第27話「噂は中央へ——秀吉『奥州の狐と独眼竜が手を結んだじゃと?』」(後半)
その夜。
私は一人、静かに揺れる燭台の炎の前に座り、前世の記憶という名の『歴史チート年表』を必死に脳内で検索していた。
——ここまでは、概ね私のプラン通りと言っていい。
天下人である秀吉が、奥州の不穏な動きに気づいた。あれだけド派手な合同演習を白日の下で行えば、当然、各国の密偵を通じて大坂に情報が漏れる。それは最初から計算の上だった。
——しかし、秀吉が『七歳の娘が仲介した』というピンポイントな情報を得ているとすれば……私は、あの化け物の目に留まってしまったかもしれない。
これは、想定よりも少し、いや、かなり早い。今の私の最終目標は、十五歳で秀次事件に連座して処刑されるという理不尽な運命を回避すること。天下人・秀吉の目に留まるのは、ハイリスクな賭けでもある。
——いや、落ち着こう。今は北条が先のはず。
秀吉は一五九〇年まで、北条家の小田原征伐に全精力を集中するはず。奥州に本格的に手を伸ばしてくるのは、それ以降だ。まだ、準備をする時間はある。
——問題は、上杉だ。
私の脳裏に、血塗られた歴史の年表が浮かび上がる。
「十五里ヶ原の戦い」。史実では一五八八年八月、上杉景勝の重臣である猛将・本庄繁長が庄内に侵攻し、最上軍は圧倒的な敗北を喫した。最上家はこれにより、莫大な富を生む豊かな庄内地方をまるごと失うことになる。
——でも、今回は違う。
史実では、伊達政宗は最上を助けなかった。しかし今回は、すでに強固な「東北大同盟」が成立している。援軍を要請すれば、あの従妹バカの政宗従兄様は必ず動くだろう。
——そして、もう一つの鍵。「惣無事令」だ。
一五八七年に秀吉が発令した、大名間の私戦禁止令。これに違反すれば、秀吉に「天下の法を破った」として領地を削られる大義名分を与えてしまう。最上も上杉も、薄氷を踏むような危険な綱渡りをしている。
——でも、上杉が先に動けば、最上は「自国を防衛しただけだ」と堂々と主張できる。この論理武装を、今から完璧に準備しておかなければ。
私は、頭の中で次の一手を三つに整理した。
一つ目、伊達家へ超特急で援軍を要請するための根回しを密かに進めること。
二つ目、上杉が動いた瞬間に、大坂の秀吉へ「上杉が惣無事令を破って侵略してきた」というチクリ報告書を最速で送りつけること。
三つ目、戦の被害を最小限に抑え、最上の生命線である庄内を死守すること。
「——十五歳での処刑回避の道は、まだ長い。でも……一歩一歩、確実に進んでいる」
私は、静かに、しかし力強く自分自身に確認した。
翌朝。
私は、お父様の居室を訪れた。
部屋に入ると、お父様と氏家守棟殿が、ひどく深刻な顔つきで広げられた絵図面を囲んでいた。いつもの「駒〜〜!」という親バカな空気は微塵もなく、そこにあるのは、冷徹に盤面を見据える、本物の「戦国大名・最上義光」の顔だった。
「駒か。どうした、朝から」
お父様が、鋭く冷たい視線を少しだけ和らげて私を見る。私はゴクリと唾を飲み込み、手にした書状を差し出した。
「お父様、義姫様からお文が届きました。……大坂の秀吉が我々の合同演習に気づいたこと、そして、上杉が庄内への侵攻を企てているという知らせです」
私がそう報告すると、お父様は「……そうか。義の耳にもすでに入っていたか」と、ひどく静かに頷いた。
その声に、驚きはなかった。
氏家殿が、静かに口を開く。
「姫様。我らの羽黒山伏からも、昨夜、全く同じ報告が上がっております。大坂の動きも、越後の上杉景勝の不穏な軍議の様子も」
——お父様たちは、すでに知っていたのか。
私はハッとした。
よく考えれば当然だ。奥羽の覇者を争う「羽州の狐」が、他国からの手紙で自国の危機を知るはずがない。最上家の情報網は、大坂や越後の深枢まで、すでにしっかりと張り巡らされているのだ。
「あれだけの演習を行えば、大坂に情報が漏れるのは織り込み済みだ。問題は……上杉よ」
お父様が、絵図面の庄内地方をトントンと指で叩く。その顔は、血に飢えた夜叉のように険しい。
「上杉景勝……。本庄繁長を動かし、我が最上の庄内を力ずくで奪い取る腹積もりだろう。氏家、防衛の兵を急ぎ集めよ」
「はっ。しかし殿、こちらから先に大軍を動かせば、秀吉の『惣無事令』に触れる口実を与えかねません」
氏家殿の懸念に、お父様がギリッと歯を鳴らす。
私は、すかさず一歩前に出た。
「お父様、氏家殿の仰る通りです。今すぐこちらから軍を動かす必要はありません。惣無事令の建前があります。上杉が先に動くのを待ち、『防衛』の形をとるべきです」
「……防衛戦か。だが、上杉の軍勢は強大だ。庄内の兵だけでは持ちこたえられんぞ」
お父様が、私を七歳の娘としてではなく、一人の軍師として扱うような真剣な目で問う。
「だからこそ、伊達です」
私は、はっきりと答えた。
「まず、伊達家へ使者を送ってください。上杉が動いた時、すぐに援軍を要請できるよう、政宗従兄様と連携を取るのです。合同演習で見せた最上・伊達の同盟の力を、今こそ使う時ですわ」
お父様と氏家殿が、ハッと顔を見合わせた。
「……なるほど。政宗の軍勢が背後から上杉を牽制すれば、奴らも容易には動けまい」
お父様が、ニヤリと「羽州の狐」らしい悪魔的な笑みを浮かべる。
「相分かった。すぐに米沢へ使者を走らせよう。駒よ、大儀であった」
お父様は深く頷いた。ふう、なんとか第一関門は突破、かな?
天下人・秀吉の不気味な影が忍び寄り、上杉の脅威がすぐそこにまで迫る。
奥州の短い夏が、かつてない熱を帯びて始まろうとしていた。
私の、そして最上家の生き残りを賭けた次なる戦いが、幕を開けたのだ。
戦国時代というと「力こそ正義」の印象がありますが、秀吉の天下統一が進んだこの頃は少し事情が変わります。
惣無事令の登場で、大名たちは私戦を起こしにくくなり、戦うにも法的な言い訳が必要になりました。
この時代の奥州が面白いのは、合戦そのもの以上に、誰が大義名分を握るかの勝負になっているところですね。




