第3話「処刑回避の絶対条件。それは『豊臣に付け入る隙を与えない』こと。」(前半)
駒姫は、協力者確保に動きます。
目が覚めたのは、夜明け前だった。
城のどこかで、鎧を磨く音がしている。兵糧を運ぶ足音が廊下を行き来し、馬の嘶きが遠くから届く。出陣準備の音だ。山形城全体が、戦の気配に満ちたまま夜を越えていた。
私は布団の中で目を開けたまま、天井を見上げた。
——さて。整理しよう。
昨夜、義姫様への文を書いた。密使の手配は今日、氏家殿に頼む。それはいい。問題は、その先だ。
そもそも——なぜ、大崎合戦を止めなければならないのか。
感情論ではない。「身内同士で争うのは悲しい」とか「戦は嫌いです」とか、そういう話ではない。もっと冷たく、もっと合理的な理由がある。
私は頭の中で、図を描いた。
最終目標:一五九五年、秀次への輿入れを断る。
これが、処刑フラグを折るための絶対条件だ。前世の記憶によれば、史実の駒姫は十五歳でこの要求を断れなかった。断れなかった——というより、断る力がなかった。義光がどれだけ嫌がっても、豊臣の圧力の前では抗えなかった。
では、断るためには何が必要か。
豊臣が「断られても仕方ない」と認める、軍事・外交力。
東北の大名が一枚岩で「この要求は呑めない」と言える状況。それだけの力があれば、さすがの秀吉も無理強いはできない。
では、その力をどうやって作るか。
最上家と伊達家の、強固な同盟。
東北最大の二勢力が手を結べば、それだけで日本有数の軍事力になる。義光の謀略と政宗の武勇が組み合わされば——豊臣といえど、軽々しく手は出せない。
では、その同盟を作るために、今すぐ何をすべきか。
大崎合戦を止め、両家の疲弊を防ぐ。
ここだ。全ての起点は、ここにある。
処刑まで七年。でも実質二年——そう、二年だ。
一五九〇年、豊臣秀吉は小田原征伐を行う。北条氏を滅ぼし、天下統一を完成させる。その時、東北の大名たちは否応なく秀吉の前に頭を垂れることになる。その場面で「最上と伊達は同盟を結んだ強固な勢力だ」と見せられるかどうかが、全ての分岐点だ。
小田原評定まで、あと二年。
「七年あると思ったら大間違いだ」と、私は静かに呟いた。「戦国時代は、のんびりしていると死ぬ」
夜が明けた。
私は文机の前に座り直し、改めて「惣無事令」について考えた。
昨日、義光が縁側でぽろりと言っていた言葉——「南の猿が惣無事令とやらを出しおった」。あの時の義光の目には、軽侮の色の奥に、確かな警戒があった。この人はわかっている。わかっていながら、止まれない。
惣無事令。先年の天正十五年(一五八七年)、豊臣秀吉が九州平定の直後に発した命令だ。
内容は一言で言えば「大名同士で勝手に戦うな」。領土紛争は秀吉が裁定する、私戦は禁止——そう聞けば穏やかな平和令のように聞こえる。
でも実態は違う。
前世の私が史学科で学んだ解釈を言えば、これは「法律の形を借りた支配の道具」だ。違反した大名は「秀吉への反逆」とみなされ、改易や討伐の口実を与える。「法を守れ」と言いながら、実際には「従うか、滅ぶか」を迫っている。
そして今、大崎合戦はこの惣無事令に真っ向から違反している。
——最悪のシナリオを、描いてみよう。
最上と伊達が大崎合戦で激突する。どちらが勝っても、両家は消耗する。兵を失い、兵糧を使い果たし、国力が落ちる。そこへ秀吉が「惣無事令違反」を口実に介入してくる。疲弊した両家は、強い立場で交渉できない。豊臣の要求を呑むしかなくなる。
そして一五九五年——弱った義光の手元に、秀次からの要求が届く。
「駒姫を側室に」
義光は嫌がる。でも断れない。なぜなら、もう力がないから。
「……これが、史実で起きたことだ」
私は静かに呟いた。燭台の炎が、朝の光の中で薄く揺れている。
でも逆に考えれば——大崎合戦さえ止めれば、話は変わる。
最上と伊達が「惣無事令を守った模範的な大名」として小田原評定に臨めば、秀吉への立場が全く違う。「東北の二大勢力が手を結んで、ちゃんと法を守っています」という姿勢は、外交上の強力な武器になる。
「惣無事令は、秀吉が東北を喰うための罠だ」
私は筆を取り、頭の中の整理を紙に書き付けた。七歳の姫が書く文字としては、あまりにも整いすぎているが、今は気にしない。
「違反すれば討伐の口実になる。守れば——守れば、こちらが主導権を持てる」
史実の義光は、この罠に気づいていた。でも一人では止められなかった。
——だから、わしが動く。
……あ。
「わし」って言ってしまった。
お父様の口癖が、完全に移っている。これはまずい。
午前の陽光が縁側に差し込む頃、私は氏家守棟を呼んだ。
氏家が現れたのは、それから少しして後だった。
年齢は四十代の終わり頃だろうか。引き締まった体躯に、落ち着いた色の小袖。顔立ちは実直そうで、目だけが静かに鋭い。義光が信任する知将、という評判は、この目を見ればわかる気がした。
「姫様、お呼びでございますか」
深々と頭を下げる。礼儀は完璧だ。でもその目の奥には——「この姫様は何を言い出すのか」という、警戒と好奇心が混在していた。
——昨日、軍議の廊下で目が合った時から、この人はずっと私を観察している。
「はい。お願いがあって」
私は愛らしく微笑んだ。七歳の姫として、完璧な笑顔のつもりだ。
「……何なりと」
「義姫様に、この文を届けていただきたいのです」
懐から、昨夜書いた文を取り出した。丁寧に折り畳まれた、小さな紙。
氏家の目が、わずかに動いた。
「……姫様が、義姫様に?」
「はい。父上と政宗様の争いを、止めたいのです」
短い沈黙が流れた。
「……それは、殿のご意向でございますか」
核心を突く問いだ。さすがは知将、と私は内心で思った。
「父上は……まだご存知ありません」
氏家の眉が、かすかに動いた。
「でも——」
私は一瞬だけ、迷った。
ここで「七歳の姫」の仮面を外すのか。この人を信じるのか。
——信じるしかない。一人では動けない。
「このまま戦えば、最上家も伊達家も、豊臣に喰われます」
声のトーンが、変わった。愛らしい姫の声ではなく、もっと静かで、もっと真剣な声に。
「守棟様、あなたもそれはわかっておられるはずです」
氏家が、動かなくなった。
七歳の姫が言うべき言葉ではない。しかも——正しい。この人の目が、そう言っていた。
長い沈黙が流れた。縁側の外で、春の風が庭木を揺らす音がした。
「……姫様は」
氏家が、静かに口を開いた。
「いつから、そのようなことを」
「生まれた時から、少し……人と違うのかもしれません」
私は微笑んだ。嘘ではない。転生者だと言えないだけで、事実だ。
氏家がまた、黙った。
この人の頭の中で、何かが動いているのがわかった。「姫様が普通ではない」という認識から、「では、この姫様をどう扱うべきか」という判断へ——その思考の過程が、目の動きに出ている。
「……一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
氏家が、静かに言った。
「姫様は——何のために、これをなさるのですか」
私は一瞬だけ、黙った。
この問いは、予想していた。でも答えるのは、少し怖い。
「……生き延びるためです」
正直に言った。
「そして——大切な人たちを守るために」
氏家の目が、わずかに細くなった。何かを確かめるような目だ。
また、沈黙。
今度は長かった。庭の風が二度、三度と吹き抜けた。
やがて氏家は、深く、深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
その言葉の重さを、私は全身で受け取った。
——第一の協力者、確保。
内心でそう呟きながら、私は「ありがとうございます、氏家殿」と、できる限り愛らしく微笑んだ。
本日UPは第4話までを予定しています。




