19話 健康、それは愛
椛は何かと私に運動をさせようとしてきます。
「ねー、芽依も一緒に走らん? 楽しいよ?」
「嫌です」
相手は朝と晩、五キロのジョギングを日課にしている化け物です。ついて行けるわけがありません。
「大体ですねぇ、私が運動嫌いだって分かってるはずなのに、どうして執拗に誘ってくるんです?」
「え? だって、健康でいてほしいじゃんか」
「別に私は健康でいたいと思ってないからいいですよ……」
「でも、私は芽依に健康でいてほしいって思ってるよ?」
無垢な瞳。
いや、これは無垢を装っているのです、きっと。
こういうキュルンとした瞳で見つめれば私が断れないことを知っているのです。
「わ、私が不健康でも、別に椛には関係ないじゃないですか」
「関係あるよ。芽依が運動不足が原因で怪我をしたり病気になったら、私は悲しい」
私、愛されすぎでは?
「し、仕方ないですねぇ、椛がそこまで言うなら」
「よーし、それじゃ今日の夕飯前に走りに行こー!」
「あ、もう一人誘ってもいいですか?」
「ん? 美紅も誘う? 夕飯の準備するから無理って言われると思うけど」
「いえ、運動不足の人、私以外にも心当たりがありまして」
というわけで、やって参りましたお母さんの部屋。
「ヘイ、マミー、レッツゴー!」
「いきなり何」
お母さんは電子タバコを片手に気怠げでした。いるじゃないですか、私よりも不健康っぽい人が。
「一緒に走りましょう」
「芽依が運動したがるなんて珍しいわね」
「お母さんには健康でいてほしいですから」
「そう。じゃあ禁煙もしないとね」
「できるんですか!?」
「普通に無理」
あまりにも即答すぎて、ずっこけそうになりました。
「でも、私はお母さんに健康でいてほしいって思ってますよ?」
椛の技をパクり、キュルルンとした瞳でお母さんを見つめてみます。
「……そう、それはどうして?」
「え、それは」
お母さんのことが好きだから以外に理由はあるでしょうか、いや、ない。
「愛です」
誰かの健康を願うということは、つまり愛なのです。英語で言うとラブなのです。
「そう言ってもらえるのは嬉しいわ。けど、私がタバコを吸う理由もまた愛なの」
「……つまり、それはどういう意味ですか?」
「大人の話よ」
「元カレが吸ってたとかですか?」
図星だったのか、お母さんがごほごほと咽せながら煙を吐き出します。
「ま、まあ、そんなところよ」
「お母さんに元カレが……? お母さん、見た目は小学生なのに……? 私より身長低いのに……? そいつ、ロリコンなのでは?」
「我が娘ながら失礼極まってるわね」
なんか最近、どこかでそんなロリコン野郎の話を聞いたような……って、私のパパの話でした、それは。
……あれ?
私のパパはお母さんと同年代だったわけで、きっとお母さんと面識もあったはずで。
……お、お母さんの元カレってもしや、私のパパなのでは?
けれど以前、私の実の両親について質問したときにお母さんはとても辛そうでした。
ヘイ、マミー、元カレって実は私のパパなんじゃないの? なんて口に出せるはずもありません。
というか、そんなはずはないのです。だって、だとしたら、お母さんは元カレの子どもを引き取って育ててきたということになるわけで、それってどういう感情なんですか?
そんなの、まるで罰ゲームじゃないですか。
「……芽依? どうしたの」
私の様子がおかしいことに気がついたのか、お母さんが心配そうに私の顔を覗き込んできます。
「い、いえ、お母さんに彼氏がいたことが衝撃的すぎて……」
「本当に失礼な子ね……」
「そんなことより、一緒に走りに行きましょう! ね!」
お母さんの手を掴み、椛の待つ子ども部屋へと引っ張っていきます。
それから三人で一緒に走りに行きましたが、私が一キロも持たずに脱落したのは言うまでもありません。
「だから言ったじゃないですかー! 嫌だってー!」
地面にへたり込んで泣き言を叫ぶ私です。
「もうちょい頑張ればランナーズハイで気持ちよくなれるんだって!」
「現代っ子はわざわざこんな辛い思いしなくても、ショート動画でドーパミン出して手軽に気持ち良くなれるんですよ!」
「だからそれが不健康なんだっての! 優ちゃんもこのドパガキに何とか言ってやってよ!」
椛がお母さんに助けを求めます。
「芽依、あなたが私の健康を願ってくれてるのと同じように私や椛もあなたの健康を願っているのよ」
「うぐ」
そんなことを言われると、立ち上がらざるを得ないじゃないですか。
「とは言っても無理しても仕方ないわ。今日はここまでにしましょう」
お母さんが差し伸べてくれた手を掴み、よろよろと立ち上がります。
「芽依と一緒にジョギングなんてしたのは初めてだったわね。楽しかったわ」
お母さんが微笑んで、私の頭を撫でてくれます。
それだけでもう、私の脳はありとあらゆる幸せホルモンで満たされるのです。
「もー、優ちゃんは芽依に甘いなー」
幸せな私とは対照的に、椛は不満げでした。
「そう? 椛には負けるわ」
私って結構、色んな人に甘やかされて生きているのかもしれません。ありがたいことですが、将来何もできないダメ人間になりそうで、ほんの少しだけ怖くもあります。




