第10話「三者会談・開幕——『独眼竜』、初登場」(前半)
春の出羽の野原は、思ったより広かった。
両軍の中間地点に設けられた仮設天幕は、白と灰色の布でできていた。最上の赤でも、伊達の漆黒でもない——どちらの色でもない、中立の色ということなのだろうが、現生の感覚で言えば少し葬式っぽくてイヤだ。天幕の周囲には双方の護衛が等間隔に立ち、その向こうに残雪を抱いた山の稜線が白く輝いている。萌え始めた薄緑の野が、春の光の中で静かに広がっていた。
——ここが、会談の舞台か。
私は天幕の中に座りながら、静かに息を整えた。
天幕の内部は、こぢんまりとしていた。中央に小さな卓が置かれ、その両側に床几が向かい合っている。義姫様が仲介者として中央に座り、義光が右側の床几に腰を下ろしている。私は義光の隣、やや後ろに控える位置だ。
お父様の横顔を、そっと観察した。
——今日は、謀将の顔をしている。
昨夜「明日、嫌なことがあれば、すぐに俺に言え」と言った父親の顔ではない。鋭く、静かで、周囲を測るような——「羽州の狐」の目だ。ただ、時折私の方をちらりと見る。その瞬間だけ、目の奥が少し変わる。
——お父様。今日は私もお話させてもらいますわ。でも……その目が、少し嬉しい。
義姫様は微動だにしない。天幕の布が春風にかすかに揺れる中、その横顔には「今日は私が仕切る」という静かな意志が滲んでいた。昨日、伊達軍の陣に単身乗り込んで政宗従兄様を説得してきた人だ。この場の誰より、今日の会談の着地点が見えているのだろう。
手のひらが、わずかに汗ばんでいた。
七歳の身体は正直だ。頭でいくら「大丈夫」と言い聞かせても、この緊張感には素直に反応してしまう。
義光が、小声でまた言った。「……何かあれば、すぐに俺に言え」
遠くから、馬の蹄の音が聞こえてきた。
義姫様が、静かに前を向いたまま言った。「……来ましたよ」
天幕の入り口の布が、開いた。
最初に入ってきたのは、黒い甲冑の男だった。
——来た。
私の胸の中で、何かが静かに緊張した。
伊達政宗。二十一歳。独眼竜。前世で幾度となく歴史書でなぞったその名が、実体を持って立っている。
背は高くない。義光とほぼ同じくらいだ。しかし——体格が違う。引き締まった、無駄のない身体。黒を基調とした甲冑は飾り気が少なく、それがかえって威圧感を増している。兜の前立ては三日月の形——朝の光を鋭く反射して、一瞬目が眩むほどだ。
そして——右目。
黒い眼帯が、右目を覆っている。
左の隻眼が、天幕の中をゆっくりと見渡した。
義光を見る。義姫様を見る。そして——
私を、見た。
その瞬間、政宗の口から、短く漏れた。
「……ほう」
——ほう?
私は内心で、思わず繰り返した。
——ほう、か。……思っていたより、怖い顔をしている。いや、怖いというより——面白そうな顔だ。史実の「独眼竜」のイメージとは、少し違う。もっと冷たい人だと思っていた。でも——この人の目には、何か、好奇心に似たものが宿っている。
政宗が義姫様に向かって、静かに口を開いた。「……母上。この子が」
義姫様が、短く答えた。「駒姫です」
政宗が、もう一度私を見た。今度は「止まる」のではなく——じっくりと、品定めするような目だ。上から下まで、静かに、しかし確実に見ている。
——見られている。
逸らしたら負けだ、という感覚が、七歳の身体の奥から湧き上がってくる。私はその視線を、正面から受け止めた。
政宗の後ろに、もう一人の男が控えていた。三十前後だろうか。落ち着いた目をした、引き締まった顔の武将だ。片倉景綱——後の世に「鬼の小十郎」と呼ばれる男が、今、天幕の隅で静かに状況を観察している。その目が、わずかに動いた。
——(七歳の幼女が、殿の視線を受け止めた。……怯まない)
政宗が床几に腰を下ろした。義光お父様と向かい合う形だ。
その瞬間——天幕の中の空気が、変わった。
義光の肩が、わずかに動いた。「謀将」の目が、静かに鋭くなる。政宗の隻眼が、義光を見る。二人の視線が、一瞬だけ交差した。
義光が、低く静かに言った。「……政宗。俺の娘、駒だ」
政宗が、義光お父様を見て、短く答えた。「……伯父御に似ず幸いでしたな」
義光が、取ってつけたような苦笑いを返す。「減らず口を叩くな」
——この二言だけで、もう火花が散っている。
私は内心でため息をついた。お父様、落ち着いてください。まだ何も始まっていませんよ。
義姫様が口を開いた。
「今日は、大崎の件について話し合いの場を設けました。まず——お互いの言い分を聞きましょう」
その声は静かだったが、「仕切る」という意志が明確だった。義光も政宗も、義姫様の言葉には素直に従う。これが「母」であり「妹」である義姫様の、独特の立場の強さだ。
政宗が、静かに口を開いた。「……大崎義隆は、自分で収められない内紛に俺を巻き込んだ。俺は大崎の家臣に頼まれたから動いた。それだけだ」
義光お父様の眉間に、深い皺が寄った。「その『動き方』が問題だと言っている」
「……伯父御も、兵を動かしているが」
「俺は義隆を守るために動いた。お前は義隆を名目に——」
「証拠はあるか」
「お前の行動が証拠だ」
二人の声が、短く、鋭く交わされる。義姫様が「二人とも——」と言いかけた。
——やっぱり。
私は、二人を静かに見比べた。
どちらも正しいことを言っている。義光の言い分も、政宗の言い分も、どちらも筋が通っている。だから余計に、引かない。似た者同士が鏡を見ているようなものだ。昨夜、お父様は「あれは俺に似ている」と言っていた。その言葉の意味が、今、目の前で証明されていた。
——でも今日は、まだ私の出番じゃない。義姫様が仕切っている。もう少し待とう。
義姫様が、二人を静かに制した。「今日は、まず話を聞く日です。どちらも、まだ結論を出す必要はありませんでしょう」
その一言で、二人が——渋々ながら——口を閉じた。
——義姫様、さすがです。……でも、この二人が大人しくしているのは、長くは続かなそう。




