第9話「三者会談前夜——政宗従兄(にい)様、どんな人なんだろう」(後半)
夜が更けた頃、天幕の布が静かに開いた。
「眠れぬのか」
義光だった。
私は「少し、いろいろなことを考えていました」と答えた。義光が床几を引き寄せて腰を下ろす。篝火の明かりが、その横顔を照らした。しばらく、どちらも口を開かなかった。
「……お父様」
私は、静かに問いかけた。「政宗従兄様はどんな人ですか?」
義光の顔が、わずかに動いた。「……なぜそのようなことを?」
「明日、初めてお会いするので、お父様から見た政宗従兄様を、知っておきたいのです」
義光が、長い沈黙に入った。篝火が揺れる。天幕の布が、夜風にかすかに動く。
やがて義光は、低く言った。
「……そうさな……あれは、俺に似ている」
「お父様に?」
私は少し驚いた顔を作った。内心では「やはり」と思っていたが。
「賢くて、強い。そして、身内に甘い」義光が、苦い顔で続けた。「それから——自分が正しいと思ったら、誰の言葉も聞かない。……俺と同じだ。だから——俺はあれが好かない。自分に似た人間は、鏡を見ているようで居心地が悪い」
——お父様。それは自己評価が正確すぎる。
「……でも」
私は静かに言った。「お父様は政宗従兄様と、本当は仲良くしたいのではないですか」
義光が、黙った。
「嫌いなら、義姫様の仲介を受け入れなかったはずです。お父様は——政宗従兄様のことを、認めているのではないですか」
義光の顔が、複雑になった。計略家の顔と父親の顔が、どちらでもない何かに変わっていく。
「……わずか七歳のお主に、なぜそんなことがわかるのだ」
「お父様のことは、よく見ていますから」
義光が、苦笑しながら低く呟いた。「全く……、駒はずるい子だの」
しばらくして、義光が立ち上がった。天幕の布を開けかけて——振り返り、静かに私の頭に手を置いた。
「明日、嫌なことがあったなら、すぐに俺に言うのだぞ。俺はすぐそばにいる」
——お父様。あなたは本当に、身内に甘い人だ。そして——その甘さが、あなたの一番の弱さでもあり、強さでもある。
……政宗従兄様も、きっと同じだ。
夜明け前の冷気に惹かれるように目が覚め、私は天幕の外へ向かった。
出羽の夜空が、広がっていた。星が多い。父様を説得した夜に、氏家殿と二人で見上げた空と、同じ空だ。あの時より、少しだけ星が少ない気がする。夜明けが近いのだろう。
篝火が低く燃えている。陣の中は静かだ。物見の兵の影が、遠くをゆっくりと動いている。
吐く息が、白い。春の東北の夜明けは、まだ冷たい。
——お父様を動かした。義姫様を動かした。次は——政宗従兄様だ。
でも政宗従兄様は、お父様とは違う。感情だけでは動かない。多分、かの人は——知性で動く人だろう。
だとしたら。私が見せるべきは——策ではなく、本音だ。
「……姫様、眠れませんでしたか」
氏家が、静かに隣に立っていた。
「大丈夫。少しは眠れましたので、問題ないです」
「此度の会談、姫様はどのようにお考えですか」
私は、夜空を見上げたまま答えた。
「——正直に話します。策は使いません」
「……それは」
「政宗従兄様は賢い人です。策を使えば、見透かされます」 私は続けた。「だから——正直に、私が何を考えているかを話します。奥羽が一つになれば、誰も損をしない。それだけです」
氏家が、静かに頷いた。「……姫様は、策士ではなく、交渉人として政宗様に向き合おうとしているのですね」
「策士は、相手が賢い時には通用しません」 私は少し微笑んだ。「交渉は——お互いが得をする話をするものです」
そう、明日、私は百戦錬磨のネゴシエーターを演じて見せよう。
氏家守棟は、夜明け前の空を見上げる幼い姫の横顔を、静かに見ていた。
七歳の幼女が、戦場の陣で、翌日の外交交渉を一人で組み立てている。その横顔は——子供のそれではなかった。
——(この姫様は……どこから来たのだろう。いや——)
氏家は、その問いを静かに胸の奥に仕舞った。
——(どこから来たのかは、関係ない。この姫様が、ここにいる。それだけで十分だ)
夜明けの光が、出羽の空を薄く染め始めた。藍色が薄紫に変わり、山の稜線が少しずつ浮かび上がってくる。
——さあ。
私は、静かに息を吸った。
——政宗従兄様、初めまして。私は最上駒。七歳の幼女です。でも——あなたとは、対等に話したい。
その時だった。
陣門の外から、馬の蹄の音が聞こえてきた。一頭。使者の足音だ。
物見の兵が声を上げる。陣門が開く気配がした。
やがて——息を切らせた使者が、私の前に膝をついた。
「義姫様からのご伝言にございます」
使者が、顔を上げた。
「——政宗様が会談に応じられると」
出羽の夜明けの空が、白く、白く、輝き始めた。
次話で、政宗の初登場です。




