Day 25. 揺らぐ
くらり、と眩暈。まただ、と諦めの境地を抱きつつ、目の前のカウンターの縁を掴んで、その場にゆっくりとしゃがみ込む。身体が一つ一つの粒子となり拡散してしまうような、そんな感覚をじっとこらえつつ、制服のポケットを漁る。引っ張り出した丸薬を口の中に放った。硬い殻を噛み砕くと、虫を噛み潰したかのようなえぐみと苦みが口の中に拡がる。水でも飲んで吐き出したいくらい。じっと耐えて落ち着いた頃には、身体の異常も目眩も落ち着いた。
「ヒマリ、大丈夫? 具合悪い?」
隣にしゃがみ込み声を掛けてくれる同僚。栗色のショートカットの下で、リスのような大きな黒い目がヒマリの顔を覗き込む。彼女アイラは、その快活な容姿と繊細な気配りでみんなから慕われている。ヒマリ自身も彼女の明るさと親切に救われていて、大好きだ。
――でも、だからこそ、言えないこともある。
「……だいじょうぶ。ちょっと目眩がしただけだから」
なんとか笑みを浮かべ、カウンターは掴んだままゆっくり立ってみせる。目眩がなくなったのは、本当。踵の高い靴でも、なんとか動ける。それでもアイラはまだ心配そうに見上げてくる。
「だいじょうぶだけど、調子は良くないかもな。また倒れてみんなに迷惑かける前に、帰るね」
シャナイゼの街のお悩み相談受付窓口に立つヒマリは、つまりは街の顔で、『明るく元気で愛想よく』を求められている。だから、ここでは体調不良による我慢が許されない。悩みを抱えた来訪者に心配させるようではいけないからだ。
前に無理を貫いて倒れたとき、散々上司の人たちに説教されて、ヒマリもようやくそれが身について来ていた。体調をしっかり管理して素直に帰るヒマリを、職場の人たちは温かく見送ってくれた。
なんとなく覚束ない足取りで、ヒマリは石畳の道を歩く。施工されているくせにまだボコボコとした道は、歩きにくい。その上、頭上で木漏れ陽が絶えず揺れているものだから、自分が揺れているのかそうでないかもいまいちわからなくなってきた。体調不良ばかり起こすこの身が煩わしい。昔は、こんなにヤワじゃなかったのに。むしろ、元気が取り柄だったのに……
――この世界に、喚ばれた所為で。
異世界転生は故郷でとにかく流行っていたが、まさか自分がそんなファンタジーな目に遭うとは、ほんの一年前までは夢にも思わなかった。ここに来てでさえ、しばらくは夢と疑っていたものだ。
そして、ときめいた。だって、ヒマリはまだ高校生だったから。物語のヒロインになれるかも、と思ったら、胸膨らませないはずもない。
実際は、そんなぬるゲーではなかったが。
なにせヒマリは、簡単に存在が揺らいでしまう状態でこの世界になんとか存在しているから。今この身体がバラバラになって、宙でかき消えてもおかしくないという状況に常にさらされているのだ。誰かに頼って、存在をどうにか魔術で繋ぎ止めてもらって、ようやく在れる身だ。救世の旅や魔物退治なんてハードワーク、できるはずもない。
街の片隅でひっそりと暮らすのが、関の山。
落ち着いてみると、怖いのも痛いのも辛いのも嫌なので、ヒロインにならなくても全然良かったけれど、なんだかなぁ、という漠然とした不満がいつも燻っている。
そして浮かび上がる黒い感情。
――どうして、あの人はヒマリを喚んだのだろう。
家に着く。四角く高い茶色の建物は、集合住宅らしい。ヒマリはこの一室で、召喚主と一緒に暮らしている。他でもない彼が、ヒマリを維持してくれているからだ。
彼は、ヒマリに良くしてくれている。こんな不安定な状態でヒマリをこの世界に喚んでしまったことを申し訳なく思っているらしくて。
だから、恨むに恨めないのだけれど。
こうして存在が揺らいでしまうと、どうしても嫌な感情が湧き上がってしまう。
「――ただいま」
住まいに着き扉を開けると、今日は在宅していた同居人が顔を出す。ヒマリの状態を知っているのか、慌てて駆け寄るその顔は、少し青い。
「こっちに来て。大丈夫、すぐにどうにかするから――」
ヒマリの手を引いて、部屋の奥に連れて行く〝彼〟。本当に心配してくれていると分かっている。
だから、この暗い気持ちは胸の奥底にしまっておかなくてはいけないのだ、とヒマリは憎悪を飲み下した。




