第20話「政宗、駒姫を膝に乗せてご満悦——義光、歯ぎしりする」(後半)
「政宗……いい加減に、その手を離さんか」
お父様の額にピキリと鮮やかな青筋が浮かぶ。ドスの効いた声は、火山が噴火する直前の地鳴りのようだ。
けれども独眼竜・政宗従兄様はどこ吹く風。涼しい顔をして、あろうことか私の頭をポンポンしながらさらりと言い返した。
「構わぬでしょう。俺の可愛い従妹だ。伯父御に遠慮する理由などない」
「俺の! 大事な! 娘だ!!」
「フン、俺が先に『予約』したんだ」
「何をガキみたいなことを……っ!」
「伯父御こそ、大人気ない。そんなに目くじらを立てずとも良いではないか。器が小さいと思われるぞ?」
(――嘘でしょ、この人たち……)
東北の二大覇者が、七歳の幼女をセンターに据えて本気の大人気ないバトルを繰り広げている。
周囲の家臣たちが「誰か止めてくれ」と言いたげにオロオロと見守る中、私は政宗従兄様の膝の上で借りてきた猫のように硬直しながら、内心で深く、深〜い溜息をついた。
(あのー。私、一応人間なんですけど。お二人の所有物じゃないんですけど)
呆れ果てて言葉も出ない状況。
けれど、殺伐とした戦国時代の真ん中で、この二人が本気で私を奪い合っている。その事実がほんの少しだけくすぐったくて、不覚にも「あ、ちょっと嬉しいかも」なんて思ってしまう自分がいる。
そんな中、大崎義隆様が「あ、あの、お二人とも……仲良く、ね?」と勇気を振り絞って割って入ろうとした。
が、二人の放つ凄まじい威圧感に一瞬で気圧され、シュンと借りてきた猫どころか置物のように黙り込んでしまった。
(……不憫だ、義隆様。やっぱりこの人、癒やし枠としてしか使えないわ)
ふと見れば、片倉景綱殿はすでに天を仰ぎ、悟りを開いたような顔で胃を押さえている。
(――景綱殿、まだよ。私の処刑回避のロードマップは、まだ始まったばかりなんだから!)
一触即発の宴席。私の生存戦略は、今日も今日とて予想外の方向へとハンドルを切っていった。
その時だった。
天幕の入り口に、一人の女性が音もなく、けれど圧倒的な存在感を纏って姿を現した。
胃を押さえてうずくまっていた片倉景綱殿が、弾かれたように顔を上げる。
「――愛姫様……っ!?」
その悲鳴に近い驚愕の声に、天幕の中の全員が一斉に入り口へと首を巡らせた。
そこに凛として立っていたのは、政宗従兄様の正室・愛姫様。
二十歳前後だろうか。ハッとするほど整った美貌の持ち主だが、その豪奢な装束にはうっすらと土埃――旅塵が帯びている。
(――旅塵? え、まさか米沢城からわざわざ来たの!?)
私は脳内で猛スピードで計算を走らせた。
ここは最上軍の陣。米沢城からここまで、馬を飛ばしたとしても最短で半日はかかる。
景綱殿が、信じられないものを見るような目で問いかける。
「愛姫様、なぜここに……米沢からわざわざ……」
「和睦成立の知らせを受け、直ちに出立いたしました」
愛姫様は、背筋をピンと伸ばした美しい姿勢のまま、静かに、けれど毅然と答えた。
(昨日の今日で、もう着いたの!? この行動力、半端ない……!)
私はまじまじと彼女を見つめた。
この人は、ただ守られるだけの奥方じゃない。自分の意志で決断し、迷わず馬を飛ばして戦場まで来る。極めて優秀で、胆力のある女性だ。
愛姫様が、政宗従兄様に向かって静かに言葉を紡ぐ。
「殿、ご無事でしたか」
穏やかな声。けれど、まっすぐな瞳の奥には「どれほど心配したと思っているのですか」という強い情念が、静かな炎のように宿っていた。
あの独眼竜・政宗従兄様が、珍しく「……愛姫」と、気圧されたような顔を見せている。
そして、愛姫様の視線が、政宗従兄様の膝の上に収まっている私を捉えた。
(あ、この子が噂の駒姫ね――)
そんな、鋭くも知性あふれる確認の視線。
愛姫様は私の前まで進み出ると、そっと膝をつき、春風のような微笑みを浮かべた。
「駒姫様、初めまして。政宗様からお話は伺っておりますよ」
(……優しい。そして、ものすごく聡い人だ)
一目で私の本質を見抜こうとするような知性の光。
愛姫様は、私の頭をそっと、慈しむように撫でてくれた。
「殿が『驚くほど賢い従妹だ』と絶賛しておられました。本当ですね、その瞳を見ればわかります」
そう言って私を全肯定してくれた愛姫様が、今度は政宗従兄様へと向き直る。
そして、その表情に「正妻の余裕」と「一抹の叱責」を乗せて、ピシャリと言い放った。
「殿。駒姫様を困らせてはいけませんよ。さあ、早く下ろして差し上げなさい」
政宗従兄様はバツが悪そうに「……わかっている」と口では言いつつも、なぜか私を膝に乗せたまま、腕の力を緩めようとしない。それどころか、お父様(義光)の「離せ!」という視線も加わって、現場はカオスを極めていく。
「――愛姫様まで……。ああ、これは……俺の胃は、本当に、限界だ……」
背後で、片倉景綱殿がついに白目を剥きながら、静かに、そしてゆっくりとその場に崩れ落ちた。
誰か! 至急、この忠臣に最強の胃薬を!!
愛姫様が到着してなお、お父様と政宗従兄様の「俺の娘だ」「俺の従妹だ」という不毛なタイトルマッチは続いていた。
愛姫様が困ったように「殿。政宗様……」とたしなめるも、一度スイッチの入った独眼竜は妙な意地を張って動こうとしない。
その時だった。
今までずっと黙って事の成り行きをウォッチしていた叔母様(義姫)が、スッと静かに立ち上がった。
「――二人とも」
その一言は、決して大きな声ではなかった。
けれど、天幕の空気を一瞬にして絶対零度に凍りつかせるだけの、圧倒的かつ理不尽なまでの威圧感があった。
叔母様は、お父様と政宗従兄様を交互に、氷のように冷ややかに見据え――静かに、しかし完璧なトドメを刺すように言い切った。
「二人とも、子供ですね」
ピタリ、と。
お父様と政宗従兄様が、魔法にかけられたように同時にフリーズした。
(――義姫様、最強すぎる……ッ!)
私は内心で深く、深く平伏した。愛姫様という「ブレーキ」すら効かなかった二人の暴走を、たった一言でシャットダウン。東北を代表する覇者たちが、まるで先生に叱られた幼稚園児のようにシュンと黙り込んでしまった。
伊達と最上を跨ぐ真の「食物連鎖の頂点」が誰なのか、完全に理解した瞬間だった。
叔母様が、私に向き直り、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「駒姫、大丈夫ですか?」
「はい、義姫様。ご心配をおかけしました」
私が七歳児の最強兵器「天使のスマイル」で答えると、殺伐(?)としていた宴の空気は、ようやく本来の落ち着きを取り戻したのだった。
やがて夜の帳が下り、波乱に満ちた宴会が静かに締めくくられていく。
私は天幕の外でパチパチと爆ぜる篝火を見つめながら、静かに思考をアップデートしていた。
(これが、東北大同盟の礎になる……)
でも、単なる軍事同盟だけでは脆い。次はもっと強固な「経済的」な結びつきを作らなきゃ。
最上の紅花に伊達の馬、そして――酒造技術の交流。
十五歳での処刑フラグをへし折るまでの道は、まだまだ長く険しい。でも、今日は確かに、大きな一歩を踏み出せたはずだ。
帰り際。
愛姫様がそっと私に近づき、誰にも聞こえないような小声で囁いた。
「駒姫様、またいつか……ゆっくりとお話ししましょうね」
私はその聡明で美しい瞳を見つめ返し、しっかりと力強く頷いた。
「――はい、愛姫様。ぜひ」
確信した。この方は信頼できる。
私と愛姫様の間に、男たちには内緒の、女同士の「静かな同盟」が生まれた瞬間だった。
愛姫は1568年(永禄11年)生まれ、駒姫の約13歳年上のお姉さまです。
愛姫が三春城から伊達政宗のもとへ嫁いだ1579年(天正7年)は、駒姫が誕生する2年前です。
史実の愛姫は、政宗の正室として仙台藩の礎を支え、80代まで長生きしました。




