第20話「政宗、駒姫を膝に乗せてご満悦——義光、歯ぎしりする」(前半)
「――んん……」
ふわり、と。深い水底から浮かび上がるように、ゆっくりと意識が浮上した。
鉛のように重いまぶたを押し上げると、ぼんやりとした視界に飛び込んできたのは、見知らぬ天幕の天井。
そして、そのすぐ下。
私の顔を至近距離から覗き込んでいる、鋭い隻眼とバッチリ目が合ってしまった。
「――目が覚めたか、従妹殿」
低く、けれど微かに安堵の滲んだ声。
……え? なんで政宗従兄様が、こんなパーソナルスペースゼロの距離にいるの?
状況が飲み込めず、私がぱちぱちと瞬きを繰り返していると、横から猛烈な勢いで巨大な影が割り込んできた。
「駒! 駒ぁ! よかった……本当によかった……!」
お父様だ。普段の冷静沈着で腹黒い「羽州の狐」の面影なんて、どこを探しても見当たらない。そこにあるのは、愛娘の生還に泣き出しそうな、ただのパニック親父の顔だ。私を抱き起こそうとするその大きな手は、隠しきれないほど震えている。
そんなお父様を横目で見やり、政宗従兄様がふんと鼻を鳴らした。
「俺が先に気づいたぞ、伯父御」
「……ぬかせ! 俺はずっと、一歩も引かずにここにいたわ!」
「だが、最初に声をかけたのは俺だ」
「俺の娘だぞ!」
(あ、そうか。私、倒れたんだわ……)
二人のトップ大名による、あまりにも大人気ないマウント合戦。それを聞きながら、私はズキズキと痛む頭の奥で、すんっと冷静に状況を把握した。
そうだ。濁り酒を甘酒と勘違いして一気飲み、急性アルコール中毒で華麗に自爆したんだった。
(……目覚めた私を前に、東北の双璧がこれ? 嘘でしょ?)
全然笑えない。笑えないけれど――なぜだか、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
処刑回避の打算とか、人脈構築とか、そういう面倒な計算は全部抜きにして。この二人は、本気で私のことを心配してくれていた。
その時、政宗従兄様の後ろから、幽霊のように青白い顔をした片倉景綱殿がそっと顔を出した。
「駒姫様、ご気分はいかがですか……」
……その顔色、昨日よりさらにヤバくなってない?
胃の辺りをそっと押さえている手には、もはや悲壮感すら漂っている。この人、私のせいで寿命縮めてるよね。ごめんなさい、片倉様。本当に苦労人すぎる。
傍らに控えていたお医者様が、深々と頭を下げた。
「大事ございません。しばらく安静にしていれば、すぐにお元気に戻られるでしょう」
その言葉に、天幕の中にいた全員が、ほうっと深い安堵の息を吐き出した。
どうやら、私が倒れた直後から、お父様と政宗従兄様はずっと私のそばに張り付いて「俺の方が心配している」「いや俺だ」と、不毛すぎるデッドヒートを繰り広げていたらしい。
(本当に、この人たちったら……)
私は内心でこっそりと苦笑しながら、七歳の幼女らしい、とびきり愛らしいスマイルを浮かべてみせた。
「お父様、従兄様。ご心配をおかけしました。もう、大丈夫です」
お医者様のお墨付きも出たことで、中断されていた宴会がようやくリスタート。
私はお父様の隣にちょこんと座り直し、今度こそ絶対に間違えないように、細心の注意を払って侍女に頼む。
「――お、お水をお願いします」
運ばれてきた冷たい水が、火照った喉を心地よく潤してくれた。
宴会が再開されて、しばらく経ったころのこと。
政宗従兄様が、不敵な笑みを浮かべて私を手招きした。
「従妹殿よ。ちょっとこちらへ来ぬか」
「……え?」
戸惑う間もなかった。政宗従兄様はひょいっと軽い手つきで私を抱き上げると、あろうことか、そのまま自分の膝の上に乗せてしまったのだ。
(――って、えええええええっ!?)
私の脳内はパニック一色。絶叫マシーンに放り込まれた気分だ。
いや、わかる。わかるけど。七歳の幼女を膝に乗せるなんて、この時代なら親族間の微笑ましいスキンシップだ。現代の感覚で「セクハラ!」なんて叫ぶのは野暮だってことも。
……でも、問題はそこじゃない。
私は、恐る恐る「あの方」の顔を窺った。
お父様の顔が、みるみるうちに絶対零度の般若へと変貌していく。背後からは、視覚化されそうなほどのドス黒い怒りのオーラが立ち昇っていた。
「……殿……っ」
最上家重臣・鮭延秀綱殿が、引きつった顔で小声で制止するが、もはや手遅れ。お父様はすでに腰を浮かせ、いつでも抜刀できそうな態勢に入っている。
「――政宗ぇ」
地を這うような、底冷えのする声。
「殿! ここは宴の席! 他家の目もございますれば……ッ!」
氏家守棟殿が滝のような冷や汗を流しながら必死に袖を引くが、お父様は「わかっている」と言いつつ、目が完全に据わっている。絶対わかってない。怖い。
一方、大崎義隆様が「あ、あの……」と空気の読めないオロオロぶりを披露していたけれど、悲しいかな、完全にモブ扱いである。
そして、政宗従兄様の後ろでは――。
片倉景綱殿が「……胃が、また……」と、静かに胃を押さえて膝を突きかけていた。
(――主君が暴走し始めた。俺の胃壁が死ぬ)
景綱殿のそんな悲痛な心の叫びが、もはや幻聴として聞こえてくるレベルだ。
私は政宗従兄様の膝の上で、借りてきた猫のようにカチコチに固まっていた。
(これは……処刑回避的にアリなの!? いや、お父様と従兄様がここで決闘でも始めたら、せっかくの同盟が灰になるんですけど!)
けれど。
困り果てているはずなのに、政宗従兄様の膝の上は意外なほど温かくて。
猛禽類のような鋭いオーラを放つ独眼竜の腕の中は、悔しいけれど、妙な安心感があったのだ。




