第15話「義光の条件——『政宗、駒に免じて今回は許してやる』」(前半)
政宗従兄様と片倉景綱殿が、重々しい足取りで天幕を後にしてから、一体どれくらいの時が流れただろうか。
主を失った天幕の中は、しんと静まり返っていた。
お父様は、腕を深く組んだまま床几にどっかりと腰を下ろしている。その鋭い目は、天幕の入り口の布をじっと見据え、政宗従兄様が戻ってくるのを、今か今かと待ち構えていた。
義姫様もまた、物静かに座って待っていらっしゃる。その美しい横顔は、嵐の前の静けさのように穏やかに見えた。
私はといえば、ちょこんと床几に座ったまま、ドキドキと高鳴る心臓を落ち着かせるように、静かに息を整えていた。
——政宗従兄様は、外の風に吹かれながら、どんな風に考えてくれているのだろうか。
「お主の言葉は、俺の心に届いた」と、確かにそう言ってくれた。ならばあとは、政宗従兄様が自らの意志で決断を下してくれるのを信じて待つだけだ。
ふと、お父様が静かに私の方へと顔を向けた。
「駒」
「はい、お父様」
お父様は、何かを堪えるように少しだけ間を置いた。そして——父親としての深い慈愛を込めて、静かに言った。
「お前は、もう何も言わなくて良いぞ。いや、何も言うな。」
——え?
予想外の言葉に、思わず目を丸くして見開きそうになる。
お父様は、力強く頷きながら続けた。「お前は、十分にやった。次は——俺が、お前の成果を活かす番だ」
——ああ、お父様が、私を矢面に立たせないよう、全力で守ろうとしてくれている。
「もう何も言わなくていい」という不器用な言葉の裏に、海よりも深いお父様の優しさがたっぷりと込められているのが、ひしひしと感じられた。
お父様は、スッと表情を引き締め、背後に控える氏家殿の方を向いた。
「氏家」
「はっ」
「政宗が戻ってきたら、俺が和睦の条件を出す」
氏家殿は、すべてを察したように静かに深く頷いた。「承知しております」
すると、義姫様が扇の陰から静かに言った。「兄上。駒姫を『切り札』にするのですか?」
お父様は、ニヤリと『羽州の狐』らしい、けれどどこか誇らしげな笑みを浮かべた。「そうだ。娘が頑張ったのだ。その成果を活かすのは、父親の役目だろう」
——お父様、それ、ただの親バカです。
私は心の中で、ぺしっと静かにツッコミを入れる。
——でも——すごく、嬉しい。
お父様の揺るぎない親バカぶりが、張り詰めていた私の心を、ぽかぽかと温かく包み込んでくれる。
天幕の外では、出羽の冷たい春の風がヒューッと吹き抜けている。遠くの方で、伊達の陣営から微かに人の声が聞こえた。政宗従兄様が、片倉景綱殿と何か重要な言葉を交わしているのだろうか。
ふと視線を感じて振り返ると、天幕の隅で静かに控えていた氏家殿の目が、わずかに私の方を向いていた。
氏家殿は、私と目が合うと、音もなく静かに、そして深く頭を下げた。
——氏家殿も、私のこの行動を、最上家のためになるものだと認めてくれたのかな?
そんなことを考えていると、義姫様が感嘆の吐息を漏らすように静かに言った。「駒姫。あなたは、本当に聡明な娘だこと……」
私は、照れ隠しに小さく首をすくめ、静かに頭を下げた。「ありがとうございます、叔母上様」
義姫様は、優美な笑みを浮かべつつも、その目をスッと細めた。「しかし——これからが本番ですわね」
——まったくもって、その通りです。
政宗従兄様が、最終的にどう決断するのか。そして——お父様が、大名としてどんなシビアな条件を突きつけるのか。
その時、バサッと天幕の入り口の布が大きく揺れた。
政宗従兄様が、戻ってきたのだ。
その顔は——迷いを振り払い、とことんまで「考え抜いた」という、清々しいほどの武将の顔だった。
政宗従兄様が、静かに、しかし力強く床几に腰を下ろす。片倉景綱殿が、その後ろに影のように静かに控えた。
「——伯父御」
政宗従兄様が、射抜くような隻眼で真っすぐにお父様を見た。「俺は、考えた」
お父様が、大名の顔で静かに頷いた。「……聞こう」
政宗従兄様が、一つ深呼吸をしてから、静かに言った。
「駒姫の言葉は、俺の心に届いた」
その重みのある一言が、しんと静まり返った天幕の中に、確かな響きを持って落ちた。
「『身内が傷つくのを見たくない』——その言葉に、俺は動かされた」
政宗従兄様は、私の方をちらりと見てから、再びお父様に向き直って続けた。「だから——俺は、伯父御と手を結ぶことを、前向きに考える」
——やった! 政宗従兄様が、ついに動いてくれた。
戦国武将の交渉の場で「前向きに考える」という言葉は、実質的に「和睦に応じる」と同義といっても良いはずだ。
お父様が、満足げに静かに頷いた。「……相分かった」
そして——お父様が、いよいよ本題とばかりに静かに口を開いた。
「——政宗。俺にも、条件がある」
政宗従兄様が、警戒するようにスッとお父様を見た。「……聞きましょう」
お父様が、一言一言噛み締めるように、静かに続けた。
「今回は、駒に免じて——大崎への侵攻を止めろ。これは譲れぬ。それが、俺の条件だ」
天幕の中に、再び重たい静寂が落ちた。
「駒に免じて」——その、あまりにも公私混同な言葉が、張り詰めていた空気を一瞬にして変えてしまった。
——お父様、だからそれ、完全に親バカ丸出しですってば!
私はまたしても心の中で、今度は少し強めにツッコミを入れる。
——でも——やっぱり、嬉しい。
政宗従兄様が、呆れたようにわずかに隻眼を細めた。そして——わずかに、口の端をピクッと動かした。
「……その従妹殿をダシに、そこまで言うか」
その声は——毒気を抜かれたような、完全な苦笑に近かった。
お父様が、悪びれる様子もなく堂々と静かに答えた。「娘が頑張ったのだ。その成果を活かすのは、父親の役目だろう」
政宗従兄様が、ふっとわずかに笑った。「……伯父御は、娘に甘いな」
お父様が、むっとしたようにわずかに眉をひそめた。「お前に言われたくないわ」
「俺は甘くなどないぞ」
「お前の方こそ、さっきから駒を見ている目つきが、十分に甘いわ」
「……伯父御こそ、駒姫を『切り札』にしている時点で、完全に娘に甘いが」
「それは——」
「それは——」
子供の喧嘩のように言い合う二人の奥州の覇者たち。そこへ、義姫様が扇で口元を隠し、静かに微笑んだ。「兄上らしいですね」
その、たった一言が、天幕の中にピシャリと静かに落ちた。
お父様と政宗従兄様が、ビクッとして同時に義姫様を見た。そして——二人揃って同時に、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
——あ、これ、義姫様に叱られた子供の顔だ。
私は、思わず吹き出して笑いそうになるのを、小さな両手で口を覆って必死で堪えたのだった。




