第16話「政宗の条件——『ならば俺も、この聡い従妹に免じて兵を引こう』」(後半)
お父様が、静かに言った。「政宗。お前なぁ——」
「伯父御」
政宗従兄様が、お父様の言葉をスパッと遮った。
「俺は、この従妹の賢さを認めている。だから——もっと話がしたい。それだけだ」
お父様が、静かに深く息を吐いた。
「……それでも、やはり許せんな」
政宗従兄様が、わずかに笑った。
「では——和睦もない」
天幕の中に、重い静寂が落ちた。
——お父様、全然折れる気ないじゃん!
このままでは、和睦が完全に壊れてしまう。せっかくここまで積み上げてきたのに——七歳の幼女との文のやり取りという条件一つで、全てが台無しになってしまう。
——私が、動かないと。
私は、静かに口を開いた。
「——お父様」
お父様が、ハッとして私を見た。
「駒——」
「お願いします」
その一言が、天幕の中にすとんと落ちた。
お父様が、わずかに目を見開いた。
私は続けた。
「政宗従兄様が、私と文のやり取りをしたいと言ってくださっています。それは——嬉しいことです」
お父様が、わずかに眉をひそめた。
「駒——」
「私も、ぜひ従兄様と文を交わしたいと思います。お父様。政宗従兄様の条件を、受け入れてください」
お父様が、静かに私を見た。その目の奥に、「大切な娘が政宗と文のやり取りをする」という、言葉にならない複雑な感情がじわりと滲んでいる。
——お父様、お願いします。
私は、お父様の目を真っ直ぐに見たまま、静かに続けた。
「政宗従兄様が、私に興味を持ってくださっています。それは——私にとって、誇らしいことです」
お父様が、静かにため息をついた。
「……駒。お主は——」
お父様が、言葉を途中で切った。
天幕の外で、春の風が布をかすかに揺らした。遠くで、伊達の陣営から兵たちの声が微かに聞こえた。
お父様が——長く、深くため息をついてから、静かに頷いた。
「……わかった。駒がそう言うなら」
その一言が、天幕の中に落ちた。
——お父様、ありがとうございます。
親バカなお父様で、本当に良かった。「駒がそう言うなら」というその言葉が、お父様の全てを雄弁に物語っていた。奥州一の謀将が、七歳の娘の一言で、あっさりと折れたのだ。
政宗従兄様が、わずかに笑った。
義姫様が、静かに微笑んだ。
政宗従兄様が、静かに言った。
「——ならば俺も、この聡い従妹殿に免じて兵を引くこととしよう」
その一言が、天幕の中に落ちた。
お父様が、わずかに目を細めた。
「……『聡い従妹に免じて』、か」
政宗従兄様が、わずかに笑った。「そうだ。伯父御が『駒に免じて』と申されたからな。俺も『聡い従妹に免じて』と言わせてもらおうか」
お父様が、わずかに眉をひそめた。「……お主、駒を『聡い従妹』と呼ぶのか」
「そうだ。この娘御は、聡い。小憎らしいほどに。伯父御譲りかもな」
——政宗従兄様が、私を「聡い従妹」と呼んでくれた。
それは——嬉しい。でも、お父様の顔が再び般若になっているのが、視界の端にはっきりと見える。
義姫様が、静かに微笑んだ。「二人とも、駒姫を『切り札』にしたのですね」
お父様と政宗従兄様が、同時にピクッとして義姫様を見た。
義姫様が続けた。「兄上は『駒に免じて』、政宗は『聡い従妹に免じて』——結局、同じことですわね」
お父様が、気まずそうにわずかに目を逸らした。
政宗従兄様が、ふっとわずかに笑った。
——義姫様、ありがとうございます。
またお父様と政宗従兄様が対立しそうな空気になりかけていたのを、義姫様の一言がすっと和らげてくれた。本当に、この叔母上様は頼りになる。
天幕の隅では、片倉景綱が静かに、しかし鋭い目でこの状況を観察し続けていた。
——殿が、七歳の従妹姫との文のやり取りを条件にした。
そして——「聡い従妹に免じて」と言った。
義光殿が「駒に免じて」と言ったことへの、明確な対抗意識だ。
——(……殿が、七歳の幼女に、本気で入れ込まれている)
景綱殿は、その信じがたい確信を、ごくりと静かに飲み込んだ。
昨日の会談で初めて駒姫を見た時の「ほう」、その後の「面白い」、そして先程の「面白いことを言う」——それらは、すべて戦略家としての冷静な評価だった。
しかし——今の「聡い従妹に免じて」は、違う。
まして殿は、駒姫との文のやり取りを「和睦よりも大切」と言い切った。それは——もはや戦略的な計算ではない。純粋な、抑えようのない興味だ。
——(……胃が、本当に限界だ)
景綱殿は、その重い思いを静かに胸の奥深くに仕舞い込んだ。
その時、再び伊達の陣営から低く重い法螺貝の音が響き渡った——和睦成立を、全軍に告げる合図だ。
天幕の外では、出羽の春の風が、静かにそっと吹いていた。
私は、政宗従兄様が「聡い従妹に免じて」と言ったのを聞きながら、静かに、深く息を整えた。
——これで、和睦が成立する。
お父様と政宗従兄様が、互いに条件を出し合い——そして二人とも、私を「切り札」に使った。
それは——少しだけ複雑な気分だ。でも——やっぱり、嬉しい。
お父様の親バカと、政宗従兄様の従妹バカ(予備軍)が——奥羽の和睦を成立させたのだ。なんとも前世の歴史書には絶対に載らないような、珍妙な経緯で。
——これが、私の処刑フラグ回避の、確かな第一歩だ。
私は、静かに頭を下げた。
「義光お父様、政宗従兄様、義姫様。ありがとうございます」
その一言が、天幕の中に静かに落ちた。
お父様が、静かに大きな手を私の頭にそっと置いた。
政宗従兄様が、わずかに笑った。
義姫様が、静かに微笑んだ。
天幕の外では、春の風が静かに吹いていた。
——次は、和睦の正式な成立だ。
——そして——政宗従兄様との文のやり取りが、始まる。
七歳の幼女が、奥州の覇者と文を交わす。
前世の歴史書には、絶対に載っていない未来が、今ここから動き始めていた。
どうにかこうにか和睦成立。
次回、宴会の予定です。




