第22話「駒姫の次なる一手——『同盟を強固にするための経済協力』」(前半)
長く張り詰めていた緊張の糸が、ようやくぷつりと解けた。
私たち最上の軍勢は、出羽国の本拠地・山形城へと無事に帰還を果たしていた。
城内はまさに、お祭り騒ぎの真っ只中。
当主であるお父様が泥沼の合戦を回避して無傷で戻ったこと。そして何より、あの厄介極まりない伊達家と「奇跡の和睦」を結んだという報せに、誰もが狂喜乱舞しているのだ。
けれど。
私は自室の文机の前にちょこんと座り、一人静かに前世の記憶と今後の『生存戦略』を整理していた。
(――大崎合戦での最悪の衝突は避けられた。伊達家との軍事同盟も、ひとまずは成立、ね)
だが、私の現代人としての脳は、冷徹に現状を分析し続けている。
ぶっちゃけ、これだけではまだ全然「脆い」。
(戦国時代における『軍事同盟』なんて、所詮は紙切れ一枚の口約束に過ぎないんだから)
状況が変われば、昨日の友は今日の敵。それがこの血で血を洗う乱世のスタンダードだ。
(同盟をガチガチに強固にするには、絶対に『経済的な結びつき』を作るしかない)
感情や義理なんて不安定なものより、利益で繋がった関係の方が遥かに長続きする。お互いに「手を組んでいた方が絶対に儲かる(=裏切ると損をする)」という状況をデザインしてしまえばいいのだ。
(最上の特産品といえば、紅花。対する伊達の特産は、東北最強と名高い軍馬……。この二つを結びつければ、強固なサプライチェーンが生まれるはず)
そして……もう一つ。私の命運を握るであろう『酒造技術』の交流だ。
大崎の陣営で、和睦の盃に注がれたドロドロの「濁り酒」を見た時からずっと考えていたことがある。
戦国時代の酒は、どぶろくが主流だ。けれど、木灰を投入してタンパク質を沈殿させる「灰持酒」の技術を応用し、濾過プロセスをチート改良すれば、現代のような澄み切った清酒が作れるはず。
東北の豊かな米と、寒冷な気候を活かした低温発酵。これらを組み合わせれば、京や大坂のセレブたちにも高値で飛ぶように売れるキラーコンテンツになる。
「姫様、お顔の色が少し悪いようですが……お加減でも?」
傍らに控えていた侍女の小春が、心配そうに私の顔を覗き込んできた。
私はハッとして、七歳の幼女らしい、とびきりあざとい愛らしさ全開の笑みを浮かべてふるふると首を振った。
「ううん、大丈夫よ小春。少し、考え事をしていただけだから」
(――さあ、次の一手を打たなきゃ)
十五歳での処刑フラグをへし折るためのロードマップは、まだ始まったばかりなのだから。
その日の午後。
私は、お父様の居室である謁見の間を訪れた。
「お父様、少しお時間をいただけますか」
ちょこんと三つ指をついて申し出ると、上座で難しい顔をして書類を睨んでいたお父様が、弾かれたようにバッと顔を上げた。
「何だ、駒! 体の具合でも悪いか!? いますぐ医者を呼ぼうか!」
即座に親バカ全開のパニック反応を示すお父様に、私は内心で盛大にツッコミを入れた。
(お父様、いくらなんでも過保護すぎ。私、ただ声をかけただけですよ!?)
「いえ、お父様。体調は万全です。今日は……お父様に、ご提案があって参りました」
私が真剣なトーンで告げると、お父様は少しだけ目を丸くした。傍らに控えていた重臣の氏家守棟殿と鮭延秀綱殿も、不思議そうに私を見つめている。
「提案、だと?」
「はい。伊達家との同盟についてです」
私は、居住まいを正してはっきりと切り出した。
「軍事同盟だけでは、いずれ脆く崩れます。経済的な結びつきを太くすれば、同盟は自然と強固になります」
しん、と。
謁見の間に、水を打ったような静寂が落ちた。
お父様が、ひどく苦い顔をしてこめかみを押さえた。
「……七歳の娘に、経済を語られるとは思わなかったわ」
鮭延殿が「殿……」と声をかけながら、たまらないというように苦笑いしている。うん、なんだか胃が痛そうだ。
お父様は、一つ大きなため息をついてから、真剣な「大名」の顔に戻った。
「……続けよ」
「はい。最上の紅花と、伊達の馬を結びつける流通網を作ります」
私は、頭の中で完璧に構築したプレゼン資料を、淀みなくアウトプットしていく。
「最上の紅花は、京や大坂でも高値で売れる極上の染料。一方、伊達の馬は東北最強の軍馬です。この二つを組み合わせ、互いの領地を自由に行き来できる特権を与えれば、東北全体の経済が大きく潤います」
お父様が、腕を組んで「……なるほど」と深く頷いた。
「そして――もう一つ。酒造技術の交流も提案いたします」
「酒造技術、だと?」
「はい。現在の濁り酒は、濾過技術が未発達です。木灰を使って濾過すれば、透明で美味しい清酒が作れます。東北の寒冷な気候を活かした低温発酵を取り入れれば、品質も格段に向上します」
お父様が、鋭い鷹のような目で私をじっと見つめてきた。
「……駒。お前はどこで、そのようなことを知ったのだ」
(――来た!)
私は、用意していた最強のテンプレ回答を、七歳児の無敵な愛らしさとともに繰り出した。
「勘です!」
お父様が、ガクッと派手に肩を落とした。
「……勘、か。お前の勘は、時折恐ろしいほど的を射るからな……」
お父様はぶつぶつと呟きながら、再び深く腕を組んだ。
ふう、どうやら誤魔化せたらしい。チョロい。
その時、ずっと黙って聞いていた氏家殿が、静かに口を開いた。
「殿、姫様、一つよろしいですか」
「はい、氏家殿」
「姫様のご提案は、確かに理にかなっております。最上家にとっても多大な利益をもたらすでしょう。しかし……これを実行するには、伊達家との綿密な交渉が必要です。殿が、直接動かれますか?」
氏家殿の問いは、極めて現実的だった。いくら素晴らしいビジネスプランをぶち上げたところで、トップが本気で動かなければ「絵に描いた餅」に過ぎない。
すると、お父様が即座に、一切の迷いなく言い切った。
「当然だ。駒が考えたのだから、俺が動く」
(――えっ)
私は内心で、盛大にずっこけた。
(お父様!? 『国益になるから』じゃなくて『駒が考えたから』が動く理由なの!? お父様の親バカパワーが、最上家の外交を直接ドライブしてるんだけど。嘘でしょ!?)
笑えない。全然笑えないけれど……結果オーライなんだから、ありがたく受け取っておくべき?
氏家殿が、静かに、しかしどこか呆れ果てたような感嘆の息を吐いた。
「……承知いたしました。では、至急伊達家への書状を準備いたします」
「うむ。書状には必ず『駒が考えた』と書けよ」
(――お父様、そこは絶対に書かなくていいから!)
私は心の中で全力のツッコミを叩き込んだ。鮭延殿も「殿……それはさすがに……」と引きつった笑いを浮かべている。
「何だ。駒の類まれなる功績を、あの小生意気な政宗に知らしめてやるのだ。伯父としての威厳を見せつけてやらねばならんからな」
お父様は、ふんっと鼻息を荒くして胸を張っている。
(結局、政宗従兄様にマウントを取りたいだけじゃない……!)
でも、そのおかげで最上家の外交が凄まじいスピードで動き始めたのは事実だ。これこそが、親バカがもたらす想定外の副産物。控えめに言って、恐ろしすぎる。
私は、自分の練りに練った提案が、斜め上の理由で即決・即実行されていく様子を前に、ただただ引きつった笑いを浮かべるしかなかった。




