第19話「戦後処理——大崎義隆を交えた東北諸侯の宴会」(後半)
宴会が盛り上がる中、政宗従兄様が義隆様に、さらりと「爆弾」を投げ込んだ。
「義隆殿。今回は和睦が成ったが――次は、ご自身で家臣団を治めていただきたいものだな」
その瞬間、ぽかぽかと暖かかった天幕の空気は、一瞬にして絶対零度へと叩き落とされた。
義隆様の顔から、さぁっと血の気が引いていく。
「……は、はい」
「家臣が揉めるのは、主が弱いからだ。主が強ければ、背を向ける者などおらぬ」
政宗従兄様の言葉は、研ぎ澄まされた氷の刃。
慈悲も容赦も一切ない。義隆様はすっかり萎縮してしまい、もはや借りてきた猫のように小さく俯くしかない。
「……申し訳、ございませぬ……」
「謝罪は不要だ。ただ――次こそは、ご自分ですべてを片付けていただきたい。そう申し上げているのだ」
(――ひぇぇ、政宗従兄様、相変わらず容赦ないなぁ!)
私は内心で冷や汗を流しつつ、状況をプロファイリングした。
確かにぐうの音も出ない正論だけど、ここで義隆様のメンタルが完全に崩壊したら困るのだ。大崎家が伊達に丸呑みされるようなことになれば、最上と伊達のパワーバランスが崩れる。それは私の「処刑回避ロードマップ」における重大なエラーだ。
そんな殺伐とした空気の中、侍女が私の前にそっと漆塗りの盃を置いた。
中には、白く濁った液体がなみなみと注がれている。
(――キタッ! 甘酒、待ってました!)
私は心の内で小躍りした。
目の前のドロドロした政治劇なんて、今の私には二の次だ。とにかく喉を潤したい。
この白い救いを一気に煽って、一息つこう。
……しかし。
天幕の隅で、別の侍女が顔を真っ青にして、「どうしよう」と絶望的な顔で右往左往していることに、私はこれっぽっちも気づいていなかった。
(――あれ? どっちが甘酒で、どっちがどぶろくだっけ?)
天幕の隅で、新米の侍女がお盆の上の二つの盃を前にフリーズしていた。
どちらも白く濁っていて、見た目は完全に一致。かといって、お姫様の飲み物を毒見(味見)するわけにもいかない。
(ええい、ままよ! こっちでいいわよね!)
彼女が「本物の濁り酒」の方を私の前に置いてしまったことに、この場の誰も、そして私自身も気づいていなかった。
(あー、もう限界。喉カラカラ! 甘酒、いただきまーす!)
私はキラキラと瞳を輝かせ、小さな両手で盃をホールド。
そのまま、砂漠で水を見つけた旅人のような勢いで、一気に煽った。
ごくり。
(……あ)
その瞬間、思考回路がショートした。
口の中に広がったのは、米麹のふんわりした甘さじゃない。
鼻をツンと突く強烈なアルコールの香りと、喉の奥がカッと焼けるような熱い刺激。
(これ……「ガチ」のどぶろくだわ……)
脳裏に、前世の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
体育会系陸上部だった大学時代。大会の打ち上げで、先輩たちに囲まれながら湯呑みで煽ったあの日本酒の味。
(…………美味しい)
一瞬だけ、前世の酒豪魂が目を覚まし、ふわりと幸せな気分に浸ってしまった。
だが、コンマ一秒後。現代人としての理性が、最大音量のサイレンを鳴らした。
(って、待って待って待って! 私いま七歳! しかも超虚弱体質! こんなの飲んだらマジで死ぬやつじゃん!!)
視界がぐにゃりと歪み、世界がメリーゴーランドのように回り始める。
アルコールが猛烈なスピードで毛細血管を駆け巡り、体が内側から燃えるように熱い。
(やばい、視界が……。七歳の体に酒は猛毒すぎ……! 三条河原で処刑される前に、急性アルコール中毒でバッドエンドとか絶対笑えない……ッ!)
指先から急速に力が抜け、持っていた盃がすっぽりと手から滑り落ちた。
天幕の中に、カラン、という乾いた音が空虚に響く。
「……あ……」
私の小さな体は、糸が切れた操り人形のように、無防備に前へと崩れ落ちた。
「——駒っ!?」
お父様の、心臓を直接掴まれたような悲鳴が天幕に響き渡った。
「従妹殿!」
政宗従兄様も、床几を豪快に蹴り倒しながら凄まじいスピードで駆け寄ってくる。
「駒姫!」
義姫様の叫びも聞こえるけれど――私の意識は、深い、深い闇の中へとマッハで沈没していった。
義光は、倒れた駒姫を壊れ物を扱うように慌てて抱き上げた。
「駒! 駒! しっかりしろ、目を、目を開けるのだ!」
そこにあるのは冷静沈着な「出羽の狐」の面影じゃない。ただの、パニック全開な父親の顔だった。
氏家殿が、駒姫の前に転がった盃を拾い上げ、その匂いを嗅いだ瞬間に顔色を土気色に変えた。
「殿……姫様が、酒を……」
一瞬。天幕の中の空気が、パキパキと凍りついた。
次の瞬間、お父様の顔が、恐怖の「般若」へと変貌する。
「――酒だと!? 誰が駒に酒などを飲ませたぁぁぁっ!!」
鼓膜を突き破るほどの怒号。
天幕の隅では、新米侍女が腰を抜かしてガタガタと震えていた。
「も、申し訳ございませんっ! わ、私、甘酒と濁り酒を……っ」
「――貴様ぁぁ!」
お父様が激昂して立ち上がろうとするが、腕の中の駒姫はぐったりしたまま。怒る時間さえ惜しい。
「医者を呼べ! 一刻を争うぞ!」
政宗従兄様の、冷徹かつ的確な指示が飛ぶ。
「はっ!」
背後にいた片倉景綱殿が、弾丸のような速さで天幕の外へと飛び出していった。
義姫様も、駒姫の小さな手を必死に握りしめる。
「駒姫、しっかりして……すぐに、すぐに医者が来るからね!」
戦国最強クラスの面々が、七歳の幼女一人の「飲酒」によって、かつてないパニックに陥っていた。
(――一口飲んでフリーズとか、どんなギャグよ……。甘酒だと思って一気飲みしたら、まさかのガチのアルコールとか……。七歳の幼女(中身は史学科)の体には、ちょっとハードモードすぎやしませんかね!? いや、死にたくないって言ってるのに、こんなセルフアルハラで死ぬとか絶対笑えないから! 転生あるあるのギャグシーンだとしても滑りまくってるからね!? ……でも。でも、ぶっちゃけ久々のお酒、ちょっとだけ美味しかったかも。それこそ、前世のゼミの打ち上げ以来の……。)
意識が混濁する中、私の内心の声はむなしく空を斬る。
一方、現場ではとんでもない「誤解」の爆走が始まっていた。
氏家殿が、沈痛な面持ちで鮭延殿に囁く。
「姫様は、一族のために無理を重ねておられたのだ……。三者会談という極限の緊張に、小さなお体が限界を迎えていたところに、この災難。なんという不憫な……」
「全くだ。一族の危急に、この姫は自らの命を削っておられたのだな。なんと健気な姫君だろうか……」
(――いや違うって!!)
私の魂が全力でツッコミを入れる。
(私はただ、喉が渇いて甘酒だと思って飲んだだけだい! 頼むから勝手に美談にしないで! ハードル上げないで!)
しかし、この悲痛な心の叫びは、誰の耳にも届くことはない。
お父様は、私を抱きしめたまま、今にも泣き出しそうな声で呻いた。
「駒……すまぬ。不甲斐ない父のせいで、お前にこれほどまでの無理を……っ!」
政宗従兄様までもが、その独眼に痛ましげな色を浮かべて見つめてくる。
「……これほどの幼子が、一族のために身を粉にしていたとはな」
(だから違うってば!!)
もし意識があれば、全力でジタバタして否定していただろう。
三条河原のバッドエンドを回避したいだけで、天下とか一族の繁栄とか、そんな重いもん背負うつもりは毛頭ない。なのに、どうして「健気な聖女」みたいな属性が勝手に付与されていくの!? やめて! その期待、重すぎて肩こるわ!
しかし、そんな私の抗いも虚しく、アルコールの暴力によって意識は完全にシャットダウンされた。
天幕の外では、春の風がどこまでも穏やかに吹いていた。
和睦は成立し、大崎義隆の命も繋がった。
だが――駒姫がただの「うっかり誤飲事故」で自爆したこと。
そして、彼女が目を覚ました時、心配のあまり添い寝でもしそうな勢いの政宗と、それを見て血管をブチ切れさせるお父様による、さらなる地獄絵図が待っていることを、今の彼女はまだ知らない。
春の陽射しが、天幕を柔らかく照らしている。
駒姫の勘違いと、重臣たちの胃の痛みに満ちた生存戦略は、まだ始まったばかりだ。
史実では、駒姫より遡ること十数年、「立花誾千代」が本作の駒と同年齢の弱冠七歳で、立花道雪の跡を継ぎ、立花山城主に就任していますね。
家臣たちとの「固めの杯」など、幼少期であっても儀礼的な酒を口にする機会は避けられなかったと考えられます。
当時の濁り酒は栄養価も高いもので、実際に幼年からの飲酒例は多かったのかも?




