第8話「親バカ義光、娘の涙に即座に出陣を躊躇う(家臣団ドン引き)」(後半)
義光の天幕の中は、篝火の明かりが揺れていた。
義姫・義光・私の三者が、向かい合って座っている。天幕の外に、氏家が控えている気配がする。
義姫が、口を開いた。
「兄上、なぜこんなことになるまで放っておいたのですか」
その声は静かだったが、刃のような鋭さがあった。「政宗が大崎に入った時点で、止める手はあったはずです。なぜすぐに動かなかったのです」
「俺にも義隆の意地を見守らねばならぬ義理がある」
義光が、低く言い返した。「義兄を見捨てることは、最上の名折れになる。それはお前もわかっているはずだ」
「わかっています。ですが——」
「わかっているなら——」
二人の声が、重なった。
天幕の中の空気が、一気に険しくなった。
——やっぱり。お父様と義姫様は、昔から喧嘩が多かったんだ。これは放っておいたら、夜明けから兄妹喧嘩が始まる。
「……叔母上、お父様」
私は、静かに口を開いた。
二人が、同時に私を見た。
「今、お二人が喧嘩をしても、誰も得をしません」
私は、できるだけ穏やかな声で続けた。「話し合うべきことは一つだけです。どうすれば、この戦を止められるか。——それだけです」
天幕の中に、沈黙が落ちた。
義姫が、少し間を置いてから言った。
「……駒姫、あの文を書いたのは、あなたですね」
「はい」
私は、短く答えた。
義姫が私を見た。その目が——わずかに変わった。「値踏み」の目から、何か別のものが混ざり始めている。
「政宗は、私が行けば止まります」
義姫が静かに言った。「ただし——兄上も、今日は動かないと約束してください」
「……よかろう」
「三者で話し合いの場を設けましょう。政宗と兄上と——それから」
義姫の視線が、私に向いた。
「この子も同席させてください」
義光の眉が、動いた。
「駒を?」
「この子が動かしたことです」
義姫が、静かに言った。「最後まで、この子に立ち会わせるべきでしょう。——それとも、兄上は反対ですか?」
義光が、少し間を置いた。
「……いや、反対はせぬ」
その顔が、複雑だった。
——義姫様。あなたは私を『使える』と判断してくれた。……でも、お父様の顔が少し複雑だ。娘が自分の知らないところで外交を動かしていたことへの——誇りと、置いていかれたような寂しさが混ざっている。
——ごめんなさい、お父様。でも——これが、生き延びるための道なのです。
朝の光が、出羽の空を白く染めていた。
「では、政宗のところへ参ります」
義姫が立ち上がった。
「護衛を付ける」
義光が言った。
「要りません」
義姫が、一言で一蹴した。
「しかし——」
「兄上は」
義姫が振り返り、義光を見た。その目が、少しだけ柔らかくなっていた。
「駒姫の傍にいてあげなさい。それがあなたの仕事です」
義光が、黙った。
義姫が私に向かって、初めて——ほんのわずかだが、表情を和らげた。
「また、会いましょう。——あなたと話すことが、まだたくさんありそうです」
そう言って、義姫は陣門へと歩いていった。
駕籠の戸が閉まり、護衛の騎馬が動き出す。蹄の音が、春の朝の空気の中に消えていく。
義光が、しばらくその後ろ姿を見送っていた。
やがて——大きな手が、私の頭にそっと置かれた。
「……駒」
「はい」
「……無茶をするな。だが、よくやった」
その声は、低くて、静かで——少し、寂しかった。
——お父様に褒められた。
私は、なぜか少し泣きそうになった。七歳の身体は、本当に正直だ。
——でも、お父様の声が、少し寂しそうだった。知将として先を越された悔しさか、それとも——娘が自分の知らないところで大きくなっていることへの、父親の寂しさか。
……どちらも、かもしれない。
鮭延秀綱は、少し離れた場所から、その光景を見ていた。
殿が、七歳の娘の頭に手を置いて、静かに立っている。義姫様の駕籠が遠ざかっていく朝の陣の中で、二人はしばらく、そのままでいた。
その横顔は——いつもの謀将の顔とも、父親の顔とも言い切れなかった。
どちらでもあって、どちらでもない——そういう顔だった。
——(この姫様は……殿を、最上を変えるかもしれない。いや)
鮭延は、静かに思い直した。
——(すでに、変えているのかも知れん)
義姫様の駕籠が、伊達軍の陣へと向かっていく。
私はその後ろ姿を見送りながら、静かに考えた。
——三者会談が開かれる。
政宗従兄様と、初めて向き合う。
史実では知っている。伊達政宗——独眼竜。東北最大の英雄にして、後の世に「あと十年、あるいは二十年早く生まれていれば天下を取れた」と語られた男。
でも——実際に会うのは、また別の話だ。
——どんな人だろう、政宗従兄様は。
出羽の春の空が、どこまでも青かった。
三者会談が決まりました。




