第17話「歴史が動いた日——大崎合戦、まさかの無血和睦成立」(後半)
最上軍の陣営の片隅で、鮭延秀綱と氏家守棟が肩を並べて立っていた。
ようやく静まり返った戦場を見つめながら、鮭延がゆっくりと天を仰ぐ。
「――姫様が、戦を止めたのだな」
噛みしめるようなその一言が、夜の静寂に落ちた。
隣で氏家が、ふっと口角を上げる。
「七歳の姫様が、あの義光様と政宗様を和解させてしまった……。目の当たりにしてもなお、信じられませんな」
「……全くだ。俺も自分の目が信じられん。だが――これが現実だ」
氏家が、確信を込めた声で静かに言った。
「姫様は――もはや『女神』ですな」
鮭延はわずかに目を逸らし、照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「……女神、か。今の最上にとっては、確かにそうかもしれんな」
「……鮭延殿。貴殿も、姫様に相当入れ込んでおられますね?」
氏家の揶揄うような問いに、鮭延はさらに視線を泳がせる。
「……入れ込んでなどおらん。武人として、その才に感服しているだけだ」
(――いや、完全に入れ込んでるな、この人は)
氏家は、その確信を静かに胸の奥に仕舞い込んだ。
歴戦の老将が七歳の幼女に骨抜きにされている。だが、それを笑う気にはなれなかった。あの姫様には、確かに「女神」と呼びたくなるような、理屈を超えた不思議なカリスマがあるのだから。
「しかし――これで最上と伊達が手を結びました。駒姫様の描いたロードマップ通り、東北大同盟への第一歩ですな」
「そうだな。姫様は……本当に、恐ろしい姫様だ」
氏家が、楽しげに笑いながら問い返す。
「恐ろしい、ですか? それとも――あまりに聡明、ですか?」
「……両方だ。底が知れぬよ」
春の夜風が、二人の白髪交じりの髪を静かに揺らし、吹き抜けていく。
最上の双璧は、主君よりも先に「小さき主」の背中に、未来の希望を見出していた。
伊達軍の陣営では、片倉景綱が主君・政宗の隣に、影のように静かに立っていた。
政宗は、先ほどまで駒姫がいた最上軍の天幕の方を、じっと見つめている。
景綱が、誰にも聞こえないほどの小声で、核心を突いた。
「……殿」
「何だ」
「……殿。七歳の幼女に、完膚なきまでに言いくるめられましたね」
政宗の隻眼が、わずかに鋭く細められた。
「……うるさい」
「しかし――紛れもない事実でございます」
景綱がわずかに口角を上げると、政宗はバツが悪そうに視線を逸らした。
「……別に、言いくるめられたわけではない。俺はただ、理のある話に乗っただけだ」
(――いや、完全に丸め込まれてるじゃないですか、殿)
景綱は、その確信を静かに飲み込んだ。
「認めない」と言い張る主君の横顔が、どこか照れているように見えるのは、決して夕日のせいだけではないだろう。
景綱が、溜息混じりに言葉を継いだ。
「駒姫様は――恐ろしい姫様ですね。あの独眼竜を、こうも鮮やかに御されるとは」
「そうだな。あの姫は――面白い」
(――殿が、七歳の幼女に本気で入れ込んでいる。ああ、これは……本格的に胃が痛い)
景綱は、ズキリと疼き出した胃の辺りをそっと押さえた。
政宗が、怪訝そうに景綱を覗き込む。
「……景綱。貴様、また胃が痛むのか?」
「……はい」
「相変わらず胃の弱い男だ。たまには鮭延あたりを見習って図太くなれ」
(――……すべては殿のせいです、とは口が裂けても言えませんな)
景綱は、その切実すぎる叫びを深く胸の奥に仕舞い込んだ。今日だけで何度この言葉を飲み込んだか、もう数える気にもなれない。
「しかし――これで最上との和睦が成立しました。泥沼化するはずだった大崎合戦は、無血和睦で終結です」
「そうだな。すべては、あの従妹のおかげだ」
景綱は、少し呆れたように笑みを漏らした。
「……殿。それは世に言う『親バカ』ならぬ『従妹バカ』というものですかな」
「……うるさいと言っているだろう」
(――間違いない。完全に従妹バカへの道、まっしぐらだ)
景綱は、さらなる前途多難な未来を確信し、もう一度静かに胃を押さえた。
春の風が、二人の陣羽織を静かに揺らし、吹き抜けていく。
和睦の盃が交わされた後、天幕の中には静かな、けれど熱を帯びた余韻が漂っていた。
私は、小さく、深く息を整えた。
(――これで、まずは第一歩……っ!)
大崎合戦を無血和睦で終わらせ、お父様と政宗従兄様を握手させた。
これは、私が最悪の未来――「十五歳の処刑フラグ」を粉砕するための、確実で巨大な一歩だ。
けれど、ここで満足してはいられない。軍事同盟なんて、利害一つで簡単にひっくり返る脆いものだ。もっと根深く、切っても切れない「経済的」な絆で結びつけなきゃ。
(次は――流通網の構築。最上の紅花と伊達の馬を繋ぐロジスティクス。そして……何より『酒造技術』のレボリューション!)
濾過技術を改良して、水晶のように透き通った清酒を造る。東北の厳しい寒さを味方につけた低温発酵で、品質を異次元のレベルまで引き上げる。さらには「火入れ(パストリゼーション)」の概念を導入して、保存性をブーストさせる。
(最上と伊達で技術交流をすれば、東北の酒は天下を獲れる。酒は金になる。金になれば、誰もこの同盟を切りたがらない……!)
私の脳内CPUが、次の一手を猛スピードで計算し始める。
天幕の外では、春の風がどこまでも穏やかに吹いていた。
遠くで聞こえる、両軍の兵士たちが武器を下ろす「ガチャリ」という金属音。
戦が、終わったのだ。
そして、歴史が――私の手によって、確かに動き出した。
(私の本当の戦いは、ここからなんだから……!)
ふと、お父様が私の方を向いた。
「――駒」
小さく、けれど重みのある声。
お父様は私の頭に、ゴツゴツとした大きな手をそっと置いた。
「……頑張ったな」
その不器用で、深い愛情の籠もった一言が、私の胸の奥をじんわりと温かくする。
隣では政宗従兄様が、独眼を細めて満足げに相好を崩し、叔母様(義姫)も聖母のような微笑みを私に向けてくださっている。
(待ってて。いつか、お父様や従兄様と、大人として東北の最高のお酒を酌み交わせる日が来るまで)
その時、私は「私がこの国を豊かにしました!」と胸を張って言えるようにしたい。
私は、静かに、けれど鋼のような決意を新たにした。
外では、再び法螺貝の音がブォォーッ!と響き渡った。
和睦成立を告げる、二度目の合図。
その音は、出羽の春空へ、力強く、どこまでも高く突き抜けていった。
歴史が、動いた。
七歳の幼女が、東北の戦を止めた。
――奥羽大同盟、爆誕。
ここから私の、本当の「生存戦略」が幕を開ける。




