第17話「歴史が動いた日——大崎合戦、まさかの無血和睦成立」(前半)
天幕の中に、しんと心地よい静寂が落ちた。
出羽の冷たい春風が、天幕の布をかすかにはためかせている。
お父様(最上義光)が、重厚な気配を纏って静かに立ち上がった。
「――では、盃を」
その重々しい一言が、歴史の転換点を示す合図となって天幕に響く。
すべてを察していた氏家守棟殿が、天幕の隅から漆塗りの盃と徳利を用意してきた。磨き上げられた三つの盃に、なみなみと注がれるのは――。
(あ、お酒だ……!)
私はちょこんと座ったまま、その光景を熱い視線で見守っていた。
前世ではこれでも体育会系。それなりに「イケる口」だったんだけどな。今は七歳の幼女、当然お預けだ。ぐぬぬ、ちょっと……いや、かなり悔しい!
氏家殿の手によって、とくとくと盃が満たされていく。
その酒は、とろりと白く濁っていた。
(濁り酒かぁ。そっか、まだこの時代は『清酒』が一般的じゃないんだよね)
前世の知識によれば、透明な清酒が普及するのは江戸時代以降のはず。
今はまだ、米の旨味がダイレクトに残る「どぶろく」や「濁り酒」が主流の時代。
(……でも、これってチャンスじゃない?)
東北は寒冷な気候、良質な米、そして清らかな水の宝庫。
濾過技術を改良して透明な酒を造り、低温発酵で品質をブーストさせ、「火入れ」による低温殺菌を導入して保存性を高める。
最上と伊達が酒造技術で手を結べば、東北の酒は天下を獲れる。
(よし、次の一手は『日本酒レボリューション』で決まりね!)
お父様が、大名の威厳を湛えた顔で静かに口を開いた。
「――政宗。今日から俺たちは手を結ぶ。お前は……俺の大切な甥だ」
「伯父御。俺の手を取っていただき、光栄に思います」
政宗従兄様が不敵に、けれどどこか晴れやかな笑みを浮かべる。
「兄上、政宗。二人とも……ようやく、ですね」
義姫様が盃の陰で、慈愛に満ちた微笑みを漏らした。
三者が、静かに盃を口に運ぶ。
その瞬間――大崎合戦は、一滴の血も流れることなく、完全に終結した。
(やった……! これで第一歩。私の処刑フラグ回避のための、確かな第一歩!)
天幕の外では、のどかな鳥の声が聞こえていた。
お父様たちが美味しそうに飲む姿を見つめながら、私は密かに決意を新たにする。
(いつか私が大人になった時、お父様や政宗従兄様と一緒に、私がプロデュースした最高のお酒を酌み交わすんだ。「東北のお酒を、もっと美味しくしておきました!」って胸を張って言えるように!)
コトッ、とお父様が盃を置いた。
「――駒」
その声は小さかった。けれど、確実に私の心に届いた。
お父様が、ゴツゴツとした大きな手を私の頭にそっと置く。
「……よくやったの」
その不器用で温かい一言が、私の胸の奥をじんわりと溶かしていく。
「聡い従妹だ」
「駒姫。あなたは本当によくやりました」
政宗従兄様と義姫様からも賞賛の言葉が贈られ、私は照れ隠しに小さく首をすくめた。
「……ありがとうございます」
天幕の外で、ブォーッ!と重厚な法螺貝の音が鳴り響いた。
和睦成立を全軍に告げるその音は、出羽の春空へ、新しい時代の幕開けを告げるようにどこまでも高く響き渡っていった。
和睦成立の知らせは、春の雪解け水のように、両軍の末端へとじわじわと染み渡っていった。
最上軍の陣営では、前線で身構えていた兵士たちが「え、マジで終わったの?」と、拍子抜けした顔で顔を見合わせている。
「……和睦だと?」
一人の兵士が、信じられないといった様子で声を漏らした。
「ああ。いま伝令が来た。もう戦わなくていいんだとよ」
別の兵士が、握り締めていた槍を所在なげに地面に突いた。
「……駒姫様が、止めたらしいぜ」
「はあ? 七歳の姫様がか?」
「ああ。義光様の次女、あの駒姫様だ。あの方が独りで伊達の陣に乗り込んで、政宗様を説得したって話だ」
「……冗談だろ。七歳の幼女が、あの独眼竜を?」
「俺だって信じられん。だが――これが現実だ」
兵士たちは、狐につままれたような顔をしながらも、安堵のため息とともに静かに武器を下ろした。
一方、伊達軍の陣営でも、全く同じような――いや、それ以上に衝撃的な会話が飛び交っていた。
「……おい、和睦って本当か!?」
「ああ。政宗様が、最上と手を結ばれた」
「最上の姫様が、直接殿に談判したらしいぞ」
「七歳の幼女が……あの政宗様を説得したっていうのか?」
「……信じがたいが、事実だ。恐ろしい姫様だな。将来、どんな大物になるんだか……」
伊達の荒くれ者たちも、その「伝説の幼女」の影に戦意をすっかり削がれたようで、静かに得物を鞘へと収めていく。
つい先ほどまで火花を散らしていた両軍の間に、奇妙な静寂が訪れる。
春の柔らかな風が、伊達の「三日月」と最上の「二つ引両」の旗を、まるで新しい時代の幕開けを祝福するように、優しく揺らしていた。




