強欲の真価
ブワッ!!と広がった黒霧が一気に押し寄せ、ボスの視界を埋め尽くす。
目潰しのつもりだろう。
しかしボスは、黒霧の中でギラリと鈍い光が反射したのを見逃さなかった。
軽いバックステップでその場から逃れた直後、勢いよく振り下ろされた鉈のような骨太のナイフによって、大きな音を立てて地面が砕けた。
ドゴォンッ!!と鳴り響く轟音。
砕けた大地の残骸に混じって、残り少ない紅の落ち葉が宙を舞う。
「おおらァッ!!」
舞い上がった落ち葉を巻き込んで、振り払われた異形の腕。
本来ならばありえないリーチの長さで易々とボスの上体を捉え、激しく弾き飛ばした。
ドンッ!ドンッ……!と二度のバウンドを経て体勢を立て直したボスは、素早く飛び退き追撃の拳を回避する。
「はっはァ!!どぉしたファントムちゃ〜〜ん、随分と後手に回るじゃねえかァ!!」
ボスが放った紫炎を手のひらに新しく構築した化け物の口で捕食し、構わず突っ込んでくるブレン。
すっかりハイになっているらしく、瞳孔ガン開きの最高にキマった表情だ。
ドロリと腕から溢れ出した毒々しい粘性のある液体がナイフに滴る。
切っ先から滴り落ちた液体が地面に触れると、途端にジュッ!と音を立てて白煙が立ち上り、地面が溶けてしまった。
明らかに強力な酸性を持っている。
溶解液のような物なのだろう。
「……それも殺した相手の能力なのか?」
「おうよ!こいつァ強力だぜ……!なんせ体験者の貴重な意見だからなぁ!!」
振り払われたナイフを、ボスは紙一重で回避する。
しかしどうやら振り払った際に飛び散った液体を回避し損ねたらしく、ロングコートの裾に一部、小さな穴が空いてしまった。
実に恐ろしい。
きっと人体が触れたのなら、まず皮膚はあっさりと溶け落ちてしまうだろう。
迂闊に手が出せないし、回避はともかく防御すら難しい。
攻防一体の厄介な能力だ。
それでもボスにはこれがある。
「……あァ?」
「やっぱシンプルイズベストよ」
ただひたすらに、硬さを極めた最強の盾。
紫色のクリアなキューブが、再度振り払われたナイフをきっちりと受け止めていた。
さすが、物理のほとんどを無効化する最硬の盾だ。
ブレンの一撃を見事に防いだものの、すぐにボスは異変に気が付いた。
ナイフとキューブの接地点からボコボコと大小の気泡が膨らんでいるのだ。
鼻を突く、えも言えない臭い。
瞬時にボスは理解した。
あの液体の本質は強力な酸などではない。
これは───。
その時、ズプッ……!とナイフの切っ先がキューブにくい込んだ。
徐々にだが侵食しつつあるのだ。
最強の盾に、毒が回るように。
「"腐敗"か……!」
「ご名答ぉ!」
ブレンは、さらにググッ!と力を込めナイフを押し込む。
数秒後にはキューブを切り裂き、ボスの腹にその切っ先を食い込ませるだろう。
急所にアレを喰らうのは不味い。
そう判断したボスは、即座にまさかの選択をした。
「おっ!?」
ブレンが奇っ怪な声を上げる。
あったはずの手応えが、思わぬタイミングで消えたからだ。
そう……なんとボスは、自ら紫色のキューブを解除したのだ。
力の入り具合は中途半端なものの、ナイフの切っ先は予想通りの軌跡を辿ってボスの横っ腹に迫る。
そこから、ブレンが巧みな体捌きで力を込め直すまでの刹那。
先に行動を起こしたボスが先手を取った。
「うおっ……!んマジか!」
ブレンが嬉々として叫ぶ。
目の前の光景が、余程彼の琴線に触れたらしい。
そうだ、普通なら誰だって避ける。
しかしボスはそれを選択したのだ。
ジュウウウッ!!と激しく白煙が立ち昇り、同時に吐き気を催すような異臭が香る。
ポタッ……と毒々しい色の液体が地面に落ちた。
「そいっ!」
「ぐあっ……!?」
握ったナイフの刃を引き、体重を乗せた渾身のヤクザキック。
ギシッ……!と骨が軋む音を耳にした直後、ブレンは激しく蹴飛ばされていた。
土煙を撒き散らしながらブレンは地面を転がる。
そして、やっと体勢を立て直したと思った瞬間。
ゴロゴロと天空で唸り声を上げていた稲妻が、轟音と共にブレンの元に降り注いだ。
「……ッ!!」
全身を駆け巡る激痛をブレンは歯を食いしばって耐える。
パリッ……!とスパークする稲妻の余韻。
訪れた一瞬の静止。
ボスはそれを逃さなかった。
畳み掛けるような拳の連打を浴びせ、終いに強烈な横蹴りをブレンの脇腹にお見舞いした。
もちろん全て、"身体強化"の能力で底上げされた物理攻撃だ。
細身のボスでも、一発一発が相当の威力となっているはず。
だが、唇から血を流したブレンはさらに笑みを深めた。
逆さ三日月のように裂けた邪悪な笑みを。
「イイねぇ……!もっと殺し合いを楽しもうぜぇ、ファントムちゃんよォ!!」
至近距離で振り下ろされた異形の拳を防いだボス。
手のひらに開いた化け物の口が、ボスの体に食らいつこうとガチガチと牙を打ち鳴らす。
「くっ……!」
距離が近いのが不味かった。
押し付けられる形で化け物の口が眼前に迫り、圧倒的膂力でどんどん近付いてくる。
ついに首筋に化け物の牙が触れ、一筋の鮮血が鎖骨に沿って流れ落ちた。
もちろんボスとて、このまま黙って食われるつもりはない。
862号の時と同様の手段で脱出を試みようとしたものの、その直前にボスは異様な光景を目にした。
「うげっ……!」
仮面の奥の瞳が嫌そうに歪む。
一言で言うとキモかったのだ。
野太い異形の腕から、細長い触手のような腕が無数に生えてくる光景が。
〈再構築〉を侮っていた。
あれは体を構築する細胞数の範囲内であるなら、そして能力者の想像力の範疇ならば……。
割と何でもありの、とんでも能力なのだ。
「こりゃあ便利だなぁ、っとぉ!!」
まるでイソギンチャクが意志を持って敵を拘束するかのように、無数の腕がボスの体をがっちりと押さえ込んだ。
数が数だけに引き剥がすのは相当骨が折れそうだ。
凄まじい万力のごときパワーで引っ張られ、ボスは抵抗する間もなく手のひらに空いた化け物の口に吸い寄せられた。
「……っ!」
並んだ鋭い牙が、ボスの左肩に突き立てられる。
メキッ……!と骨が軋む音。
血がダラダラと流れ落ちる。
鋭い痛みが、神経を侵す。
「いっ、てぇええっ!!」
涙目で叫びつつ、ボスは胸に宿った紫色の灯火を一気に燃え上がらせる。
爆発的に膨張したそれは一瞬にしてボスの体を包み込んで揺蕩い、太陽フレアのごとく灼熱の炎を撒き散らす。
異形の腕は野太い本体を残してあっという間に焼滅。
火だるまになったブレンは堪らず地面を転げ回る。
「うおおおっ……!?くそっ、何だこの炎!消えねぇ……!」
その隙に距離を取ったボスは肩の傷口に指を添え、仮面の奥で思わず顔を顰めた。
「……」
羽織っていたロングコートは完全に切り裂かれ、その下にあるワイシャツはすっかり真っ赤に染まっていた。
図太い歯型は、まるで野生のクマにでも襲われたかのようだ。
「……おっ?消えた。これこういう使い方も出来んのか……」
見ると、いつの間にかブレンを覆っていた紫の炎が消えていた。
残るのはプスプス立ち昇る黒煙のみ。
どうやら手のひらに構築した化け物の口で炎を食ったらしい。
ただ食うだけでなく、吸引のような真似も出来るようだ。
本当に悪食過ぎて困る。
「よっと……。危ねぇ危ねぇ、今のはちょいと焦ったぜ」
「嘘付け」
憮然とそう言うボスに、ブレンは笑みを絶やさず答える。
「いやいや、危なかったのは本当だぜ?だがその"スリル"こそ戦いには大事なんだ……。スリルが無い戦いなんてクソ喰らえだ。そうだろ?」
「……いいや、違うね。お前みたいな快楽主義の戦闘狂と一緒にすんな」
「おいおい、つれねえじゃねぇの」
酷い言われようだが、ブレンは全く気にしていない様子。
ヘラヘラと笑いながらナイフの峰で肩を叩いている。
ボスは一つ、小さなため息をついた。
こいつは生半可な攻撃では倒せない。
〈強欲〉という、殺した相手の力を奪う狂気の能力。
おそらく隠している手はまだまだあるだろう。
恐ろしいのは手数の底が見えない事だけではない。
それに加えて、無条件で万全の能力を奪えるという点だ。
ボスの〈コピー&ペースト〉によってコピーした能力の再現度は、その能力に対する理解度に依存する。
だから勘違いを正さなければ一生本家の性能は発揮出来ないし、勘違いした状態では勘違いに気付けない。
それに対してブレンは能力を"奪う"ため、得た能力の機能自体は万全。
そこからどう発達させるかは本人によるとは言え、スタートラインがまず違う。
結局じゃあ何が困るって、ここで逃がしてしまえばより多くの能力を奪い、研究し、さらなる強さを身に付けてしまうかもしれない、という事だ。
回りくどくなったが結局はそれに限る。
ただでさえ面倒なのに、さらに手が付けられない強さを手に入れてしまったら……。
それこそ、九尾などの規格外の化け物に助けを乞うしか方法はあるまい。
────だから、ここで確実に殺さなければならない。
殺す。
そう、殺すのだ。
今までのように"倒す"ではなく、殺さなければならない。
この平穏を守り抜くために。
「……はぁ、やるしかないか……」
あまり気は進まないのだろう。
再度ため息をついたボスは、ボロボロになったロングコートのフードを脱いだ。
露わになった黒髪が、ふわりとそよ風に揺られる。
「……」
そしてボスは、自身の顔を覆い隠す仮面に手をかけた。
次話にて、ついにボスが仮面を取ります。
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