第24話「米沢城への訪問——愛姫との交流と小次郎との初対面」(前半)
初夏の爽やかな風が、青葉を揺らして心地よく吹き抜けるある日のこと。
私からの「米沢城への訪問」という大胆な提案は、お父様と政宗従兄様の間で驚くほどあっさりと合意に至り、私たちは伊達家の本拠地へと向けて出発することになった。
しかし、出発前の山形城では、予想通りというかいつものように盛大な一悶着が起きていた。
「護衛を百人つける!」
お父様が、謁見の間でバンッ!と激しく床几を叩いて高らかに宣言した。
それを受けた氏家守棟殿が、深く、ひどく深く、見ているこちらの寿命まで縮むようなため息をついてたしなめる。
「殿……それは、伊達家への威圧になりかねません。今回はあくまで友好訪問、経済同盟の話し合いのための使節でございます。軍勢を率いていくような真似はどうかお控えください」
「ならん! 駒の安全のためだ! あの腹黒い政宗の領地に行くのだぞ、道中で何が起こるかわからんではないか!」
お父様が、親バカ全開の理不尽な理屈で言い張る。自分の「羽州の狐」という、奥羽の諸大名から恐れられる異名を完全に棚に上げて、政宗従兄様を腹黒呼ばわりである。……どの口が言っているのだろうか。
鮭延秀綱殿が「殿、いくらなんでも百人は……」と静かに言うが、お父様は全く聞く耳を持たない。
「……わかった。ならば五十人にする! これ以上は絶対に譲らんぞ!」
氏家殿と鮭延殿が、無言で顔を見合わせ、この世の終わりのような絶望的な目配せをしている。
——お父様の過保護が、せっかくの繊細な外交を台無しにしようとしている。
私が内心で盛大に頭を抱えていると、ずっと黙って様子を見ていたお母様——お父様の正室であり、私の生母である妙姫が、静かに口を開いた。
「殿。十人で十分です」
ピタリ、とお父様の動きが止まった。
「……わかった」
——お母様、最強だ。
私は内心で深く、深く平伏した。あんなに頑なだったお父様が、反論一つせず即座に折れるなんて。大崎義隆様の妹であり、普段は物静かながらも、いざという時は奥羽の覇者たるお父様を完全に尻に敷いているお母様の一言は、本当に魔法のような強制力を持っているのだった。
お父様が慌ただしく準備の指示を出すために広間を出て行くと、静寂が戻った室内で、お母様が私の方に向き直った。ふわりと春の花がほころぶような、優しく穏やかな微笑みだった。
「駒。此度の米沢行き、大役ですね。気をつけて行ってきなさい」
「はい、お母様。しっかりと最上と伊達の懸け橋になってまいります」
私が元気いっぱいに答えると、お母様は少しだけ伏せ目がちになり、私の小さな手を温かな両手でそっと包み込んだ。
「……ありがとう、駒。大崎の兄上のこと……あなたが政宗殿と殿の間を取り持ってくれたおかげで、大崎家は滅亡を免れました。実家の危機を救ってくれたこと、母として、そして大崎の娘として、心から感謝しています」
お母様の声には、深い安堵と、震えるような感謝が滲んでいた。大崎合戦の最中、実の兄である大崎義隆とお父様、そして伊達家が血で血を洗う争いをしている間、お母様がどれほど心を痛めていたか。私には想像することしかできないが、その重圧は計り知れなかったはずだ。
「お母様……。私はただ、身内が傷つけ合うのを見たくなかっただけです。お母様が悲しむお顔も、見たくありませんでしたから」
(……処刑回避のフラグ潰しは置いていて……)私が素直な気持ちを伝えると、お母様は目元を少し潤ませて、私の頭を優しく、何度も撫でてくれた。
「本当に、あなたは七歳とは思えないほど賢く、そして優しい子。……殿が過保護になる気持ちも、少しだけわかります」
しんみりとした空気の中、パタパタと小気味よい足音が近づいてきた。
「姉上! 僕も行く! 僕も米沢に行く!」
元気いっぱいに飛び込んできたのは、私より一つ年下の弟、竹丸だった。
「竹丸、あなたはまだ小さいからお留守番よ。お城でお父様の帰りをお母様と一緒にお利口に待っていなさい」
私が姉らしく諭すと、竹丸はぷくっと可愛らしく頬を膨らませた。
「えー! 姉上ばっかりずるい! 僕も伊達の政宗様に会ってみたいのに!」
「政宗従兄様は、竹丸がもう少し大きくなって、立派な武士になったら会ってくれるわ。だから今は、剣の素振りを頑張りなさい」
「……うん、わかった! 僕、強くなる!」
竹丸は単純で可愛い。前世の歴史知識によれば、彼はのちに徳川家康の近習となり、その偏諱を受けて「最上家親」と名乗り、最上家二代藩主となる人物だ。しかし、史実では彼もまた数奇な運命を辿り、最上家改易の遠因を作ることになる。今はただ、この平和な笑顔を守り、最上家の未来を少しでも明るいものにしたいと強く思った。
そうして山形城を出発した私たち一行は、初夏の出羽の美しい景色を眺めながら、米沢へと続く街道を進んだ。
私は揺れる輿の中から、外の景色をじっと観察していた。
——米沢城。伊達家の本拠地。政宗従兄様が大幅に整備し、奥羽の覇者としての威容を誇る城。前世の史学科で学んだ知識では……現在は上杉神社が建っている場所だ。
そこに、どんな出会いが待っているのだろうか。期待と緊張が入り混じる。
しかし、そんな私の風流な思考や歴史的感傷は、数分おきに飛んでくる声によって幾度となく完膚なきまでに遮られた。
「駒、寒くないか」
「駒、揺れていないか。気分は悪くないか」
「駒、水を飲んだか。喉は渇いていないか」
馬上から、お父様が過剰なまでに心配してくるのだ。
——お父様。今は初夏です。寒くはありません。それに私は七歳ですが、それなりに丈夫です。でも……心配してくれているのは、痛いほどわかっている。
「大丈夫です、お父様。とても快適ですわ」
私が七歳児の完璧で愛らしい笑顔で答え続けると、お父様は「そうか、ならばよいが……」と言いながら、また五分後に「駒、疲れていないか」と問いかけてきた。
同行している鮭延殿が「……(殿は、本当に)」と呆れ顔で天を仰いでいるのが見えた。
数日後、私たちは無事に米沢城へと到着した。
——さすが伊達家の本拠地。山形城よりはるかに大きく、堅牢な造りだ。
私が内心でその威容に感嘆していると、大手門には、美しい装束に身を包んだ女性が静かに出迎えてくれていた。政宗従兄様の正室、愛姫様だ。
旅塵を帯びた私たち一行に、愛姫様はふわりと、春風のように優しく微笑んだ。
「義光様、そして駒姫様。ようこそいらっしゃいました。長旅でお疲れでしょう」
——愛姫様は、本当に優しい。お姉様みたいだ。
前世でも、こんな綺麗で優しいお姉さんがいたら良かったな、と素直に思う。
お父様が、咳払いをして大名の顔を作って言った。
「愛姫殿、出迎え大儀である。駒をよろしく頼む」
「もちろんです。駒姫様は私が責任を持ってご案内いたします」
愛姫様が微笑んで答えると、お父様は周囲を鋭く見回した。
「……政宗は」
「政宗様は、ただいま重臣たちと軍議の途中でございます。後ほどお時間をいただけますか」
「……わかった」
お父様が渋々頷く。
——お父様は、政宗従兄様に会いたいのか、会いたくないのか、どっちなんだろう。
私が内心でツッコんでいると、片倉景綱殿が進み出て、「義光殿、こちらへどうぞ」とお父様を客間へと案内していった。景綱殿の顔色は、相変わらず少し悪い。胃薬を差し入れたい気分だ。
愛姫様が、私の小さな手をそっと取った。
「駒姫様、城内をご案内しますね。少し休まれますか?」
「いえ、大丈夫です! お城を見せてください!」
——愛姫様の手は、とても温かい。本当に……お姉様みたいだ。




