出会いは朦朧と
───これは、在りし日の記憶。
部屋の中の照明器具は全て沈黙し、物静かな暗闇に満ちている。
部屋の大きさは……かなり広い。
だいたい高校の教室と同じくらいだろうか。
等間隔にデスクが並べられ、その上にはパソコンと共に大量の書類が山のように積み重なっていた。
唯一の光源は、並んだデスクの内の一つ。
相当の高性能と思しきデスクトップパソコンに四面の液晶、それと複雑にうねる配線。
色とりどりに地面を這う配線は、まるで一種の芸術かのようだ。
液晶から漏れる淡い光に照らされた人物の目元には深いクマが浮かんでおり、荒んだ瞳からは生気がまるで感じられない。
傍らに放置された大量のマグカップは、眠気という誘惑に打ち勝つために摂取したカフェインの多さを如実に表している。
寝癖混じりの髪の毛はボサボサ。
羽織った白衣はシワまみれで、大人しい配色のセーターもまた心なしかくたびれて見える。
それでもカタカタとキーボードを打つ速度だけは、数日前から決して衰えることはない。
一体何が、ここまで彼女の意欲を掻き立てるのか。
食い付くように液晶を見つめていた白衣の女性は、不意にピタリと入力を止めて、椅子に深く腰掛け頑丈な背もたれに思いっきり体重を預ける。
ギシッ……と僅かに軋む音。
「……」
何が不満なのか、白衣の女性が浮かべた表情はどこか陰鬱としていた。
しばらく無言の時間が続く。
それを破ったのは、白衣の女性ではなかった。
「───君が間違っているとは言わない。けれど、我々人間には"倫理"というものがあるのだ。人類の象徴たる倫理は、決して易々と捨てて良いものではない。どうやら我々と君は相容れないようだ。残念ながら、我々はこの件から手を引かせてもらう」
開け放たれた扉から差し込む淡い照明の光。
それを遮るように立ち塞がるのは、複数の白衣を着た人達だ。
研究者だろうか。
全員があまり良い顔をしていない。
先頭の男が代表して離反を宣言すると、彼らはゾロゾロと部屋を後にした。
残されたのは、暗闇の中で灯る頼りない液晶の光とそれに照らされた白衣の女性。
また一人きりになった女性は、後悔するでもなくただ落胆した様子を見せる。
倫理観の欠如?
だから何だと言うのだ。
もちろん"倫理"という概念を否定するつもりは毛頭ない。
けれど、こと"研究"という一面において倫理観ほど邪魔なものは存在しないだろう。
医学、科学、心理学……なんでも良い。
その分野を研究する時、"倫理"というストッパーを置き去りにすれば、一体どれ程の研究成果が見込めるだろうか。
未知で満たされたブラックボックスをこの手で開くのだ。
間違いなく、良い意味でも悪い意味でも予想を覆す発見があるだろう。
研究者の本分とは未知を探求すること。
然るに、"倫理"という蓋で固く閉じられたブラックボックスの中身は、彼らにとっての大好物が満ちているだろうに。
自らその道を外れ、人道を歩むとは……。
その選択にとやかく言うつもりは無いが、白衣の女性にとっては理解し難い判断だった。
「……さて、続けるとするか」
白衣の女性はポツリと呟く。
正直、仲間が居ようが居まいが彼女にとっては関係無かった。
結局するべきことは変わらないのだから。
なんなら、静かに研究出来る分アドかもしれない。
女性は仲間の離反にも構うことなく、己の研究を進めた。
たった一つ問題があるとすれば、今にも研究資金が尽きそうなことだけだ。
◇◆◇◆◇◆
────ドゴォオオオンッ!!
完璧に秘匿していたはずの研究施設が、某国の軍によって壊滅した。
おそらく何者かが情報をリークしたに違いない。
数え切れないほどのミサイルを打ち込まれ、爆撃された研究施設が跡形もなく崩れ落ちていく。
ゴウゴウと猛る業火。
実験材料も、研究成果も、全てが燃え尽きてしまっただろう。
それでもなお満足していないのか、研究施設を囲むようにして配備された軍兵や戦車の群れを、白衣の女性は遠くから顕微鏡で眺めていた。
軍の介入を察知していた彼女は、事前に逃走の準備を完璧なまでに整えていたのだ。
惜しい物と施設を失ったが、彼女があそこで培った成果は全て傍らのアタッシュケースに収められている。
また別の隠れ家を見繕えば、すぐにとは行かないものの研究を再開することは出来るだろう。
「次はどこに行こうか……」
白衣を脱いで薄茶のロングコートを羽織った女性は、お気楽な観光客のように地図を眺め、次の目的地について考えながらその場を後にした。
◇◆◇◆◇◆
とある小さな国で密かに暮らしつつ、実験と研究に明け暮れていた白衣の女性。
表通りに面した行きつけの喫茶店にて、優雅なコーヒーブレイクを楽しんでいたある日の事だ。
パラソルで調節された人工的な日陰の下で、女性はコーヒーとクッキーを嗜みながら新聞をめくる。
英語で書かれた紙面にはいくつかのトピックがあり、訳すと一面に『伝説の秘密組織"Z"が壊滅から〇年。残る遺恨が行き着く先とは──』、続く裏面には『ヒーロー・〇〇〇の活躍』など政治的な記事がメインに書かれていた。
つまらなそうに新聞を折り畳んだ白衣の女性は、右手でコーヒーカップを持ち上げ口元で傾ける。
好みのほろ苦さが鼻を抜けた。
その余韻に浸って微笑を浮かべた彼女の元に、ふと影が差した。
よく見るとそれは二つあり、片方はかなり小さく大きい方の影に隠れていたため、気付くまでにほんの僅かな時間を要した。
白衣の女性はおもむろに視線を上げる。
「初めまして、俺の名前は◼️◼️◼️。世間では"ファントム"とか呼ばれてる悪党だ」
ファントムと名乗った青年(?)。
ハテナマークを付けたのは、目の前の人物が無機質な仮面を被り、おまけにロングコートで体型を隠していたため性別の区別がしづらかったからだ。
声からして"青年"で正しそうだが……。
彼の隣には銀髪の少女が寄り添っていた。
歳の頃は10歳前後か、もう少し上。
透き通るような青色の瞳を携えており、服装はかなり大人しめ。
人見知りなのか、ファントムが羽織ったロングコートの裾をちょこんと摘み、彼の背に隠れるようにしてこちらを伺っている。
「初めまして。それで、何の用かな?」
適当にあしらおう。
そんな考えが透けて見える、非常に雑な返答をしてカップを口元に近付けた白衣の女性であるが、ファントムの答えは彼女の予想とはかけ離れたものだった。
「今度さ、秘密結社を作ろうと思ってるんだよね。一緒にやらん?秘密結社」
「……また唐突だね」
一旦カップをソーサーの上に置いて、白衣の女性は呆れを含んだ微笑みを浮かべる。
組織加入のお誘い。
それ自体に魅力はあまり感じられない。
"ファントム"という名は聞いたことが無いし、調子づいた新人ヴィランといったところだろうか。
……いや、それにしては青年の醸し出す雰囲気が異質だ。
確実に"新人"のそれではない。
だが裏社会に精通した自分が知らないとなると、余程の情報統制がされている……?
面白い、と白衣の女性は口角を上げた。
「こちらとしては特段断る理由は無いが、頷く理由も無いと言ったところだね。その秘密結社とやらに加入することで、何か私にメリットは生じるのかな?」
「え?う〜ん、まぁ強いて言うなら、ノルマが皆無なとこ?一応世界征服を目標にするつもりだけど、君には研究に専念してもらいたいんだ。だから何も気にせず研究が出来る、ってのが一番のメリット……なのかな?たぶん」
ふむ、と白衣の女性は考えを巡らせる。
正直言って悪くない条件だ。
実はあれから何とかやりくりをしていた研究資金も底をつき、人目を凌ぐため仮に構えたボロボロの施設にも辟易としていた。
なので、場所と金ズル………ゴホンゴホンッ。
図太いスポンサーが着く分には願ったり叶ったりである。
むしろこちらにとって好条件すぎるくらいだ。
「一つ聞いて良いかな」
「うん」
「どうして私なんだい?優秀な科学者なら他にも居たろう?まぁ一番優秀なのは私だが」
「そこはアレよ、ダウナー系美人科学者っていうビジュアルの勝利よ」
これまた予想外の回答に、白衣の女性は目をぱちくりさせる。
しかしすぐに愉快そうな笑い声を上げると、残っていたコーヒーを全て飲み干し、机の上に新聞を投げ捨てた。
「なるほど、確かに君と居た方が面白そうだ。先程の話、喜んで引き受けさせてもらおう」
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