどく近く感じられた。


 待ち合わせ場所に現れたジークハルトさまを見たときから、どうにも落ち着かない。

 いつもは学園の制服姿しか見たことがないけれど、今夜はシンプルなシャツとズボンを身につけていらっしゃる。

 飾り気のない服装だからこそ、すらりとした長身や、しっかりとした肩幅が目を引いた。


 ……制服のときも素敵だと思っていたけれど、私服だとまた違って見えるのね。

 つい見惚れていると、ジークハルトさまがこちらを向いた。


「エリス嬢、今日はいつもと雰囲気が違うな」


「そ、そうでしょうか」


 私は自分のワンピースに目を落とした。

 今夜は何かあったときに動けるよう、動きやすさを重視して選んだものだ。


 もっとも、この一着に決めるまでには、ずいぶん迷ってしまった。

 事件の調査なのだから、服装にこだわっている場合ではない。

 そう思いながらも、ジークハルトさまにお会いするのだと考えると、なかなか決められなかったのだ。

 そんなこと、もちろんご本人には言えない。


「動きやすい服を選んだだけですわ」


「そうか。よく似合っている」


「……ありがとうございます」


 あれほど迷った甲斐があった、なんて思ってしまう自分が恥ずかしい。


 寮へ続く道には人影がなく、建物の窓にも明かりはほとんど残っていない。

 聞こえるのは、風に揺れる木の葉の音と、二人分の足音だけ。


「エリス嬢、寒くないか?」


 すぐ隣から声をかけられ、思わず肩が跳ねた。


「だ、大丈夫です」


「そうか。顔が赤いように見えたから」


「それは……歩いてきたせいだと思います」


 こんな暗がりで、よく見えるものね。

 どうか、それ以上は気にしないでほしい。


 森で魔物に襲われたとき、ジークハルトさまは私を抱き寄せて守ってくださった。

 あれから、近くに立たれるだけでも妙に落ち着かない。


 しかも今夜は、学園の寮の近くで、二人きりで待ち合わせ……ではなく、事件の調査である。

 そう、調査。決して浮かれてよい状況ではない。


 私はポケットの中の栞に触れた。

 トムさまから借りた、特別な模様の入った栞。

 これが被害者たちに共通する品だとわかっても、実際に何が起きるのかは確かめてみなければわからない。

 精神への干渉を想定して、抵抗力を高める魔術もかけてある。


「最後に確認する。異変があったら、すぐに引き返す。無理はしない」


「はい。お約束したとおりに」


「俺から離れないことも」


「もちろんです」


 迷いなく答えたものの、改めて言われると胸が騒ぐ。

 ジークハルトさまは私の返事を聞いて、安心したように微笑んだ。

 その顔をもっと見ていたくなって、慌てて視線をそらす。

 そのとき、ポケットの中がかすかに熱を帯びた。


「……栞が」


 取り出そうとした指が止まる。

 何をしようとしていたのだろう。

 さっきまで頭の中にあった考えが、霧の向こうへ遠ざかっていく。


「エリス嬢?」


 ジークハルトさまの声がした。

 顔を上げると、少し先にもジークハルトさまが立っていた。


 ……あら?

 隣にもいるのに。


 前にいる彼は私を見つめ、こちらへ来るように手を差し伸べる。

 行かなくては。

 理由はわからないけれど、あの人のところへ行かなければならない。


「エリス嬢、どうした?」


「ジークハルトさまが……あちらにも」


 隣の彼が、私の見つめる先へ目を向けた。


「誰もいない。エリス嬢、俺の声は聞こえるか?」


「でも、そこに……」


 足が前へ出かけた瞬間、手を握られた。

 驚くほど確かな温もりが、指先から伝わってくる。


「俺はここだ。君の隣にいる」


 見上げると、金色の瞳がすぐ近くにあった。

 そうだ。私たちは一緒に来たのだ。

 前にいるのは、たぶん幻影。わかっているのに、目を離すとまた引き寄せられそうになる。


「……あちらへ、行かなければいけない気がします」


「魔力を利用して、思考に干渉しているのか……?」


 ジークハルトさまが眉をひそめた。


「……まさか、魔界の術式か?」


「魔界の、ですか?」


「ああ。相手自身の魔力を利用して、術の効果を強める仕組みだ。魔界では珍しくないが、どうして人間界で……」


 ジークハルトさまは訝しげな表情を浮かべた。


「魔力が強いほど、術の影響も強くなる。君ほどの魔力があれば、相当強い干渉を受けているはずだ」


「それでは……私がかけた抵抗の魔術も……」


「効いてはいるはずだ。こうして話せているからな。ただ、それだけでは足りない」


 悔しい。

 自分の意思で動きたいのに、前方のジークハルトさまが歩き始めると、ついていきたくてたまらなくなる。

 隣の彼が、私の手を握り直した。


「行き先を教えてくれ。俺も一緒に行く」


「……はい。あちらです」


 手を引かれながら進む。

 こんなふうに手を繋ぐのは初めてだというのに、喜ぶ余裕はほとんどなかった。

 それでも、指を包む温かさだけが、今の私を現実につなぎ留めてくれている。

 この手を離されたら、幻影に従ってしまいそうで怖かった。


 幻影は振り返らずに進んでいく。

 どの道を通ったのか。途中の景色は曖昧で、ただ足元の石畳だけが妙にはっきり見えた。


 やがて、幻影が立ち止まった。

 ──何かが、身体の奥を掴んだ。


「……あっ」


 膝から力が抜ける。

 ジークハルトさまがとっさに抱き留めてくれたが、立っていられない。

 魔力が流れ出している。

 自分の内側にあるはずのものが、どこかへ引きずり出されていく。


「エリス嬢!」


 耳元の声が遠い。

 幻影の彼は、まだそこにいる。こちらへ来いと呼んでいる気がした。


「魔力の吸収まで組み込んであるのか……。術式はわかった。だが、今の俺の魔力では足りない」


 ジークハルトさまが私の身体を支えながら、何かを確かめている。


「エリス嬢、聞いてくれ。君の魔力が必要なんだ。俺の指示に合わせて動かせるか?」


「……ま、りょく……」


 言葉の意味はわかる。

 けれど、考えようとすると、頭の中が白くなる。


 あちらへ行かなければ。

 呼ばれているのだから。


「エリス嬢。俺を見て」


 頬に手が触れた。

 顔を上げたつもりなのに、視線が定まらない。


「頼む。戻ってきてくれ」


 声に切迫した響きがあった。

 ジークハルトさまが、そんな声を出すなんて。

 そう思った次の瞬間、彼の顔が近づいて──。

 唇に、柔らかなものが触れた。


「……っ!?」


 心臓が大きく跳ねた。


 何? 今、何を──。


 目の前に、金色の瞳。

 私を抱き留めている腕の強さ、そして頬に残る手の感触。

 どれも幻影ではない。


「エリス嬢、今だ。俺の声を聞いてくれ」


 ジークハルトさまが私の手を取った。


「吸収の術式を断つ。俺が流れを示すから、君の魔力をそこへ集中させて」


「……はいっ」


 まだ頭は重い。

 けれど、今なら彼の言葉を追える。


 示された魔力の流れを感じ取ろうと、意識を研ぎ澄ませた。

 身体から奪われる力とは別に、自分の意思で動かせる魔力が残っている。


「そこだ。今!」


 残った力を一気に送り込む。

 見えない何かが軋み、張り詰めていた糸が断ち切られるような感覚が走った。

 途端に、身体を引かれる力が消えた。


「……止まった、のですか?」


「ああ。もう吸い取られていない」


 ほっとした途端、足元がふらつく。

 ジークハルトさまは私を支えたまま、ゆっくりと座らせてくださった。


「気分は?」


「少し、疲れました。でも、大丈夫です」


「すぐに動かなくていい」


 彼の手は、まだ私の手を握っていた。

 そのことに気づいた瞬間、頬が熱くなる。


 けれど、それ以上に気になることがあった。

 さっき、唇に何かが触れたような……。

 思い出そうとすると、記憶の輪郭が崩れてしまう。


 幻影のジークハルトさまもいた。

 二人の姿が重なって、何が本当に起きたのかわからない。


 まさか、口づけなんて。


「エリス嬢?」


「な、何でもありません!」


 勢いよく答えてしまい、彼が目を瞬かせた。

 その顔を見ると、ますます聞けなくなる。

 もし幻だったら、そんなことを尋ねるなんて恥ずかしすぎるもの。


 少し休んでから、ジークハルトさまは先ほど術式が働いていた場所へ目を向けた。


「吸い取った魔力は、ここに留まっていない」


「どこかへ送られていたのですか?」


「ああ。術式に残った流れを追うと、下へ続いている」


 私は思わず足元に目を落とした。

 何も変わったところはないけれど、この下に術式が続いているのだと思うと、妙な気分になる。


「……学園の地下、ですか?」


「そうだ。ただ、途中から先は追えない。何があるのかまではわからないな」


 地面の下に何かがある。

 被害に遭った生徒たちから奪われた魔力も、そこへ送られていたのだろうか。


「ジークハルトさま。先ほどの術式は、やはり……」


「魔界のものだ。相手の魔力を利用する仕組みも、魔力を奪うための構造も、見覚えがある」


 彼の表情は険しかった。


「どうして、人間界の学園に魔界の術式があるんだ……?」


 答えられるはずもない。

 ……この学園の地下には、いったい何が隠されているの?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。