第5話「大崎合戦勃発! 父上が政宗従兄様(にいさま)と戦争を始めてしまった。」(前半)
本話ぐらいまでは、史実とされている内容に沿ってます。
目が覚めたのは、まだ夜が明けきらない頃だった。
最初に聞こえたのは、馬の蹄の音だ。
一頭ではない。二頭、三頭——城門を出入りする音が、断続的に続いている。続いて廊下を走る足音。低く抑えた男たちの声。城全体が、静かに、しかし確実に、ざわめいている。
——何かあった。
眠気が、一瞬で吹き飛んだ。
布団の中で身を起こした瞬間、障子が静かに開いた。侍女の小春だ。いつも穏やかな顔が、今朝は青ざめている。
「姫様……前線から、急報が届いております」
その一言で、全部わかった。
私は素早く着替えを済ませ、氏家守棟を呼んだ。
氏家が現れたのは、空が白み始めた頃だった。
昨日と同じ、礼儀正しい一礼。でも昨日と違うのは——その目の奥に、「報告すべきことがある」という、静かな緊張の色があることだ。
「……両軍の距離は」
挨拶より先に、私は問うた。氏家の眉が、わずかに動く。
「二里ほどかと」
——二里。
馬で半刻もかからない。それが今の「戦争までの距離」だ。
「鮭延殿の先鋒が、昨夜のうちに中山宿へ入りました。伊達軍の留守政景隊と、夜明け前から対峙しております。斥候同士の小競り合いはすでに始まっており……本格的な衝突は、今日か明日かと」
「義姫様への密使は」
「昨日の夜明けに発ちました。伊達領に着くのは、早くとも明後日かと存じます」
——明後日。
今日か明日に衝突する。間に合わない。計画が、現実に追いつかれている。
私は静かに息を吐いた。焦りを顔に出してはいけない。
「大崎の状況は」
「義隆殿より殿(義光)へ、感謝の書状が届いております。最上軍の出陣で、ひとまず安堵されているようで」
——大崎義隆殿。
あなたが自分の家臣団を抑えられなかったから、こうなっているのだが。
私は内心でそう呟いたが、もちろん口には出さない。出しても仕方がない。今は、次の手を考える時間だ。
午前中だけで、早馬が三度城に入った。
そのたびに氏家が居室に現れ、短く報告していく。
第一報——留守政景が陣を前進させた。
第二報——鮭延秀綱が迎撃の陣形を整えた。
第三報——大崎義隆より義光へ、「最上軍の奮戦を期待する」旨の書状が届いた。
三つ目の報告を聞いた時、私は思わず文机の上に肘をついた。
——奮戦を期待する、か。
義隆伯父上。あなたは今、何を考えているのか。
私は頭の中で、この戦争の構図を改めて整理した。
大崎合戦の本質は、大崎家の「内輪揉め」だ。義隆と自分の家臣団——新井田氏や氏家氏ら——の対立が発端で、家臣側が政宗に援軍を求めた。政宗はその要請を「大崎領を取る好機」と判断して侵攻した。義隆はそれに対抗するため、義弟の義光に助けを求めた。
つまり——今、最上軍は「大崎義隆を守るために」伊達軍と戦おうとしている。
しかし。
大崎義隆を守っても、大崎家の内紛は解決しない。戦が終わった後も、義隆と家臣団の対立は続く。最上も伊達も消耗して、その隙に豊臣が入り込んでくる。
——誰も得をしない戦争だ。
義光が止まれないのは、義理があるからだ。大崎義隆は義光の義兄——妻の兄だ。「妻の兄を見捨てた」となれば、義光の面目が潰れる。面目を潰された義光がどうなるか……それは想像したくない。
政宗が止まれないのは、勝機があるからだ。大崎領を取れば奥州の覇権が一気に固まる。二十一歳の覇者にとって、これを見逃す理由はない。
どちらも、正しい。
だから余計に、止めにくい。
——では、どうする。
義姫様の返事を待つ。間に合わない。
義光に直接頼む。義光は今、前線にいる。
氏家に止めてもらう。氏家は義光の家臣だ。義光の命令なしには動けない。
「外から」止める誰かが必要だ。どちらの陣営にも属さない、誰かが。
——七歳の幼女が、戦場に行くというのか。
私は少しの間、その結論を頭の隅に放置した。
……まあ、そういうことになるよね。
場面は変わり、大崎領——伊達軍前線陣。
留守政景は、最上軍の陣形を遠望しながら、深い皺を眉間に刻んでいた。
三十九歳。政宗の叔父にして、今回の大崎攻めの前線指揮官。実直で鳴らした武将だが、今日ばかりは、その実直さが重荷になっていた。
「最上軍の先鋒、鮭延秀綱。兵数およそ二千にございます」
斥候の報告に、政景は無言で頷いた。
——鮭延か。
あの男は手強い。正面からぶつかれば、こちらも相当の損害が出る。しかも——相手は義姫様の実家だ。政宗様の母君の、生家だ。
政景が遠くの陣旗を見つめていると、背後から勢いよく陣幕が開いた。
「政景殿! 殿より『さっさと前進せよ』とのご命令です!」
伊達成実。二十歳。政宗の従弟にして、軍の中で一番止まらない男だ。その顔は、これ以上ないほど輝いている。
「……成実」
政景は静かに振り返った。
「鮭延秀綱が相手だぞ。正面からぶつかれば、ただでは済まぬ」
「だからこそ面白い! 先鋒はこの成実に任せてください!」
——この男も止まらない……。
政景は深く息を吸った。
「今日は動かぬ。陣を固めよ」
「なぜですか! 殿のご命令は——」
「鮭延は罠を張るのが上手い。夜明けに動く。今日は様子を見る」
成実が「……わかりました」と、不満を隠しきれない顔で引き下がっていく。
政景は再び、遠くの陣旗に目を向けた。
——本当の理由は、言えない。
最上は義姫様の実家だ。政宗様も、本当はわかっているはずなのだが——あの御方は、一度動き始めると止まらない。
今日一日。せめて今日一日だけ、動かずにいれば——何か変わるかもしれない。
政景は、自分でもなぜそう思うのかわからないまま、静かに陣を固めた。




