剛鬼という乙女について
ピンと張り詰めた空気。
からっ風が肌を撫で、散った木の葉を巻き上げる。
ザワザワと草木が騒ぎ、どこからともなく鳥の鳴き声が聞こえてきた。
風に攫われた砂煙が草履を撫でる。
「「………」」
向かい合い、木刀を構えた和服姿の二人。
極限まで張り詰めた緊張が今、断ち切られた。
「せぇえいっ!!」
最初に動いたのは小柄な少女だった。
コンパクトな動きで即座に相手との距離を詰め、木刀を振るう。
少女が全力の攻めの姿勢で打ち込み続ける一方、相手の女性は専ら受け流すことに専念していた。
少女がどれだけ的確に、強力に木刀を打ち込んだとしても。
女性は実に流麗かつ冷静に全ての攻撃を捌く。
技量の差は歴然だ。
攻めあぐねた少女が強引に間合いを詰めて、鋭い突きを繰り出した。
しかし切っ先が当たることは無く、体を捻って踏み込んだ女性の木刀が速やかに少女の体に迫る。
「んぎっ……!」
木刀が命中する寸前。
無理やり割り込ませた足裏で木刀を抑え、振り払われる勢いに乗ってバク宙で距離を取った。
着地と同時に、木刀の切っ先を地面にめり込ませ思いっきり振り上げる。
少女の人外の膂力によって思いっきり巻き上げられた土砂が、女性に襲いかかる。
目潰しのつもりだろうか。
確かに視界は塞がれたが、女性は見えずとも少女の動きをしっかりと把握していた。
ビシビシと砂利の礫を体に受けながら、女性は地面を陥没させる程の凄まじい踏み込みで、その場から瞬時に姿を消した。
「うぇっ!?」
少女は、突如としてズザッ……!と目の前に現れた女性に信じられない様子。
抜刀の構えから放たれた神速の斬撃をかろうじて木刀で受け、地面を転がる。
さすがと言うべきか、立て直しは非常に早かった。
後転のような動きで即座に体勢を立て直し、女性の追撃を全て防いで木刀を抑える。
振り下ろされた木刀の切っ先を踏み付けて動きを封じてから、少女は全力で己の木刀を振り払った。
────勝った!!
少女がそう確信したのもつかの間。
振り払った木刀が、女性が盾代わりに構えた腕に当たった瞬間、バギィッ!!と折れてしまった。
あまりにあっさりと折れるものだから、発泡スチロールで作られたおもちゃの木刀だったのでは?と疑ってしまう程だ。
もちろんそんな事はなく、正真正銘の普通の木刀なのだが。
少女の口から「ほぇっ」と間抜けな声が漏れ出した。
半ばから折れた木刀の切っ先が宙を舞い、細かな木片が平然とした女性の頬を打つ。
ギャグマンガみたいな作画で呆ける少女。
次の瞬間、アホ面を晒す少女の姿がブレた。
「ひええええっ!?」
思いっきり、お空にかっ飛ばされたのだ。
少女の眼下では、木刀を振り上げた状態の女性が「高く飛んだなぁ……」みたいな表情で呑気に見上げている。
数秒後。
「あべしっ!?」
上昇が終わった少女は、万有引力に引っ張られて地面に落下した。
うつ伏せで。
潰れたカエルのような尊厳の欠けらも無い体勢で、少女はピクピク……と痙攣している。
「………中々良い動きをするようになったな、朱香」
満足げに女性は頬を緩める。
彼女の額には、漆のように深い漆黒を凝縮した美しい角が生えていた。
"鬼"と呼ばれる、伝統的な系譜を引き継ぐ特異な種族のトレードマークだ。
角と同じ艶のある黒髪をポニーテールにしたこの女性は、名を剛鬼。
ヴィラン互助会を率いるゼロの腹心である。
「前回とは見違える程の成長だ。頑張ったな」
うんうん、としたり顔で頷く剛鬼さん。
少女の成長が本当に嬉しいのだろう。
先程の手合わせを的確に分析しつつ、見えてきた課題を懇切丁寧に説明している。
だが気付いてあげて欲しい。
肝心の少女は未だに地面に伏して痙攣したままだ。
解説が耳に届いているかすら定かではない。
「……ん?こら、ちゃんと聞いているのか?朱香」
剛鬼は襟首を掴んで少女を引っ張り上げる。
体の前面のみ土まみれという悲惨な状態の少女は、青ざめた顔で白目を剥いていた。
口から「うぼぁ……」と吐き出されていたエクトプラズム的な何かを剛鬼が叩いて戻すと、しばらくして少女は目を覚ました。
「うぅ……酷いよ姉御」
「何を言う。手加減が必要無いと言ったのは朱香だろう」
「それはそうだけど!」
負けたのが相当悔しいらしく、朱香と呼ばれた少女は地団駄を踏んでいる。
荒ぶっていた両手両足を大の字に広げて地面に寝転がると、朱香はぶすっとした不満げな表情のまま青空を見上げた。
「いつになったら姉御に勝てるんだろ〜……」
未だに、自分の実力が剛鬼の足元にも及ばないのは自覚しているつもりだ。
それでも少しずつ……本当に少しずつではあるが、その差が縮まっていることを手合わせの度に実感し、一人で盛り上がっていた。
けれどこうして打ちのめされる度に、改めて自分と剛鬼の前に立ち塞がる分厚い壁の存在を思い知らされ、気分が沈んでしまう。
「前にも言ったろう。朱香は"妖力"を鍛えるべきだ。戦闘において、妖力を使いこなせれば莫大なアドバンテージとなるのだぞ?」
「嫌だ!だって、姉御も妖力使ってないじゃん!私は姉御みたいになりたいの!」
「まったく……聞き分けの悪い」
剛鬼は呆れを大いに含んだため息を吐く。
自分の強さに憧れを抱いてくれるのは、正直に言ってかなり嬉しい。
けれど今回の場合は素直に喜べない理由があった。
"妖力"は鬼にとって何よりも重要視される、最も大切な強さの判断材料だ。
妖力を上手く使えば身体能力の活性化や、古来より伝わる特殊な術を発動させることも出来ると聞く。
操り方が上達すればするほど、戦闘においてさらなる優位を獲得することが出来るのだ。
そのため基礎的な肉体の鍛錬もそうだが、妖力を操れる種族は何よりも、その力を発達させることに心血を注ぐ。
それこそが、強くなる王道かつ近道であるのだ。
けれど剛鬼がそんな妖力には一切頼らず、己の肉体のみで戦うのには明確な理由があった。
「何度言わせるのだ。私は妖力を使わないのではなく、使えない。本来ならば妖力を駆使して戦うのが、"鬼"のあるべき姿だろう」
「でも……!」
そう、剛鬼は特異体質なのだ。
"鬼"に生まれたのならば必ず授かるはずの妖力という力を、剛鬼は何故だか与えられなかった。
「出し惜しみをしてどうする。私を超えたいのなら、自分の持ちうる全てを使って挑むべきではないのか?」
「………」
しかし朱香は違う。
優れた妖力の才を持ちながら、それを活かす戦い方を全くと言って良いほどしていなかった。
"剛鬼のようになりたい"……その目標は否定しない。
しかし、普通の鬼が素の身体能力のみで剛鬼と渡り合うことは、もはや不可能と断言出来る次元に近かった。
「……最近、また先生の元から逃げ出したそうだな」
「えっ!?な、なんでそれを……!?」
朱香が明確に慌て始めた。
宿題をサボっていた事がバレた子供のように、挙動不審な様子で手をワタワタさせている。
剛鬼がクスリと笑みを漏らした。
「先生から直接聞いた。道場で大暴れしたらしいな」
「………だって、姉御の悪口言ってたんだもん」
「ふっ、あいつらはまだ私という存在に囚われているのか。飽きない奴らだ」
物憂げな朱香の言葉を剛鬼が笑い飛ばす。
かつて幼い頃、剛鬼は生まれの地である鬼の里にて、持たざる者として迫害を受けていた。
人間で言うところの"血が通っていない"状態と同義なのだ。
妖力を崇拝するレベルで重要視していた鬼の里からすれば、剛鬼という存在は異端に他ならず、そう時間が経たぬうちに密かに追放された。
もちろん全員が全員、剛鬼のことを見下していた訳ではない。
朱香や"先生"のように剛鬼のことを大切に思っていた者も一定数は居た。
けれど、里長の決定を覆すことは出来なかった。
「……姉御は悔しくないの?」
「ん?まぁ、好きに言わせておけば良いさ。所詮は妖力も持たぬ私にすら勝てない者の戯言だ」
本当に気にしていないらしく、欠片の興味も抱かず剛鬼はそう言い切った。
しかし、朱香は違うらしい。
「私は……悔しいよ。姉御のこと、悪く言われたら」
剛鬼はやれやれとため息をついた。
「ならば変えるしかなかろう。朱香、お前の力でな。たとえば……そうだ。里長にでもなって、里の風習を根本から立て直したり、とかな」
「えぇ〜……。姉御が殴り込めば一発なのに」
「残念だったな。私はもう守るべきものが出来てしまった。昔ほど簡単に馬鹿は出来ないさ」
「ふ〜ん……」
里からの追放は、当時の剛鬼としてもそれほど驚くことではなかった。
里長の硬い頭にはイラッとしたが、所詮は老いぼれ共のくだらない風習が原因だ。
むしろこっちが願い下げだ、なんてそんな勇ましい態度で自分から山を降りた。
結局はその決断が、後に現在の主人であるゼロと出会うキッカケになったのだ。
人生とは何があるか分からないものである。
剛鬼は今でも、あの時に里を出たことを微塵も後悔していなかった。
「……姉御がこんなに乙女の顔するなんてなぁ。里の皆が知ったらビックリだよ!」
「おおお乙女とか言うなっ!」
剛鬼が一瞬にして、茹でダコのように顔を真っ赤に染め上げた。
いや本当に、里の皆が知ったら驚くと思う。
あれだけ男勝りで乱暴な性格だった剛鬼が、こうして一端の恋する乙女みたいな顔が出来るようになったのだから。
朱香が「ケッ」とやさぐれた表情で口をへの字に曲げる。
「そうですかそうですか、姉御は故郷の可愛い妹分よりも男ですか。………ちょっと姉御誑かした野郎の玉ァ潰してきますね」
「あっ!?ま、待て、朱香!」
目の据わった状態でズンズン突き進む朱香を止めるのは、ただ稽古相手をぶっ飛ばすよりも遥かに難易度が高かった。
後に剛鬼はそう語ったと言う。
互助会の話をすると確実にゼロが省かれてる気が……。厨二病の目立ちたがり屋なのに中々登場させてもらえないゼロ君。憐れ。
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