公式からの過剰供給っ
秘密結社Xのアジトにある、ソアレ専用の研究室。
いつ如何なる時に訪れても目を疑うような汚部屋なため、本人を除けばほとんど訪れる者の居ない団内屈指の魔境だ。
今日も今日とて脱ぎ捨てられた洋服や白衣、潰れたダンボールなどが積み重なり、足の踏み場を限りなく無くしていた。
その中でも最も床の面積を埋めているのは書籍類だ。
日本語だけでなく、様々な言語で執筆された無数の書籍や論文資料などがあちらこちらに散らばっており、視覚的にも室内を圧迫していた。
この中から特定の書籍を探そうとするのは、まず無理な話だろう。
そんな研究室の中には四人掛けのテーブルがある。
主にソアレがデスクワークで使うためのものだが、机の上の半分は山積みの書類で埋もれていた。
奥から簡素なデザインのオフィスチェアを持ってきたソアレはそれに腰掛け、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口、口に含んだ。
相変わらずの縦セタタートルネックに白衣を羽織ったソアレ氏。
眠たげに目尻の下がった彼女の目元には濃いクマがあり、髪の毛もボサボサで変なはね方をしている。
ソアレは元々机に置きっぱなしだった、少し中身の残ったマグカップを端に寄せて、改めて自分が持つ別のマグカップを空いた場所に置いた。
しなやかな生足を組み、手に持っていた書類をペラペラとめくる。
しばしの沈黙。
彼女が何を考えているのか、その表情からは読み取れなかった。
ソアレの対面に座った人物はあまりの居心地の悪さに、体を縮めて視線を泳がせることしか出来ない。
………そう、実に珍しいことに、ソアレの研究室には客人が訪れていたのだ。
まぁ"訪れた"と言うよりも、"連れ込んだ"の方が正しいのだが。
ソアレと向かい合って座った人物の元には、ランプ型のオシャレなデスクライトから淡い光が注がれている。
一見するとまるで事情聴取のような雰囲気だが、それはあながち間違いではなかった。
ライトの光に照らされた人物がゴクリと生唾を飲み込む。
この状況が彼女にとって、非常に都合が悪い………下手をすれば、命に関わると言っても差し支えない事態なのだ。
緊張するのも仕方あるまい。
それに気が付いたソアレが、書類から顔を上げて薄く微笑む。
「そう気を張らなくても大丈夫だよ。こちらに君を害する意思は無い。もし尋問でもするつもりだったら、とっくにイリス君にでも引き渡しているよ」
ペラリと書類をめくりながら、ソアレがさっぱりと笑い飛ばす。
「ふむふむ……これはまた、随分と頑張ったねぇ。大変だったろう」
印字された情報を目で追い、ソアレは感心したように顎に手を添える。
褒められてはいるのだろう。
しかし、その人物は素直に喜べなかった。
まるで他人の家に預けられた飼い猫のように、ビクビクと忙しなく視線を巡らせている。
「まさか天下のアイドル様が、うちのボスをストーキングしてたなんてね……。ふふっ、これだから彼は面白いんだ」
心底愉快そうに、ソアレは笑い声を噛み殺している。
当の"天下のアイドル様"本人は、若干………否、かなり気まずそうだ。
「やっちまった……」と視線が泳ぎまくっている。
お行儀良く差し出された椅子に座り、お手本のようなリアクションでソアレに弄ばれている彼女こそ、今回の予期せぬメインゲスト。
アイドルグループ・デモンソウルズ所属の天才アイドル、ルーシィちゃんである。
「ボスのストーキングを始めたのはいつ頃からだい?この様子だと、割と最近だと思うのだが……」
「な、夏になる前くらいからです……」
ルーシィちゃんは素直に白状した。
思った通り最近だったとは言え、それから今日に至るまで、誰一人にもバレずアジト内部を闊歩していたという事実に、やはりソアレは興味を惹かれたようで。
くつくつと笑い声を漏らした。
「まさか私やイリス君だけでなく、嗅覚の鋭いウルフ君まで気付けなかったとは……。驚きだね。何かコツとかあるのかい?」
今までルーシィは、何度かに渡り秘密結社Xのアジトに侵入していた。
目的はもちろん、最推したる我らがボスの日常を観察するためである。
さりげな〜くそのお姿を写真に収めたり、好みを把握したり、私物を拝借したりなどなど。
バレない程度に抑えつつも的確なチョイスでコレクションを増やしていった。
ここまで発覚が遅れたのは、彼女に備え付けられたアイドルとは思えない能力が原因だろう。
監視カメラの位置から導き出される死角を利用した移動は元より、潜入を通して気配を殺すスキルや圧倒的視野の広さなどなど……。
もはやアイドルじゃなくてスパイでは?
みたいなスキルツリーが育ってしまったルーシィちゃん。
だが残念なことに、薄々違和感に気付いていたソアレが監視を強化。
ボスの私物で釣るなど様々な作戦を企て、結局はご覧の通り捕縛に成功した……という訳だ。
何分、双方共にこういう状況は初めて。
ソアレはあまりの物珍しさに、嬉々としてストーキングの成果を追うのに夢中。
対するルーシィちゃんはヴィランに捕まった自分がこれからどうなるのか、どうしても悪い想像を巡らさずには居られなかった。
もちろん憧れのファントムさんの仲間達だ。
まさか彼が嫌うような残虐なタイプのヴィランでは無いだろう。
目の前の女性が口にした言葉も、全て嘘であるとは思えなかった。
ただ……。
その、失礼なのは分かっているのだが。
この人の雰囲気がなんと言うか、その………明らかに、"そっち系"の科学者のそれなのだ。
有り体に言えばマッドサイエンティスト。
シンプルにちょっと怖かった。
「あっ、あの!お願いします!ファントムさんにはこの事、内緒にしておいてもらえませんか!?嫌われたくないんです……!」
当然、ルーシィ本人も無茶を言っているのは重々承知している。
嫌われたくないのならば、そもそもストーキングなんてするなというだけの話だ。
しかしそれでもルーシィは迸るパトスを抑えられなかった。
現状一番あって欲しくないのは、ボスにドン引きされること。
人間性を疑われ、避けられてしまうことだ。
想像しただけで血の気が引く。
それだけは絶対に嫌だった。
好きな人に距離を置かれるのが最も心にクる。
ルーシィは地べたに擦り付ける気持ちで頭を下げた。
「そうだね……この事を内密にして欲しいなら、一つ、条件がある」
顔を上げると、ソアレの胡散臭い笑みが視界に入った。
これ、なんてエロ同人?
ボスがこの場に居たら、間違いなくそうツッコんでいただろう。
確かに見方によっては、エロ同人の導入にも見えるシチュエーションだ。
だがしかし、今回はそういうのじゃなくて。
「これからもストーキングを続けてくれて構わない。ある程度のバックアップもしようじゃないか」
まさかの提案にルーシィは一瞬だけ硬直した。
それでも、すぐに我に返って疑いの視線をソアレに向ける。
「どうして、ですか……?」
「いや何、君の技術は実に素晴らしいと思ってね。ここでせっかくの機会を潰すなんてもったいない」
ソアレは人差し指を立てて続ける。
「ストーキングで得た情報の共有────これが条件さ」
念のため言っておくが、ソアレまでボスの熱狂的なファンになった訳ではない。
だが研究対象という点においては、ソアレもルーシィ同様にボスに対する熱い想いがあるのだ。
ルーシィのコレクションやストーキング技術は、その研究において大いに役に立つ。
「要はウィンウィンの関係さ。どうだい?」
「………」
ニコリと微笑みかけられたルーシィは黙り込んでしまった。
魅力的な提案だ。
今まで四苦八苦していた推し活に、明確な助力者が介入するのだ。
当然、今まで以上にスムーズかつ充実した推し活ライフを送ることが可能だろう。
断る理由が見当たらない。
だが……それでも、ルーシィの心の奥底にある独占欲が彼女の後ろ髪を引く。
彼の全てを手に入れたい。
彼の全てを知りたい。
頭のてっぺんから足の先まで。
何もかもを愛したい。
その重すぎる想いが、同意の言葉を喉の奥で留めていた。
「おや、あまり前向きではないのかな?残念だ、それならこれは捨ててしまおうか」
ソアレが肩をすくめながら、指で挟んだL半サイズの紙をピラピラと扇ぐ。
ルーシィは見逃さなかった。
スーパーファントムさんアイが確かに捉えたのは、何かの資料を真剣な表情で眺めるファントムさんの姿だった。
その瞬間、ルーシィの想いは決まった。
「よろしくお願いしますっ!!」
全力で頭を下げた。
土下座する勢いで頭を下げつつ、「なのでど〜〜かその尊いお写真をくださいませ!」と両手を差し出している。
抜かりない。
望み通りの返答にソアレは満足そうに口元を緩めた。
「ふふっ。それじゃあ、これからもよろしくね」
約束通り、契約締結を祝して一枚の写真が贈呈された。
ルーシィは恐る恐る顔を上げた。
「ぐふっ」
思わず口元を抑えたルーシィちゃん。
危うく吐血しそうだったらしい。
ニヨニヨとだらしなく朱に染まった頬を緩ませ、蕩けそうな瞳で食い入るようにして写真の中のボスを見つめる。
「はぁ〜〜♡尊っ♡ちょ、イケメン過ぎるんですけどぉ〜♡」
熱を帯びた甘い声。
それくらい、真剣モードのボスは激メロだったらしい。
「……そうだ。お近付きの印にこれらもプレゼントしよう」
何かを思い立ったソアレが引き出しからいくつかのアイテムを取り出して、ルーシィちゃんに渡す。
ボロボロのロングコート(ボス使用済)、ボスのマグカップ、小雪ちゃんとのお昼寝写真、トレーニング後の汗だくボスの写真等々。
思わず「なんでそんなの持ってんねん」とツッコミたくなる物品の数々だ。
随分とまた用意がいいですね?ソアレさん。
「突如として公式からの過剰供給っ!これが………これが推しで溺れ死ぬ感覚っ……!」
恍惚とした表情でルーシィはそう呟く。
どうやら満足してくれた様子。
やはり良い関係を築くためには、こちらからもそれなりの誠意を見せる必要があるのだ。
公式(?)グッズを抱えて大満足なルーシィと握手を交わし、バレないうちにアジトの玄関まで送ってあげることにした。
「ソアレさん、ありがとうございました!」
「どういたしまして。報告、期待してるよ」
お互いに意味は違えど、実に良い笑顔で手を振ってお別れとなった。
ルーシィの背中が見えなくなるまでしばらく待っていると、彼女の背が木々の影に吸い込まれるのと入れ替わりで、出かけていたボスが別のルートから帰ってきた。
まるで見計らったかのようなタイミングだ。
「あれ、珍しいじゃん。どったの?」
「いや?たまには外の空気を吸いたいと思ってね」
「ふ〜ん」
何も考えていないようなマヌケ面で相槌するボス。
これがあのメロい写真と同一人物と考えると、ちょっと面白い。
思わず零れそうになった笑いを欠伸で誤魔化して、ソアレはボスを促しアジトへと戻って行った。
─────オマケ────
自宅の推し活ルームにて。
「ふへへ♡やっぱりかっこいいなぁ♡」
ロングコートとマグカップは飾り済。
新たに手に入れた写真の数々を眺めながら、ルーシィは仄暗い恍惚とした表情で甘い声を漏らす。
一方、秘密結社Xのアジトにある研究室では。
いくつもの液晶にウィンドウが表示されており、キーボードがカタカタと音を立てる度に何かしらの変化が加わっていく。
ソアレは指の動きを止めて、コーヒーを一口飲んでから思いっきり背もたれに体重を預けた。
「ふふっ……。やはり退屈しないね、ボスの傍に居ると」
楽しくて仕方ない。
言葉にはしないものの、いつもとは違い蘭々と輝くその瞳が雄弁に物語っていた。
系統は違えど、二人のヤバい女に目を付けられてしまった我らがボスであった……。
恐ろしい二人組が完成してしまった気がする……。
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