第3話「処刑回避の絶対条件。それは『豊臣に付け入る隙を与えない』こと。(後半)
第3話後半です。
地の文を中心に改稿しました(5/3)
午後になると、山形城の広場はピリピリとした出陣の気配で満ちた。
私は侍女の小春に連れられて、表御殿の廊下から、その物々しい広場を見下ろした。
甲冑を着けた屈強な兵たちが、整然と列をなしている。無数に並ぶ槍の穂先が、春の陽光を受けて鈍く、冷たく光る。荒々しい馬が引き出され、兵糧を山と積んだ荷車が列をなす。その軍勢の規模は、昨日見たものよりも明らかに大きく、威圧的だった。
そして——お父様(義光)が現れた。
思わず、はっと息を呑んだ。
甲冑姿のお父様は、まるで別人だった。
普段の「娘の前ではデロデロに溶けている」あの親バカな父上ではない。黒塗りの重厚な胴丸に、「丸に二つ引き」の最上家の家紋が入った陣羽織。腰には立派な大刀を帯び、兜の前立てが陽光を弾いてギラリと輝く。その堂々たる立ち姿には、血の匂いを知る者だけが持つ確かな威圧感があった。これが——奥羽を震え上がらせる「羽州の狐」の、本来の恐ろしい顔なのだ。
お父様が、ふと視線を上げた。廊下に立つ私と、真っ直ぐに目が合った。
一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、その険しい顔がふにゃりと緩んだ。
「駒、こんなところに出てきてはいかぬ」
「……父上」
私は廊下の端まで歩いて、木の手すりに小さな両手をついた。
「お怪我をされないでください」
お父様の顔が、またスッと変わった。冷徹な謀将の顔のまま、でもその鋭い目の奥に、何か温かく柔らかいものが灯る。
「……案ずるな。すぐ戻る」
——お父様の「すぐ戻る」は、全く信用できない。戦国武将の生存フラグとしては最悪の部類だ。
でも今は、それを指摘してツッコむ場面ではない。
「お待ちしております」
私は、七歳の娘として精一杯の愛らしい笑顔を作った。
お父様が何か言いかけて、傍らの鮭延殿に「殿、出立の刻限でございます」と促された。その鮭延殿が、ちらりと、本当に一瞬だけ私を見た。
目が合った瞬間、鮭延殿はかすかに、しかし確かに頷いた。
——密使の件は、動いている。
お父様がバサリとマントを翻すように踵を返し、広場へ降りていく。重臣たちがそれに続く。馬の嘶き、ガチャガチャという鎧の音、腹の底から響く号令の声。やがて重い城門が開き、最上の軍勢がうねるように動き始めた。
私はその大きな背中を、黙って見送った。
甲冑を着た父上は、確かに強かった。あの圧倒的な威圧感は本物だ。「羽州の虎将」の異名は伊達ではない。
でも——個人の武勇や戦の強さだけでは、あの化け物のような豊臣には絶対に勝てないのだ。
生き残るために必要なのは、冷徹な賢さと、強大な仲間だ。
夕暮れ時、城は嘘のように静まり返っていた。
出陣した軍勢の分だけ、城内の人がごっそりと減ったのだ。残った家臣たちは各自の持ち場に散り、奥御殿には侍女たちの衣擦れの音と、ひっそりとした気配だけが残っている。
私は、一人で庭に出た。
西の空が、まるで血のように燃えるように赤かった。出羽の山々の稜線が、夕焼けの中に黒く、くっきりと浮かび上がっている。春とはいえ、日が暮れれば東北の空気はまだ肌を刺すように冷たい。
サクッ、サクッと、砂利を踏む足音が近づいてきた。
「姫様」
氏家守棟殿だった。
彼は私の隣に静かに立ち、誰にも聞こえない小声で告げた。
「密使の手配、整いました。明朝、伊達領へ向けて発ちます」
「ありがとうございます、守棟」
私は燃えるような夕焼けから目を離さないまま、静かに答えた。
「……姫様」
氏家殿が、少しだけ間を置いて言った。
「一つだけ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「姫様のお考えが正しいとして——義姫様が動いてくださるとは限りません。政宗様が聞き入れるとも限りません」
ひどく静かな声だった。私の無謀な計画を責めているのではない。ただ、冷徹な軍師として、最悪の可能性という事実を口にしているだけだ。
「それでも……やりますか」
私は、ゆっくりと空を見上げた。
夕焼けが、山の端に沈んでいく。赤から橙へ、橙から紫へ——色が変わるたびに、空が少しずつ、確実に暗くなっていく。刻一刻と、時間が過ぎていく。
「やります」
答えは、私の中で最初から決まっていた。
「——やるしかないので」
氏家殿が、長い、本当に長い沈黙の後、深く、恭しく頭を下げた。
顔を上げたその目に、私は初めて見る光を見つけた。「この得体の知れない幼い姫に、最上の命運を賭けてみよう」という、知将としての静かで熱い決意の光だ。
「……左様でございますか」
それだけ言って、氏家殿は足音もなく下がっていった。
私は一人、夕暮れの冷たい庭に残った。
遠くから、ドッドッという馬の蹄の音が微かに聞こえてくる。お父様の軍勢が城下を進んでいく音だ。
——第一の協力者、確保。次は義姫様(叔母様)の返事を待つ。そして、暴走する父上を止める作戦を練る。
十五歳での処刑フラグをへし折るための条件は三つ。
豊臣に付け入る隙を与えない。東北を一つにまとめる。そして——絶対に生き延びる。
全部、今ここから始まるのだ。
「間に合う」
私は、自分に言い聞かせるように静かに呟いた。冷たい夕風が、私の髪をふわりと揺らした。
「まだ、間に合う」
空の色が、紫から深い藍へと変わっていく。出羽の夜が、静かに、しかし確実に降りてきた。
七歳の幼女の胸の中で、小さな、けれど決して消えない決意の炎が、静かに燃えていた。
駒姫が策士っぽいなのは、現世の知識もありますが、義光の血の影響も大きいです。




