第43話「龍門寺への訪問②——義守の語る過去と、『直江兼続』という男」(前半)
十一月の出羽は、完全に冬の入り口だった。
前に来た時よりも落ち葉がすごくて、石畳は赤と黄色の絨毯状態。踏むたびにくしゃりと湿った音が小気味よく響く。すっかり丸裸になった木々の枝が、どんよりした灰色の空に向かって細い指を伸ばしていた。
うん、とにかく寒い。吐き出す息が真っ白だ。
「姫様、今日は一段と冷えますね」
私の隣で、小春が寒そうに首をすくめた。
「そうね」
私は前を向いたまま、きりっと歩を進める。
(——よし。今日こそ、聞いてみよう)
龍門寺への道を歩きながら、心の中で決意を固める。前回の帰り道から、ずっと心に決めていたことだ。
前に会った時、おじい様は「今日は話す時ではない」って言ってた。でも同時に「いつかは聞くことになるだろう」とも言っていたのだ。
あれは「次に来た時は話してやるからな」っていうおじい様直々のフラグ提示だったんじゃないだろうか。私はそう前向きに超解釈している。おじい様だって、あの時からずっと、私にどう話すべきか考えてくれていたはずだ。
(——傷つくのを恐れて聞かないのは、逆に失礼だよね)
おじい様は、私が思っていたよりずっと強くて器の大きい人だ。それは前回の訪問で百も承知。自分の黒歴史(過去)から逃げずに、話すタイミングを自分で選ぶ——そういう筋の通った人だと思う。
だったら、こちらから「聞かせてください」と向き合う方が、誠実というものだよね?
前世の私が、講義で『天正最上の乱』を学んだ時、それはただの『試験に出る歴史のデータ』でしかなかった。最上義光が父親を追放した。弟の義時が殺された。えぐいなぁと思いつつ、ただの事実としてノートにカリカリ書き留めただけ。だけど、今は違うのだ。
今、再びその「追放された祖父」に会いに行く。
(——歴史って、教科書の文字じゃなくて、こういうことだったんだな)
龍門寺の境内は、前よりもさらに深く落ち葉に覆われていた。
そして——縁側に、すでに白髪の老人が座っていた。
こちらを向いて、待っていた。
「よく来たの」
その渋い声が、静かな境内に優しく響く。
(——やっぱり、待っていてくれた!)
私の足が、自然と速くなった。
「姫様、走らないでください!」
後ろから小春が慌てた声を上げたけれど、ここは全力で聞こえないふりだ。ごめんね小春。でも、足が勝手に動いちゃうんだから仕方ない!
居室に通されると、お寺の人がすでにお茶を用意してくれていた。
おじい様が、無言で茶碗を私の方へ押し出す。前回と同じ所作だ。
(——おじい様は、言葉よりも先に手が動くタイプなんだな)
差し出された茶碗を両手で包み込む。うん、じんわりと温かい。
「おじい様」
よし、切り出そう。そう思った瞬間——おじい様が先手を打つように口を開いた。
「駒、今日は先日の続きを話そうか」
ドキリとしつつも、私は静かに頷いた。
おじい様が、庭の枯れ木に視線を向ける。完全に葉を落とした楓の枝が、前よりもずっと細く、寒そうに見えた。
「あやつは……義光は……わしを山形城から追い出した。それは知っておるか」
私は、少し間を置いた。
(——知ってる。前世の記憶でおおまかには知ってる。でも……それは言えないよね)
「……人づてに、少し」
おじい様が、静かに目を細めた。
「人づて、か」
痛いほどの沈黙が一拍。
「……誰から聞いた」
「幼い頃に、侍女たちの噂話が聞こえて……。お父様には、どうしても聞けませんでした」
「そうか」
おじい様が、静かに頷いた。その目が、少しだけ和らいだ気がした。
「聞けなかったのは、当然だ。義光も、進んで話したくはあるまい」
それから、おじい様は庭に目を戻した。
「わしが悪かったのだ」
ぽつりと、その言葉が静かに落ちた。
(——「わしが悪かった」、だって……?)
私は、息を呑んだ。
恨み言でも、言い訳でもない。おじい様はそれを、ただの、動かしようのない事実として語り始めた。
「わしは義光を廃嫡しようとした。義時を——義光の弟を、次の家督に据えようとしたのだ。あの時はそれしかないと思った。それが最上の家のためだと信じて疑わなかった。だが……義光が激怒するのは、当然だったのだ」
おじい様の声は、穏やかだった。穏やかすぎるくらいに。
(——自分の非を、認めている。それも今さら誰かに言い訳するわけでもなく、ただ静かに。すごい人だ、この人は)
「義光は……わしが思っていたより、ずっと強かった。そして……ずっと、最上を愛しておった」
枯れ木を見つめたまま、おじい様が紡ぐ。
「あやつは、わしを追い出してでも、最上を守ろうとした。それは……今になって思えば、わしにはできなかったことだ」
私の胸の中で、何かが静かに震えた。
(——権力争いに負けた父親が、自分を追放した息子を『強かった』と認める。それどころか『自分にはできなかったことをした』とまで言うなんて。これ、並大抵の精神力じゃ言えない言葉だよ……)
「義時は……義光に殺された」
おじい様の声が、ここで初めて、わずかに揺れた。
「わしの溺愛が、あの子を殺したのだ。それだけは……今でも、胸が痛む」
重い沈黙が、部屋に落ちた。
庭の枯れ木が、風もないのに、小さく震えた気がした。
(——おじい様は、義時様の死を、自分の責任として背負ってるんだ。お父様を恨まない理由が、ここにある。恨むなら……自分自身を恨むべきだ、と)
「だから……わしは義光を恨めぬ」
おじい様が、ぽつりと告げた。
「あやつは、わしの過ちの結果として、弟を殺す羽目になった。恨むなら……わし自身を恨むべきなのだ。それが、わしの出した答えよ」
一拍の間。
「恨んでなどおらん。しかし……忘れられることもない。それが、この龍門寺での日々だ」
私は、何も言えなかった。
どんな言葉を探しても、全部薄っぺらく思えて見つからない。前世の記憶があっても、中身は七歳の身体だ。この言葉の重さを受け止めるには、圧倒的にキャパシティが足りなかった。
しばらくして、おじい様が自嘲気味に静かに笑った。
「……お前にはつまらん昔話じゃったろう、よく聞いてくれたの」
「こんな話をしたのは……お前が初めてじゃわい」
(——え?)
ドクン、と胸が静かに跳ねた。
おじい様の子供たち——つまり、当事者であるお父様も、あの義姫叔母様ですら、おじい様のこの本心を聞いたことはないのだ。
それを、私に、話してくれた。
「……おじい様」
絞り出した声が、少し震えた。七歳の幼い身体は正直で、目の奥がじわりと熱くなっていく。
「おじい様が話してくださって、よかったです。……聞けて、よかった」
おじい様が、静かに笑った。
「そうか」
短い返答だったけれど——その「そうか」の中に、途方もなく大きな、救われたような想いが詰まっている気がした。




