第14話「政宗、幼女の深謀遠慮に驚愕する」(後半)
私は、胸の奥にある想いをそのまま言葉に乗せて、続けた。
「お父様も、政宗従兄様も、義姫様も——みんな、私の大切な家族だと思っています」
ふわりと、天幕の外を吹き抜ける春の風が、厚い布をかすかに揺らした。遠くの方で、馬がいななく声が微かに聞こえる。それ以外は——まるで時が止まったかのように、しんと静まり返っていた。
「その家族が、互いに傷つけ合うのを——見たくない。それだけではいけませんか?」
私は、政宗従兄様の目を真っ直ぐに見つめ返したまま、続けた。「だから——お二人に手を結んでほしいのです」
再び、重たい静寂が降りる。
政宗従兄様が、射抜くような視線で私を見た。その鋭い隻眼が——ほんのわずかに、揺らいだのがわかった。
「……それだけか」
「はい」
私は、迷うことなく静かに答えた。「それだけです」
その瞬間——政宗従兄様の表情が、初めて崩れた。
常に張り付いていた、計算高く冷徹な『戦国武将』としての分厚い仮面が、音を立てて剥がれ落ちた瞬間だった。
政宗従兄様が、絞り出すように静かに言った。
「……お主は、面白い従妹だな」
その声の響きは——今までとは、決定的に違っていた。
言葉自体は同じ「面白い」だ。でも——その声に込められた熱が、全く違う。冷徹な策士としての値踏みするような評価ではなく——ただの一人の『人』としての、戸惑いや、わずかな共感が入り混じったような、そんな不器用な温かさがあった。
——あ、政宗従兄様の顔つきが、変わった。
戦国の世を生き抜く謀将の仮面の下から、素顔が少しだけ覗いている。……なんだ、この人もちゃんと、温かい血の通った『人』なんじゃないですか。
ふと視線を移すと、お父様が静かに私を見つめていた。『愛娘が、誰に教わったわけでもない素直な本心を語った』という父親としての静かな誇りと——『たった七歳の娘が、あの政宗の心を動かしてみせた』という純粋な驚愕が、その厳つい顔の奥にありありと滲み出ている。
——お父様、だからお顔に全部出てしまっていますってば。
義姫様はといえば、口元を扇で隠し、静かに微笑んでいらっしゃった。『可愛い駒姫が、ついに政宗の頑なな心を動かした』という確信が、その優美な横顔からひしひしと伝わってくる。
一方、天幕の隅では、片倉景綱が息を潜めてこの奇跡のような光景を観察していた。
——殿の顔つきが、変わられた。
「面白い従妹だな」というその一言は、今までの「面白い」とは全く異質なものだった。
昨日の会談で初めて駒姫様を見た時の「ほう」という感嘆、その後の「面白い」という評価、そして先程の「面白いことを言う」という称賛——それらはすべて、冷徹な戦略家としての計算に基づいた評価だった。
しかし——今の「面白い従妹だな」は、違う。
「身内が傷つくのを、見たくない」——たった七歳の幼女が口にした、あまりにも純粋で、無防備な動機。
まごうことなく、その飾らない言葉が、殿の心を激しく揺さぶったのだ。
——(……この姫様は、見事に殿の心を動かしてみせた。小賢しい企みなど一切用いずに——ただ一人の人間として、真っ直ぐに)
景綱は、胸の奥で静かにその確信を噛み締めていた。
殿はこれまで、常に「得」を計算して動いてこられた。野心家として、戦略家として、常に「何を得るか」を最優先に考えてこられた。
しかし——駒姫様の動機は、「損得」などという次元にはない。「身内が傷つくのを見たくない」という、ただひたすらに純粋な、家族への愛情。
そのあまりにも眩しい「純粋さ」が、殿が分厚く被っていた仮面をあっさりと突き崩してしまったのだ。
——(……そして、殿は——)
景綱の脳裏に、政宗が抱える複雑で痛ましい家族関係が蘇る。
実の母である義姫様との真偽不明の確執の噂。実の弟・小次郎様との関係。常に「損得」を計算し、常に「野心」を優先して生きるしかなかった殿が——「身内が傷つくのを見たくない」という無償の愛の言葉に、どれほど激しく心を動かされたことか。
肉親からの愛情を素直に受け取れず、時には敵意すら向けられる過酷な環境で育った殿にとって、一切の対価を求めない駒姫様の無垢な慈しみは、何よりも鋭く、深く、その胸の奥底を貫いたに違いない。隻眼の奥にずっと潜んでいた、決して癒えることのなかった愛情への飢えを、駒姫様の真っ直ぐな言葉が、不意に、そして優しく突き崩してしまったようだった。
私は、政宗従兄様が「面白い従妹だな」と呟いたのを聞きながら、ホッと静かに息を整えた。
やがて、政宗従兄様が、静かに立ち上がった。
「——少し、外で考えさせてくれ」
その重みのある一言が、天幕の中に落ちる。
お父様が、深く、静かに頷いた。「……わかった」
政宗従兄様が、身を翻して天幕の外に出ようとした——その時、ふと立ち止まり、振り返った。
「駒姫」
「はい」
「——お主の言葉は、確かに、俺の心に届いた」
ただそれだけの一言を残して、政宗従兄様は足早に天幕を出て行った。
天幕の外では、出羽の冷たくも心地よい春の風が、静かに吹き抜けていることだろう。
私は、政宗従兄様の少しだけ広くなったように見える背中を見送りながら、ふぅ、と静かに息を吐き出した。
——少しは、政宗従兄様の頑なな心を動かすことができたのだろうか?
私は、胸に手を当てて思う。
——ここから先は、政宗従兄様自身が決断する番だ。
ふと、お父様が私の傍に寄り、その大きな手で静かに私の頭を撫でた。
「……よくやったのう、駒」
誰にも聞こえないような小声だった。しかし——その温かい声は、確実に私の耳に、そして心に届いた。
私は、お父様を見上げた。
お父様の目が、優しく細められて笑っている。恐れられる『羽州の虎将』としての厳格な顔つきは完全に崩れ去り、『愛娘が、あの政宗を見事に動かしてみせた』という隠しきれない誇りと喜びが、その目の奥にたっぷりと滲んでいる。
——お父様、だからお顔にお気持ちが丸出しですわよ。
義姫様が、そんな私たちを見て、くすりと静かに笑った。
「駒姫。あなた本当に——」
義姫様は、そこでふっと言葉を切った。そして——まるで宝物を見るような目で、静かに微笑んだ。
「——頑張りましたね」
その優しい一言が、天幕の中に温かく落ちた。
私は、照れくささを隠すように、静かに、深く頭を下げた。
——よし、これで第一段階は無事に終わった。
私は内心でギュッと拳を握り、力強く頷いた。
——次は、政宗従兄様が外でじっくりと『考える』番だ。そして——お父様が、大名として具体的な『条件』を提示する番だ。
ふと視界の端に目をやると、天幕の隅では、片倉景綱殿が青い顔をして静かに懐の胃薬を探していた——そして、その痛ましい姿を、我が最上家の家老である氏家守棟殿が、深い同情と共感の目で見守っていた。
ちなみに、この時期、政宗にはすでに嫁(正室・愛姫)がいます(近日登場予定)。子はまだいません。
駒姫はあくまで年の離れた妹的な立ち位置です。




