第4話「東北の現状分析。従兄の伊達政宗が暴れ回っていて頭が痛い。」(前半)
政宗は「聡明で、大胆で、止まらない」そして、困りものの従兄のようです
密使が城を発ったのは、夜明けと同時だった。
私は居室の窓から、その小さな影が城門を抜けていくのを見送った。氏家が選んだ使者は、若い足軽だという。伊達領まで、馬で二日。義姫様の手に文が届くまで、あと四日はかかる計算だ。
——四日。
その間に、戦況がどこまで進むかわからない。
私は文机の前に座り直し、氏家を呼んだ。
氏家守棟が現れたのは、朝の陽光が縁側に差し込み始めた頃だった。
「姫様、お呼びでございますか」
昨日と同じ、礼儀正しい一礼。でも昨日と少し違うのは——その目の奥に、「この姫様は今日も何かを言い出すのでは?」という、静かな覚悟の色があることだ。
——昨日より、少し距離が縮まっている。
「はい。伊達家の現状について、知っていることを教えていただけますか」
氏家の眉が、わずかに動いた。
「……姫様は、どこまでご存知でございますか」
「父上からよく聞かせていただいておりました」
私は答えた。これは本当のことだ。昨日の縁側で、義光はずいぶん饒舌だった。
「ただ……」
私は少し間を置いた。
「夢で見ることが、あるのです。なぜかはわかりません。でも、先のことが……なんとなく見えることが」
氏家が、静かに私を見た。
「……夢、でございますか」
「はい」
沈黙が流れた。長い沈黙だった。
氏家の目の奥で、何かが動いているのがわかった。否定しようとしているのではない。ただ——受け取り方を、慎重に選んでいる。
「……左様でございますか」
それだけ言って、氏家は静かに頷いた。
——戦国時代に生まれてよかった。現代だったら即、病院送りだ。
「では、申し上げます」
氏家が、淡々と話し始めた。
政宗は昨年、父・輝宗の仇討ちを経て急速に版図を広げている。今回の大崎攻めは、大崎家の内紛——義隆と家臣団の対立——に乗じたもの。伊達軍の総大将は政宗の叔父・留守政景。兵数は五千から八千。政宗本人はまだ本陣に留まり、前線には出ていない。
「……政宗様本人の性格について、氏家殿はどうご覧になっていますか」
私が問うと、氏家は少し間を置いた。
「……聡明で、大胆で、止まらない御方です」
——それは知ってる。問題は、どうやって止めるか、だ。
氏家が下がった後、私は一人で居室に籠もった。
頭の中を整理する時間が必要だった。
伊達政宗。
前世の私が史学科で学んだ評価を言えば——享年七十歳。奥州の覇者にして、豊臣・徳川の両政権を生き抜いた不死鳥。「独眼竜」の異名を持ち、その生涯は波乱に満ちていた。
そして今は、まだ二十一歳。
まだ、変えられる。
私は頭の中で、政宗という人物を「強み」と「弱み」に分けて整理した。
強み——まず、軍事センスが天才的だ。 二十一歳にして東北最強の軍事力を持ち、連戦連勝を続けている。これは本物だ。義光でさえ「頭はいい」と認めるくらいには。
決断力と実行力。 考えたらすぐ動く。迷わない。これは長所でもあり短所でもあるが、味方にすれば恐ろしく頼もしい。
カリスマ性。 片倉景綱、伊達成実——優秀な人材が命がけでついてくる。人を惹きつける何かを、この人は持っている。
南蛮文化への興味。 新しいものを積極的に取り入れる柔軟さ。これは後の時代に大きく活きてくる。
——では、弱みは。
止まれない。これが最大の問題だ。勝ち続けることに慣れすぎて、「引き際」の判断が甘い。今回の大崎合戦がまさにそれだ。惣無事令が出ているのに、止まれない。
豊臣への対応が遅すぎる。「秀吉のことはその後で考える」——氏家殿の報告にあった言葉が、頭に引っかかっている。わかっていて、後回しにしている。これは致命的な判断ミスになりうる。
身内への情。史実では母・義姫との関係は複雑だったが、家族への情は本物だ。それが弱点になることもある。
そして——これは前世の記憶ではなく、私の直感だが。
「賢い子供」に弱い。
根拠はない。でも、なぜかそう思う。この人は、自分より賢い存在に強烈に惹かれるタイプだ。それが大人であれ子供であれ。
「政宗従兄様は、正面から止めようとしても無駄だ」
私は静かに呟いた。
「でも——正しい言葉で、正しい方向を示せば、誰よりも速く動いてくれる人でもある」
問題は、七歳の幼女の言葉を、二十一歳の覇者が聞くかどうかだ。
——まあ、義姫様という切り札があるから、何とかなるはず。たぶん。
同じ頃——大崎領の、伊達軍本陣では。
片倉景綱は、静かに頭を抱えていた。
陣幕の中、政宗が地図を広げて「次はここを落とす」と指差している。その隻眼は輝いており、口元には笑みさえ浮かんでいる。完全に、戦を楽しんでいる顔だ。
景綱の傍らでは、従弟の伊達成実が「おお、そこか! 確かに要所ですな!」と目を輝かせている。
——この二人が揃うと、止まらない。
景綱は三十一歳。政宗より十歳年上で、幼い頃から傍に仕えてきた。この主君の暴走を止めようとして、止められなかった回数は、もう数えていない。
「殿」
景綱は静かに進み出た。
「最上軍がすでに動いております。このまま進軍すれば、衝突は避けられません」
「伯父御か」
政宗が地図から目を上げた。その目に、警戒の色はない。
「……まあ、いい。どうせ大崎の義隆への義理立てで助けに来るだけだろう。本気で戦う気はあるまい」
「殿、惣無事令のことをお忘れですか。秀吉殿が——」
「知っている」
政宗が、静かに遮った。
「だが、今は大崎を取る方が先だ。秀吉のことは、その後で考える」
——知っていて、やっているのが一番困るのです、殿……。
景綱が内心で深々と嘆息した瞬間、陣幕の入口が勢いよく開いた。
「ご注進! 最上軍の先鋒が中山城に入ったとの報せにございます!」
息を切らせた伝令の足軽が、土下座するように頭を下げる。
政宗の隻眼が、ぱっと輝いた。成実が「おお!」と立ち上がる。
「面白い。伯父御も来るか」
「面白くありません!!」
景綱の叫びは、陣幕の外まで響いた。




