第43話「龍門寺への訪問②——義守の語る過去と、『直江兼続』という男」(後半)
しばらくの沈黙は、穏やかに流れた。
居室の中はしんと静まり返り、遠くで鳥が一鳴きして、また静寂が戻った。おじい様が茶を一口すする。私もそれに倣って、喉を潤した。
「駒、もう一つ、お前に話しておきたいことがある」
おじい様が、静かに切り出した。
「駒、お前は奥羽を守るのだ」
ぽつりと、短い言葉が落とされた。
(——え、ちょっと待っておじい様。話のスケールが唐突にインフレしすぎじゃない!?)
内心でそう叫びながら、表の顔は神妙にキープする。感情が読まれにくい七歳の幼女の顔、我ながらなかなか便利である。
「義光は強い。しかし……あやつは『今』を生きる男だ。目の前の戦に全力を注ぐ。それが義光の強さであり、限界でもある」
おじい様が、静かに続けた。
「だが、強さだけでは守れぬものがある。わしはそれを知った。義光に負け、この龍門寺に来て、初めて知ったのだ」
(——敗北の果てに、ようやく辿り着いた答え。だからこそ、おじい様の言葉は重い)
私は口を挟まず、ただ黙って耳を傾けた。
「城を守るのは兵だ。しかし……奥羽を守るには、それだけでは足りぬ。民が生き、田が実り、無事に年を越せる——そういう土台がなければ、どれほど強固な城も、いつかは空になるのだ」
おじい様の視線は、遠くを見ていた。龍門寺の庭の向こう、出羽の山々のさらに先を。
(これは、おじい様が山形城のトップにいた頃には絶対に言えなかった言葉だろう。敗れて、すべてを失って、この寺から見えた景色だからこそ、生まれた言葉なんだ……)
「義光に頼るな、とは言わん。あやつは頼りになる。しかし……義光だけでは、奥羽は守りきれん。お前が、あやつの目の届かぬ先を見るのだ」
(——おじい様は、お父様の限界を知っている。そして私に、その死角を補えって言ってるんだ)
(——いやいや、たかだか七歳の娘に、なかなかの無理難題をおっしゃる!)
「奥羽を守るのは、お前だ」
静かな言葉だったけど、とてつもない重みがある。
「……はい。心に刻んでおきます」
私は答えた。そう答えるしかなかった。
内心では——(重すぎるよ、おじい様。私はたかだか七歳の姫で、自分の処刑フラグを折ることで精一杯なんですけど)と思いながら。
でも——同時に、この言葉を真っ正面から受け止めなきゃいけない、とも思った。
(この言葉には、おじい様の人生の重みが全部乗っかっている。負けた者にしか見えなかった真実を、今、私に託してくれたんだ。だったら……ここで引くのは、女がすたるってものよね)
おじい様が、少し間を置いた。
「もう一つ、言っておきたいことがある」
(——まだあるの!? 高難度のミッション発注されたばっかなんですけど!?)
内心でそう叫びながら、表の顔は静かに頷く。本当に七歳の姫の顔、便利だ。今日は特に助かっている。
「上杉との戦は、これからも続くだろう。しかし……上杉にも、話すべき人間がいる」
おじい様が、静かに告げた。
「直江兼続という男だ」
(——直江兼続……っ!)
私の脳細胞が、一瞬で沸騰した。
直江兼続。上杉景勝の側近にして、後世ではあの「愛」の前立て兜で超有名な戦国屈指のチート知将。大学の講義でも、彼の内政手腕や外交感覚は繰り返し絶賛されていた。
(——おじい様の口からその名前が出るなんて。ちょっと待って、どういうルートで繋がってるの……?)
「わしは……ここに来てから、上杉家と書状を交わしたことがあってな」
おじい様が、さらりと続けた。
「義光には内緒で、な」
(——お父様に内緒で密通してたの!?!?)
私は危うく茶を吹き出しそうになった。辛うじて堪える。全力で堪える。
(おじい様、それはなかなかの爆弾発言では……? お父様が知ったら泡吹いて倒れるよ。いや絶対ダメ。これは私が墓場まで持っていくトップシークレットだわ)
「その時に、兼続の書状を読んだ。若い男だが……よく先を見ている。あれは義光とは違う種類の、別の才覚じゃな」
おじい様が、庭に目を向けながら続けた。
「民のことを、戦の道具としてではなく、『守るべきもの』として考えておる。そして……敵の中にも、話すべき人間がいると信じている節があった」
(——民を、守るべきものとして考えている)
その言葉が、私の胸の中でドクンと激しく共鳴した。
(——それって……私が目指しているものと、同じ方向じゃない? 農業改革も、奥羽の民を守るためのものだ。敵の中にも話すべき人間はいる——それは、私が前世からずっと思っていたことだ)
遥か遠くの敵将が、自分と同じ理想を抱いている。その事実が、なぜか静かな驚きとして胸に落ちた。
「いつか機会があれば、あの男と話をしてみるといい」
おじい様の言葉が、私の耳に届く。
「おじい様、それは……上杉と和睦せよ、ということですか」
「和睦せよ、とまでは言わんさ」
おじい様が、くすりと笑って首を振った。
「ただ……敵と話すことを恐れるな、ということだ」
一拍の間があった。
「わしは義光に負けた。しかし……あやつと話すことを恐れなかった。だから今も、たまに言葉を交わせる。敵と話すことを恐れれば……その先は交わることはない。永遠に敵のままだ」
(——説得力が違いすぎる。お父様との泥沼の骨肉の争いを、対話で繋ぎ止めてきた人の言葉だ。追放されてなお言葉を断たなかったから、今も父と息子でいられるんだ)
(——負けた人間の言葉は、苦い。でも——だからこそ、偽りのない本物だ)
「はい。しかと覚えておきます」
私は答えた。
そして心の中で、「直江兼続」という名前を、太文字で強調して深く刻みつける。
(——いつか、会うこともあるかもしれない。その時は……おじい様の言葉を、思い出そう)
日が傾き始めた頃、おじい様がふっと表情を緩めた。
「今日は長く話したな。疲れたか?」
「いいえ、全然! もっと聞きたいくらいです」
私は本音をそのまま返した。おじい様が、満足そうに少し笑う。
「……次に来る時には、お前の農業改革の話を聞かせておくれ。塩水選とやら、義光から少し聞いてな。詳しく知りたくなった」
(——えっ、おじい様が、私のチート内政の話を聞きたがってる……!)
胸の奥に、じんわりと温かいものが広がっていく。次の訪問の理由ができた。それだけじゃない——おじい様自身が『次』を望んでくれている。まだ私と話したいと思ってくれているんだ。
「はい! おじい様、また絶対にきます。山ほど報告を持ってきますね」
おじい様が、慈しむように静かに頷いた。
「ああ。待っておるぞ」
(——おじい様は、お父様に負けて、もう一人の息子を失った。そして、龍門寺に蟄居して、それでも……奥羽を愛している。民を愛している。そして……私に、そのその未来を託そうとしてくれた)
(——あと何回、ここに来られるんだろう)
不意に、そんな問いが胸の奥から静かに浮かび上がってきた。
史実(前世の知識)が非情に告げている。最上義守は天正十八年(一五九〇年)に亡くなる、と。
今は天正一六年の十一月。あと二年もない。
私は、その事実の重みを、今日初めてリアルに受け取った気がした。
帰り道、小春が私の顔を覗き込んできた。
「姫様、今日は長かったですね。何を話されていたのですか」
私は一歩、歩を進めてから、静かに答えた。
「……負けた人だからこそ知っている、大切なことをね」
「……姫様」
小春がどこか心配そうに声を漏らす。
「大丈夫よ、小春。ただ……おじい様は、私が思っていたよりずっとずっと、器の大きいカッコいい人だったわ」
夕暮れの道を歩きながら、私の心には二つの言葉が、消えない灯火のように輝き続けていた。
「奥羽を守れ」——敗者が、すべての果てに手に入れた祈り。
「直江兼続」——敵国の中にいる、同じ未来を見つめる男。
(覚えておく。絶対に、忘れたりしない)
落ち葉がまた一枚、私の足元へひらりと舞い落ちた。
燃えるような夕陽の橙色が、山形城下の石畳を静かに、けれど鮮やかに染め上げていた。
直江兼続は、上杉景勝の側近として内政・外交・軍事のすべてに卓越した手腕を発揮した人物です。
その兜に刻まれた「愛」の一字は、愛染明王への信仰に由来するとも、愛民精神の象徴とも言われています。
史実においても、最上と上杉は激しく争いながらも、その後の歴史の中で奇妙な縁を結び続けます。
本作ではどんな関係性を築いていくのか。作者にもその未来はわかりません。




