第2話「父・義光は謀将のくせに、私にはデロデロの親バカでした。」(後半)
駒が義光に追い打ちをかけます(笑)
地の文を中心に改稿しました(4/30)
昼過ぎ、お父様が再びひょっこりと姿を現した。
一刻を争うはずの軍議を「一時中断」してわざわざやって来たのだと、背後に控える鮭延殿が盛大に天を仰いでいた。胃薬でも差し入れた方がいいかもしれない。
ぽかぽかと暖かい庭の縁側に並んで腰を下ろすと、お父様はデレデレに崩れた顔で「駒よ、何か欲しいものはないか」と尋ねてきた。
「父上のお話が聞きたいです」
私がおねだりするように言うと、お父様の厳つい顔が、ぱあっと花が咲いたように明るくなった。
「そうか! では何でも聞け! わしは何でも話してやるぞ!」
——よし。チョロい。情報収集、開始だ。
私は「はいっ」「すごいです!」と絶妙なタイミングで相槌を打ちながら、お父様の長々とした「昔話」に熱心に耳を傾けた。お父様は元々かなりの喋り好きだ。しかも、目の中に入れても痛くない愛娘に自分の話を聞いてもらえると思うと、その饒舌さにはさらに拍車がかかるらしい。
「大崎の義隆はな、儂にとっては義理の兄じゃが……少し頼りなくてな。あやつが大崎をしっかり治めておれば、政宗も付け入る隙がなかったのじゃが」
——ふむふむ。大崎家の内情。当主の義隆は頼りない、と。内紛があったらしい。それが、政宗従兄様に攻め込まれる直接の原因になったわけだ。
「政宗のやつは、あやつの父親——輝宗が死んでから変わった。あやつは止まらん。伊達の旗の下に奥州を束ねるつもりじゃろうが……」
——伊達家の現状。政宗従兄様は偉大な父の死後、タガが外れたように急速に領土拡大を進めている。止まらない、か。お父様自身も、その勢いと野心をはっきりと認めている。
「南の猿が惣無事令とやらを出しおった。ふん、東北まで口を出すつもりか。大名同士で戦うな、じゃと。笑わせる」
——豊臣からの圧力。お父様は天下人である秀吉を「南の猿」と呼んで鼻で笑い、軽んじているように見える。けれど、その目の奥には確かな警戒の色が潜んでいる。この人は決して馬鹿じゃない。豊臣の強大さも、惣無事令の持つ本当の恐ろしさも、ちゃんとわかっているのだ。
私はニコニコと愛らしい笑顔で相槌を打ちながら、頭の中では猛スピードで東北の地図を描き、情報を書き込んでいた。現在の東北の勢力図。最上、伊達、大崎、葛西、南部——それぞれの複雑な力関係と、南からじわじわと迫り来る豊臣という巨大な外圧。
「駒よ」
お父様が、ふと真剣な顔つきになった。
「わしはな、お前のためなら何でもできる気がするぞ」
——その言葉、言質としてしっかり取らせていただきました。後で有効に使わせてもらいますよ、お父様。
「……駒は、父上のことが大好きです」
「ぬ、ぬおっ……! また言いおった……!!」
お父様が顔をゆでダコのように赤くして、身悶えしながら悶絶している横で、私は冷静に集めた情報を整理した。
そこへ、慌ただしい足音を立てて家臣が走ってきた。
「殿! 急報にございます! 伊達軍、大崎領深くへ進軍。我が軍との衝突、時間の問題かと!」
お父様の顔が、一瞬で変わった。
縁側に並んで座っていた大きな身体が、スッと音もなく立ち上がる。だらしなく緩みきっていた表情が引き締まり、獲物を狙う猛禽のように目が鋭くなる。先ほどまでの親バカ全開の顔は、もうどこにもない。
「……出陣の準備をせよ」
地の底から響くような、低く、静かな声だった。
「……政宗め。伯父の言うことを聞かぬか」
——あ。伯父として、政宗従兄様を気にかけている。完全な敵意ではない。
私はお父様の横顔を見上げながら、静かに、しかし確かな手応えを感じていた。
——来た。これが私の運命を分ける、第一の分岐点だ。
夜、城内では松明が焚かれ、出陣準備の慌ただしい音が絶え間なく続いていた。
重たい鎧を磨く音、馬のいななく声、大量の兵糧を運ぶ足音。山形城全体が、血生臭い戦の気配に満ち満ちている。
私はしんと静まり返った居室に一人で座り、今日一日で得た貴重な情報を頭の中で整理した。
一つ目。お父様の親バカっぷりは、予想の三倍はひどかった。これは間違いなく最大の武器になる。
二つ目。鮭延秀綱殿は、すでに気づいている。この七歳の姫がただの子供ではないということに。彼はいずれ、私の強力な協力者になれる。
三つ目。お父様は政宗従兄様を「伯父として」気にかけている。完全な敵意ではない。そこに、交渉の楔を打てる。
そして四つ目。大崎合戦は、このままでは絶対に止まらない。
——ならば、私が止めに行くしかない。
私は文机に向かい、小さな手で筆を取った。
書くのは、義姫様——政宗従兄様の母君への文だ。
義姫様。お父様の妹君。伊達輝宗に嫁ぎ、政宗従兄様を産んだ人。最上家と伊達家を繋ぐ、唯一の太い血の繋がり。気性が激しく、行動力抜群——そして、私の叔母上様。前世の記憶が、彼女の人物像をそう教えている。
私は筆をたっぷりと墨に浸し、静かに書き始めた。
叔母上、初めてお文を差し上げます。駒と申します——
七歳の子供が書く文としては、あまりにも流麗で整った文字だった。侍女たちが見たら腰を抜かして驚くだろう。でも今は、そんな些細なことを気にしている場合ではないのだ。
書き終えた文を、揺らめく燭台の明かりにかざして確認する。
「今日わかったことが三つある」
考えをまとめる時に独り言を言う癖は、前世からちっとも変わらない。
「お父様の親バカは想定の三倍だった。鮭延殿は使える。そして——義光という人は、身内のためなら動く」
ふっと、燭台の炎が静かに揺れた。
「私の処刑フラグを折るための最初の一手は、お父様の『甥バカ』を引き出すことだ。政宗お兄様は、父上の甥でもある。そこに、楔を打つ」
私は文を丁寧に折り畳んで、懐の奥深くに大事に収めた。
明日、氏家殿に頼み込んで密使を立ててもらおう。七歳の姫が単独で動くには、どうしたって限界がある。でも、文を送って大人を動かすことならできる。
「叔母上——義姫様」
しんとした夜の闇に向かって、私は静かに語りかけた。
「あなたの力が、必要です」
城の外から、ヒューッと風の音が聞こえた。出羽の春の夜は、まだまだ凍えるように冷たい。
でも私の胸の中には、決して消えることのない静かな炎が赤々と燃えていた。
七歳の幼女が、天下の情勢を動かす。
——その第一歩は、明日から始まる。
叔母上(義姫様)は少し怖いかも?




