第八話 夜は魔の巣窟
「ああぁぁぁっ……! 助けて、助けて! 助けてえぇ、ころされる!」
蝋燭の灯された、古めかしい舞台。いつもの神殿。やけに鮮明に悲鳴が突き刺さる。ああ、これは夢だな。
いつもと同じように私は悲鳴から目を逸らし、踵を返した。……はずだった。
「待て。貴様はもう役目を終えた。街に帰る必要はない」
気付けばやけに低い位置に視界があった。黒い毛の密に生えた足が見える。身体は動かない。
瞬時に何が起きたか悟った。私はもう不要で、神様の食事になるくらいしか価値がなくなっていたことを。
「くっ、そ……。この、品種改良されただけの、害獣風情が」
この街を支配する数頭に群がられて、なす術もなく襲われた。呼吸すら苦しい。今までの贄となった民のような悲鳴すら上げられなかった。これまで民の、私への憎悪と絶望を受け続けていたから。恐らく自分の苦しみよりも、民の苦しみの方が計り知れないほど大きかっただろう。
自分は、同族を売ったのだ。死んで然るべき存在なのだ。
「き、……ばし……り」
最後に私が捧げた女は、まだ息絶えていなかった。害獣越しに今にも息絶えそうなのが見える。涙を流して、何か言おうとしている。
「あな……た…………け、で……も……。に……げ…………」
「大丈夫、……キバシリは……っ、無事です。それに、それに……っ」
ひゅう、と喉が鳴った。女はどこかに連れて行かれてしまった。贄同士で何か企んでいると思われたのか。
続きを言うのはやめた。彼に期待しているのは本当だ。でも、だからといってあてにしても、彼が予想通りに帰って来なくても、罪をなすりつけるようなことはしたくない。
「信じ……てるよ、…………オオルリたち」
そこで目を覚ました。いつもよりも疲れは残っていた。
「……ウトウとかどう?」
ヤイロが言った一言だった。言ってから、ヤイロは何度か続けて咳をした。
「ヤイロ、少し休んだほうが……」
僕はリヤカーから毛布とマスクを引っ張り出して、まずは毛布を広げてヤイロを包み、マスクは手渡して付けさせた。ノートの埃がだめだったか、海に行ったときに風に当たって体調が悪化したか。心配だったが、本人は会話を止めるつもりがなかった。かぶりを振って、話し続ける。
「さっき魚をご馳走してくれたし、魚を獲るのが得意そうだから。ねえ、いいと思わない?」
「僕は……いいと思うよ。でもさ、ヤイロの体調が心配だよ」
オオルリ姉さんがヤイロの額に手を当てて、顔をしかめた。
「あれ、熱あるね。ウトウっていい名前だと思うから、じゃあ今度からそれで呼ぼうか。ウトウ、二階にあるベッドが綺麗なら借りたいかな」
「えっ、僕の名前なんか雑に決まった……。二階にあるベッドは僕も使ってなくて綺麗なのがあるから、案内するよ」
三人出て行った客間は、急に静かになった。アマモは肩の羽をいやに丁寧に手入れし、シロマルとノスリは未だに日記を読み漁っていた。そのせいで僕は、就寝前に二人からノートの持ち主の名前は中尾武だとか、元カノにたけるんと呼ばれていただとか、至極つまらなくかつどうでもいい話を聞かされることになってしまった。
寝不足なのに、あまり眠れなかった。スマートスクリーンは追放時に取り上げられ、スマスク依存症もデジタルデトックスで克服した気になっていたが、やはり手首にスマスクがないのが落ち着かない。アマモの能力がスマスクだったりしないだろうか、とすら思ってしまう。
音を立てないように細心の注意を払って寝袋を脱出し、忍び足で居間を出た。今回はアマモを起こすこともなかった。
だが、廊下を通って庭に出ると、先客がいた。僕以外にも眠れなかった人がいたのかと思ったのだが、その人は誰かと話しているようだった。
「……ああ、迅速な対応をありがとうございます。電話代わりました、こちらハリーです。新たな情報が入ったので、手紙ではなく電話でご報告をと」
話しかけようと思ったが、僕は反射的に息を潜めて柱の影に隠れた。歩きながら電話しているようだ。そして声からして、電話しているのはウトウだろう。電話口から微かに聴こえる相手の声は高く、知らない人の声だった。
「神戸中央ブロック、雀街一丁目から子どもが五人、出てきました。今は僕の家に泊めています。彼らは街長に街を追い出されたと言っているので、近くテリトリーにも動きがあるかと。……同じく雀街五丁目の方は、動きがありません」
電話の相手が、興奮気味に早口になったのがわかった。ウトウは早口に着いていくのに必死らしく、足が止まっている。しばらくして、ウトウは口を開いた。
「彼らとしても、僕は貴重な情報源のようです。出来るだけ長期間僕の家に泊めて、情報を引き出してみます」
電話を切ったのか、再開した足音が近づいてきた。居間に戻るタイミングを失ってしまった。まずい。盗み聞きしたのがばれる。
床下に隠れようとして砂利を踏んで、さらに慌ててしまったのが裏目に出て、逃げようとしたのに転けて、がさがさと盛大に音を立てて突っ伏してしまった。
「あー、そんなに慌てなくてもよかったのに。誰か来たってわかってたよ。怪我してない? 大丈夫?」
彼は僕を立ち上がらせ、枯れ葉とかを取ってくれた。でもそのやけに優しげな笑みがどこか異常に見えて、反射的に僕は彼を突き飛ばした。目を丸くした彼は動かず、反動で僕が再び転んだだけだったが。
「あーもう、また汚れた。……駄目だよ? 人の電話を盗み聞きするのは。ねぇ?」
「ち……ちが、違う。寝れなくて、散歩でもしようと、思ったんです……」
今にも消え入りそうな声で、どうにか弁明した。すごく自分が情けなかった。誰かがそばにいたら、違ったのに。アマモはこんなときに限って来てくれない。夢の中だなんて、いいご身分だ。
「そう? たまたま聞いちゃったってこと? じゃあ、これは秘密だ。誰にも言っちゃいけないよ? 約束、しようか?」
そろそろと、小指を出す。ゆびきりげんまんなんて古風な約束の仕方だ。でもウトウが怖くて断れなかった。笑い飛ばすことも出来なかった。




