第16話「政宗の条件——『ならば俺も、この聡い従妹に免じて兵を引こう』」(前半)
政宗従兄様が、不敵にかすかに笑った。
「——伯父御が『駒に免じて』と言うなら、俺も言わせてもらおうか」
その一言が、天幕の中にすとんと落ちる。
政宗従兄様が、お父様の「駒に免じて」という言葉を逆手に取って対抗しようとしている。これは——対等な交渉の土俵に上がるぞ、という宣言だ。
政宗従兄様が、静かに続けた。
「まず一つ目。大崎義隆の家臣団の処遇について、最上は口を出すな」
天幕の中に、重い静寂が落ちた。
——来た。政宗従兄様の最初の条件だ。お父様が受け入れることができるギリギリの線を、ちゃんと計算してきている。
大崎の家臣団を伊達が掌握する——それは、政宗従兄様の「奥州支配」という野心を、この場で既成事実として確定させようとする条件だ。史実の流れを知っている私には、大崎家がいずれ伊達の影響下に入ることはわかっている。政宗従兄様は今、その既成事実をここで確定させようとしているのだ。
お父様が、わずかに眉をひそめた。「……それでは、義隆の立場を弱めることになろうが」
政宗従兄様が、静かに答えた。「義隆は、家臣団を治められなかった。だから俺が手を貸す。それだけのことだ」
お父様が、腕を組んで少し間を置いた。
天幕の外で、春の風が布をかすかにはためかせた。遠くで馬が高らかに嘶く声がした。
お父様が——長く、深くため息をついてから、静かに頷いた。
「……わかった、やむ得まい。それは、呑もう」
——お父様が、政宗従兄様の一つ目の条件を呑んだ。
大崎義隆様には申し訳ないけれど——これは現実的な判断だ。大崎家の家臣団は、すでに義隆伯父様の統制を完全に離れてしまっている。それを最上が無理に押さえ込もうとするより、伊達に任せた方が——奥羽全体の安定という大局から見れば、正しい選択になる。
義姫様が、扇の陰でわずかに微笑んだ。「政宗。あなたは、順番に条件を出してますね」
政宗従兄様が、わずかに笑った。「そうです母上。まずは実務的な話から」
——そして、次は——
政宗従兄様が「まずは」と言った。ということは——次がある。一体何が来るのだろう。
政宗従兄様が、静かに続けた。
「——そして、二つ目」
お父様が、警戒の眼差しで政宗従兄様を見た。
政宗従兄様が、わずかに口の端を上げて笑った。
「この従妹殿と、定期的に文のやり取りをさせて欲しい」
天幕の中に、しんと静寂が落ちた。
——え。
思わず、頭の中が真っ白になる。
——文のやり取り? 政宗従兄様が、私と文のやり取りをしたい?
義姫様が、わずかに目を見開いた。
お父様の眉間の皺が——一気に、ぐっと深くなった。
「……何だと」
その声は、低かった。しかし——確実に、天幕の中全体に重く響いた。
お父様が、静かに言った。「政宗。今、何と言った」
政宗従兄様が、悪びれる様子もなくわずかに笑った。「駒姫と、定期的に文のやり取りをさせろ、と言った」
お父様の顔が——みるみるうちに般若になった。
——お父様、顔に全部出てます。
心の中でそっとツッコむ。完全に「大切な娘を取られる」という顔だ。親バカが全力全開で爆発している。
「……なぜお前が、駒と文のやり取りをする必要がある」
お父様の声が、一段と低くなった。
政宗従兄様が、静かに答えた。
「言ってみれば、俺の知的好奇心を満たすためかな」
天幕の中に、再び静寂が落ちた。
義姫様が、わずかに目を見開いた。
——政宗従兄様、それ本音ですか。
「知的好奇心」って……私を研究対象にする気ですか。まるで珍しい生き物を観察するような物言いだ。
政宗従兄様が続けた。「駒姫は、七歳とは思えぬ賢さを持っている。俺は、その賢さにすこぶる興味がある」
お父様の眉間の皺が、さらに一段深くなった。
「政宗——お前は」
「伯父御」
政宗従兄様が、真っ直ぐにお父様を見た。その隻眼が、スッと細くなっている。
「俺は、この従妹殿ともっと語りたいと思った。惣無事令を語り、奥羽大同盟を構想する——そんな七歳の神童を、もっと知りたいと思うのは、当然であろう」
政宗従兄様の声が、わずかに変わった。知略に長けた武将の声ではなく——純粋な好奇心を持つ、一人の人間の声だ。
——政宗従兄様は、本気だ。
この人は、本当に私と文のやり取りをしたいと思っている。それも——何かの策として利用するためではなく、純粋な興味として。
お父様が、静かに言った。
「——駄目だ、許さん」
その一言が、天幕の中にビシャリと落ちた。
政宗従兄様が、わずかに目を細めた。
「……許さん、か」
「そうだ」
お父様が、静かに続けた。「駒はまだ七歳だ。お前のような危険な男と、文のやり取りをする必要はない」
政宗従兄様が、わずかに笑った。
「では——和睦も無しだな」
天幕の中に、水を打ったような静寂が落ちた。
——え。
思わず、息が止まる。
——政宗従兄様、今、何と言いました?
お父様が、わずかに目を見開いた。
「……何だと」
政宗従兄様が、静かに言った。「俺からの条件を呑めぬと云うのなら、和睦もない。それだけだ」
お父様の眉間の皺が、さらにぐっと深くなった。
「政宗——お前、本気で言っておるのか」
「本気だ」
——これは本格的に揉める。
本気で揉める。政宗従兄様、七歳の幼女との文のやり取りのために、和睦を壊す気ですか。
義姫様が、静かに言った。「政宗。あなた、その条件は外せないのですね」
政宗従兄様が、義姫様を見た。「そうです。俺は、この従妹殿と文のやり取りをしたい」
義姫様が、わずかに眉をひそめた。「……それは、和睦よりも大切なのですか」
政宗従兄様が、わずかに笑った。
「大切だ……と感じた。直感だ」
天幕の隅で、片倉景綱殿が静かに、音もなく胃の辺りをそっと押さえた。
——片倉殿、お気持ち、痛いほどわかります。
私も胃が痛いです。政宗従兄様が、七歳の幼女との文のやり取りを「和睦よりも大切」と言い切ってしまった。片倉殿の胃が限界を迎えているのも、まったくもって当然のことだった。




