Call.16「証拠品を自ら破棄してからの損害賠償請求は、交渉のセオリーとして完全に破綻しております」
魔王城の地下最下層、『お客様相談室』。
現在、室内には私一人しかいない。
ティティナには、私のコーヒー(紫)の材料になる、未だに出どころがよく分かっていない、『魔界茶葉』のおつかいを頼んでいた。
そろそろ帰ってくる頃合いだろうか。
そう思いながら、のんびりお湯を沸かしていると。
「うぇぇぇぇん……っ!裏の魔王様ぁぁぁ……っ!!」
バタンッ!と勢いよく扉が開き、ティティナがボロボロと大粒の涙を流しながら駆け込んできた。
その小さな体はガタガタと怯えるように震え、腕の中には私から頼まれた茶葉の入ったカゴを、しっかりと抱え込んでいた。
「ティティナさん!?どうしたのですか、どこかで転んでしまったのですか?」
「ひっ、ぐ……っ、ごめんなさい。私、前を見てなくて……っ、ぶつかっちゃって……っ!」
ティティナが怯えきった様子で、背後へ向かって何度も頭を下げる。
遅れて相談室に足を踏み入れたのは、通常のゴブリンよりも二回りほど体が大きく、筋肉質な『ホブゴブリン』の男だった。
「おい、テメェが責任者か!そのトロくせぇサキュバスのガキが突っ込んできやがったせいで、俺の『業物の剣』がパーになっちまったんだぞ!!」
男は鼻息を荒くし、私を威圧するように怒鳴り声を上げた。
「裏の魔王様、ごめんなさいぃ……っ!私が急いで帰ろうとして、角を曲がった時に……ドンってぶつかっちゃって……!」
「そのガキの言った通りだ!お陰で俺はよろめいて、手に持ってた剣を取り落としちまったんだ!人間から奪い取った業物だったんだぜ!どう落とし前つけてくれんだ!!」
泣きじゃくるティティナと、激昂するホブゴブリン。
状況は理解した。
しかし、私の頭の中で、小さな、だが決定的な違和感が警鐘を鳴らした。
(…………)
私はホブゴブリンの巨体と、ティティナの幼く小さな体格を交互に見比べた。
ティティナは、人間で言えばせいぜい5、6歳程度の体格しかない。
対するホブゴブリンは、人間の大人の男性よりも筋骨隆々だ。
いくらティティナが走ってぶつかったからといって、この巨体が『よろめいて、大切な武器を取り落とす』ほどの衝撃が、果たして発生するだろうか?
私は震えるティティナを庇うように背後に立たせると、極上の営業スマイルを顔に貼り付けた。
「……事情は承知致しました。当窓口の責任者、麗野まおと申します。まずは、当方のスタッフの不注意により、貴方様にぶつかってしまったことに関しましては、深くお詫び申し上げます」
私は深々と頭を下げた。
事実がどうであれ、まずは『不快な思いをさせたこと』のみを謝罪し、相手の感情を逆撫でしないのがクレーム対応の基本中の基本である。
「おいおい。まさか、それで終わりってんじゃねぇだろうな?悪ぃと思ってんなら、きっちり『誠意』を見せてくれねぇと困るんだが?」
出た。実に分かりやすいテンプレ反応だ。
解決策としての『修理』や『交換』ではなく、金品を要求するように『誠意』という曖昧な言葉を使う人間(魔族だが)は、十中八九、明確な悪意を内包している。
その上この高圧的な態度。恐らく、ティティナに過失はほとんどないのだろう。
とはいえ、決めつけだけで対応するのは三流以下のお仕事だ。
スキル『アブソリュート・ログ』を使えば、当時の映像をすぐに投影して黙らせることもできるが……ここはあえて、この分かりやすい罠に乗って差し上げるとしようか。
(……それにしても、今どき『当たり屋』とは。古典的すぎて欠伸が出ますね)
私は内心で深くため息をつきながら、バインダーを開いた。
「……左様でございますね。当方の過失による物品の破損であれば、規定に基づき賠償の手続きを進めさせていただきます。……つきましては、破損状況の査定のため、いくつか詳細をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「当然だ!きっちり弁償してもらうからな!」
賠償という言葉に食いつき、ホブゴブリンの顔に分かりやすく下卑た笑みが浮かぶ。
「ありがとうございます。では、落とされたという『業物の剣』についてですが、具体的にどのような特徴のお品だったのでしょうか?」
「と、特徴?あぁ、そりゃあもう、人間の騎士から奪った見事な剣よ!刀身は白銀に輝いてて、柄にはデカい赤い宝石が埋め込まれてる、そりゃあ見事な特注品だ!」
ペラペラと滑りよく嘘を並べ立てるホブゴブリン。
私はペンを走らせるふりをしながら、さらに退路を断つための問いを重ねる。
「白銀の刀身に、赤い宝石ですね。……それは大変高価なお品とお見受け致します。では、査定のためにその『破損した剣の実物』を拝見したいのですが、お持ちでしょうか?」
「あ?……い、いや、持ってねぇよ」
ホブゴブリンは一瞬だけ目を泳がせ、すぐに誤魔化すように大声で威圧した。
「落とした衝撃で、見事に刃こぼれして真っ二つになっちまったからな!あんなもん、もう使い物にならねぇから、ここに来る途中で捨ててきちまったよ!とにかく、弁償代として金貨100枚……いや、200枚は出してもらうぜ!」
「………」
あまりにもお粗末で、典型的な『証拠隠滅』の言い訳である。
私はペンを止め、確認のために最も重要なSV構文を口にした。
「……確認ですが。貴方様は『白銀に輝く特注品の業物』を落とされ、それが『修復不可能に破損した』ため、『証拠品を自ら破棄してこられた』。……こちらの認識で、お間違いないでしょうか?」
「あ、あぁ!間違いないぜ!だからさっさと誠意を見せろ!」
――言質は取った。
私はバインダーをパタンと閉じ、背後で震えるティティナに優しく声をかけた。
「ティティナさん。ぶつかってしまった時、貴女は転んでしまいましたか?」
「ひぐっ……はい。走ってたら……急に目の前に大きな壁(足)があって……ドンってぶつかって、私が後ろにポーンって飛ばされちゃって……」
「なるほど。その時、落ちていた剣の『特徴』は見えましたか?」
「え、えっとぉ……折れちゃった、サビサビの剣が落ちてたような……。赤い宝石なんて、なかった気がしますぅ……」
「なっ……!このガキ、嘘ついてんじゃねぇ!サビてるわけねぇだろうが!」
「ひぃぃぃ……!!」
激昂し、ティティナに手を上げようとするホブゴブリン。
私はスッと前に出て、彼を見据えながら今日一番の冷ややかな声を作った。
「……お客様。少々、お話に『物理的かつ論理的な矛盾』が生じているようです」
「はぁ?矛盾だと!?」
「えぇ。まず第一に、こちらのティティナさんは、人間で言えば5歳児程度の体重しかありません。いくら走ってぶつかったとはいえ、これほど筋骨隆々な貴方様が『よろめいて剣を取り落とす』ほどの衝撃が発生するとは、物理学上、到底考えられません。現に彼女は、貴方様のお体に弾き飛ばされておりますが?」
「そ、それは……俺がたまたま、片足で立ってて油断してたんだよ!」
「………」
「……なるほど。では第二の矛盾です」
私は彼への哀れみを込めて、冷酷に事実を突きつける。
「金貨200枚もする貴重な業物が壊れたのであれば、なぜ『現物』を捨てたのですか?」
「だ、だから、使い物にならなくなったって――!」
「いいえ、直せばいいだけの話です。百歩譲って直せなかったとしても、賠償を請求する相手に対して『証拠品』を自ら破棄してやって来るなど、交渉のセオリーとして完全に破綻しています。……まさか、『元々折れていたゴミを、貴重な業物だと言い張るために、見せられないから』捨てたわけではありませんよね?」
「ぐっ……!?お、お前、俺が嘘をついてるとでも言いてぇのか!!」
図星を突かれたホブゴブリンが、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「証拠だ!俺が嘘をついてるって言うなら、証拠を出してみろ!俺は確かに白銀の剣を――」
『――刀身は白銀に輝いてて、柄にはデカい赤い宝石が埋め込まれてる、そりゃあ見事な特注品だ!』
突如、相談室にホブゴブリン自身の声が響き渡った。
私が左耳のヘッドセットに触れ、『アブソリュート・ログ』の録音データを空間に再生したのだ。
「なっ……!?お、俺の声……!?」
「えぇ。当窓口では、今後のサービス向上のため、お客様との会話をすべて『録音』させていただいております。……さて、ご自身の申告が公式に記録されたところで、お望みの『証拠』をご覧に入れましょう」
私は指先を軽く弾いた。
直後、空中に半透明の巨大なウィンドウが展開され、『過去の映像』が鮮明に映し出された。
そこには、茶葉のカゴを抱えて小走りで向かってくるティティナの姿。
そして――曲がり角の先で彼女の足音に気づき、あらかじめ立ち止まって『待ち構えている』ホブゴブリンの姿が、バッチリと記録されていた。
「あ……」
映像の中のホブゴブリンは、微動だにせずティティナが来るのを待ち、彼女がぶつかって弾き飛ばされたその瞬間に、手に持っていた『元々真っ二つに折れている錆だらけの剣』を、ポイッと床に投げ捨てていた。
そして、わざとらしく「痛ぇ!」と大袈裟に叫ぶ姿まで、高画質・高音質で垂れ流されている。
「「「………………」」」
弁解の余地すらない決定的な証拠映像の前に、相談室は気まずいほどの静寂に包まれた。
ティティナは目を丸くしてポカンとしており、ホブゴブリンは滝のような冷や汗を流してワナワナと震えている。
「……さて、お客様?」
私は空中のウィンドウをスッと消去し、呆然と立ち尽くすホブゴブリンに向かって、極上の営業スマイルと共に首を傾げた。
「先ほどお伺いした『白銀の業物』のお話とは、随分と状況がかけ離れているようにお見受け致しますが?」
「あっ……うぅ……っ」
「走ってくる相手を確認し、微動だにせず待ち構え、あらかじめ用意していた破損品を意図的に投棄し、金品を要求する。……完全に『当たり屋』ですね。この動かぬ証拠と共に、上層部へエスカーレーションさせていただきますが、よろしいでしょうか?」
逃げ道を完全に塞がれ、自らの浅はかな嘘を音声と映像で白日の下に晒された。
論理と証拠で完膚なきまでに叩きのめされた単細胞が、最後に選ぶ道は――やはり、一つしかない。
「ふ、ふざけんなぁぁぁっ!!こんなモン、お前が魔法で作った幻覚だろうが!!」
ホブゴブリンは完全に理性を失い、顔に青筋を立てて吠えた。
「俺は騙されねぇぞ!金貨を出さねぇなら、テメェら二人まとめて力ずくで――」
ドスッ!という重い足音と共に、ホブゴブリンが私に向かって巨大な拳を振り上げた。
ティティナが「ひぃっ!」と悲鳴を上げる。
私は一切の表情を崩さず、その迫り来る拳を見つめながら、静かに左手を上げた。
パシィ!
「――っ!?」
「暴言の次は、当窓口スタッフへの『暴力行為』ですか」
私は、顔の数センチ手前まで迫ったホブゴブリンの巨大な拳を、左手一本で涼しい顔をしたまま受け止めていた。
「な、なんだ……!?びくともしねぇ……っ!?」
ホブゴブリンが焦って腕を引こうとするが、私は彼の拳を掴んで離さない。
「……お客様。ご自身の詐欺行為を棚に上げ、善良なスタッフを脅迫し、あまつさえ暴力を振るうとは、一体どういったご了見なのでしょうか?」
ギリ、ギリギリッ……!
私が手にほんの少し力を込めると、ホブゴブリンの拳から嫌な音が鳴り始めた。
「……これ以上の当窓口のスタッフへの悪質なカスハラは、即座にアカウントの物理的な抹消へと移行させていただきますが、よろしいでしょうか?」
「は、離しやがれっ!お前らこんなことして、絶対後悔――」
「左様でございますか。では――」
「………っ!!」
「覚悟はできている、という認識でよろしいですね?」
私が絶対零度の瞳で射抜くと、ホブゴブリンの顔から完全に血の気が引いた。
どうやら、己の目前に迫っている死の気配を感じ取ってしまったらしい。
「ヒ、ヒィィィィッ!?そ、そう言えばさっき……裏の魔王って……!アンタがあの噂の!?わ、悪かった!許してくれ!!俺が悪かったぁぁぁっ!!」
私が手を離した瞬間、ホブゴブリンは情けない悲鳴を上げながら、凄まじい勢いで相談室から逃げ出していった。
その無様な後ろ姿を見送りながら、私は小さく息を吐き、シワになったスカートを整えた。
「……ふぅ。これに懲りたら、彼ももう馬鹿な真似はしないでしょう」
「う、裏の魔王様ぁ……」
背後から、ティティナがおずおずと声をかけてくる。
「私……本当に、悪くなかったんですか……?」
「えぇ、ティティナさんは何も悪くありませんよ。……ただ、これからは曲がり角では少しだけスピードを落とすようにしましょうね。悪い当たり屋は、どこに潜んでいるか分かりませんから」
私が優しく頭を撫でてあげると、ティティナはパァッと顔を輝かせ、「はいっ!ありがとうございますぅ!」と満面の笑顔を浮かべた。
「……さて、美味しい(美味しくする)魔界茶葉も手に入りましたし。嫌なことは忘れて、コーヒーとおやつにしましょうか」
魔王城の地下最下層。
今日もお客様相談室は、理不尽な悪意からスタッフを守り抜き、平和な日常を維持しているのである。




