Call.15「生きた爬虫類を洗浄剤で洗うのは、明らかな『用途外使用』です」
魔王城の地下最下層にある『お客様相談室』。
私はいつものパイプ椅子に深く腰掛け、食後の温かいコーヒー(紫色)をすすりながら、至福の吐息を漏らしていた。
「……素晴らしい。やはり、疲れた胃袋にはお酢の酸味が一番沁みますね」
以前の立ち入り監査により、強烈な腐敗臭を放っていた社員食堂は、ミリグラム単位で味が管理されたクリーンな憩いの場へと劇的な進化を遂げた。
さらに、私の職権濫用……もとい、切実なリクエストにより、新メニューとして追加された『魔界風酢豚』は、ゾンビ料理長の生前の技術がいかんなく発揮された、涙が出るほど完璧な仕上がりだった。
「裏の魔王様、お肌が前にも増してツヤツヤですねぇ。美味しいご飯ってすごいんですぅ」
向かいの席で、見習いサキュバスのティティナもニコニコと笑っている。
平和だ。理不尽なファンタジー世界において、ようやく手に入れた人間らしい(魔族だが)平穏な時間――。
「――た、助けてぇぇぇっ!!」
しかし、そのささやかな平穏は、扉を突き破るような悲痛な叫び声によって呆気なく破られた。
バンッ!と扉が開き、一人の女性が相談室に転がり込んでくる。
いや、単に女性と呼ぶには、その姿はあまりにも痛々しく、そして異様だった。
「ひぃぃっ!?蛇!蛇がいっぱいですぅ!」
ティティナが悲鳴を上げてパーテーションの陰に隠れる。
駆け込んできた女性の頭髪は、うごめく無数の『生きた毒蛇』だった。
魔王軍の誇る石化の魔眼使い、メデューサ族だ。
しかし今、彼女の頭の蛇たちはシャーシャーと恐ろしい音を立てて荒れ狂い、あろうことか主であるメデューサ自身の頬や首元にガブガブと噛み付いていた。
「い、痛いぃっ!やめて、お願いだから噛まないでぇぇっ!」
「……いらっしゃいませ。魔王城お客様相談室の麗野まおが承ります。……大変お困りのようですね」
私は急いでパイプ椅子を勧め、彼女を座らせた。
メデューサの少女は涙目で私の手を取ると、持っていた空のボトルを机にドンッと叩きつけた。
「お、お願い、どうにかして!この『魔王軍公式・サラツヤ美髪シャンプー』を使ったのに、全然サラツヤにならないの!それどころか、髪がブチギレて私を攻撃してくるのよぉぉっ!」
彼女はポロポロと涙をこぼしながら訴えた。
「パッケージには『どんな髪質でも、触れたくなるようなサラツヤ髪に!』って書いてあったのに……!誇大広告よ!不良品よぉ!」
なるほど。自社製品を使用したことによる、予期せぬ身体的トラブル。
完全な製品クレームである。
「……ご不便をおかけし、誠に申し訳ございません。まずは詳しい状況を確認させていただきますね」
私は『アブソリュート・ログ』とバインダーを開き、極上の営業スマイルを浮かべたまま、彼女の頭で暴れ狂う蛇たちをじっと観察した。
そして、数秒後。
私はこのトラブルの大元の原因……つまりは『仕様の誤認』を完全に理解した。
「……お客様。大変申し上げにくいのですが」
私は、彼女の涙を拭うためのハンカチをそっと差し出しながら、極めて残酷な、しかし誰にでも分かる物理的事実を突きつけた。
「一般的な『髪の毛』というものは、死んだ細胞の集まりです。……対して、お客様の頭にいらっしゃるのは、目も牙もあり、現在進行形で貴方様を噛んでいる『生きた爬虫類』ですよね?」
「え……?は、はい。私の可愛い蛇たちですけど……」
「……裏の魔王様。あの蛇さんたち、なんだか鱗がカサカサして、白く粉を吹いてますぅ……」
恐る恐る顔を出したティティナの指摘に、私は深く頷いた。
「えぇ、その通りです。シャンプーというものは本来、頭皮や髪の毛の『油分』……皮脂を洗い落とすための強力な洗浄剤です。……それを、生きた蛇の全身に直接すり込んで泡立てれば、一体どうなるでしょうか?」
「あっ……!」
メデューサの少女が、ハッとして息を呑んだ。
「……必要な油分まで根こそぎ奪われ、極度の乾燥肌になります。……つまり、蛇たちが怒ってお客様を噛んでいるのは、シャンプーが不良品だからではありません。シンプルに『全身の肌がカサカサして痛痒いから』です」
生きた爬虫類を、強力な洗剤で洗ってはいけない。
あまりにも身も蓋もない正論を突きつけられ、メデューサの少女は顔を真っ赤にして俯いた。
「うぅ……っ。だ、だってぇ……」
彼女は、ボロボロになった頬を押さえながら、絞り出すように言った。
「私だって、サキュバスの子たちみたいに、いい匂いをさせてみたかったのよ……っ。この頭のせいで、いつも生臭いって言われるし……『どんな髪質でも』って書いてあったから、もしかしたら私でも、綺麗になれるんじゃないかって……!」
それは、理不尽なクレームという名の怒りではなく、ただ純粋に綺麗になりたいという、不器用で切実な乙女心だった。
ティティナが「メデューサちゃん……」と同情の声を漏らす。
しかし、ただ論破して「お客様の使い方が間違っています」と追い返すのは三流の対応だ。
お客様の隠れた『本当の願い』を見抜き、正しい方向へ導いてこそ、本物のプロフェッショナルである。
「……かしこまりました。綺麗になりたいという願いは、すべての種族に共通する、とても尊いものです」
私は少しだけ声のトーンを優しく落とし、彼女に微笑みかけた。
「そして、『どんな髪質でも』というパッケージの記載は、魔王軍に多様な種族がいることを想定できていない、広報部の明確な『表記ミス』でございます。誤解を招く表現であったこと、深くお詫び申し上げます。こちらのシャンプーは、全額ご返金とさせていただきますね」
「ほ、ほんと……?でも、結局私の頭は、この生臭いボサボサのまま……」
「どうかご安心くださいませ、お客様。これから当窓口が、お客様の願いを叶える『代替案』をご提示致します」
私はデスクの引き出し(という名の魔法空間)から、高級感のある小瓶を取り出し、彼女の前にそっと置いた。
「……これは?」
「はい。こちらは、竜騎士部隊が飛竜の鱗ケアに愛用している『最高級・爬虫類専用の保湿オイル』でございます。……お客様の髪に必要なのは、皮脂を奪う強力な洗浄剤ではなく、鱗を優しく守るための『保湿』だったのですよ」
私は小瓶の蓋を開け、手にとって温めたオイルを、荒れ狂う蛇の一匹に優しく塗り込んだ。
するとどうだろう。
カサカサだった鱗は瞬く間に潤いを取り戻し、エメラルドのように美しく輝き始めた。
痛痒さから解放された蛇は、ウットリと目を細めて私の手にすり寄ってくる。
「えっ……嘘!すごい、蛇たちがこんなに大人しく……!」
「こちらの商品ですが、香りも心を落ち着かせる、爽やかなハーブのブレンドとなっております。さぁ、他の子たちにも塗って差し上げてください」
――数分後。
相談室の鏡の前には、頭の蛇たちが見事なツヤと輝きを放ち、爽やかなハーブの香りを漂わせた、見違えるように美しいメデューサの少女が立っていた。
「すごい……!サラサラで、ツヤツヤ!……私、生まれて初めてこんなに綺麗になれた……!」
少女は鏡を見つめながら、ポロポロと嬉し涙をこぼした。
蛇たちもすっかり機嫌を良くし、彼女の頬にすりすりと甘えている。
「ご満足いただけて何よりでございます」
私は極上の笑顔でバインダーを開き、流れるような動作で彼女にペンを差し出した。
「さて、お客様。先ほど申し上げました通り、シャンプーの代金はご返金致します。――その代わりに、こちらの『飛竜用・高級保湿オイル』の定期購入契約をお勧め致しますが、いかがなさいますか?」
「買う!絶対に毎月買うわ!本当にありがとう、お姉さん!」
満面の笑みで契約書にサインをし、上機嫌で帰っていくメデューサの少女の背中を見送りながら、私は静かにバインダーを閉じた。
クレームの裏に隠されたお客様の真の課題を見抜き、そこから最適な別商品を提案して解決へ導きながら、継続的な売上へと繋げる。
――これぞ、当窓口が誇る『ソリューションクロスセル』である。
「裏の魔王様、すごいですぅ!怒ってたお客様が、あんなにニコニコになって帰っていきました!」
「えぇ。正しいヒアリングと提案さえあれば、すべてのクレームは利益に変わるのですよ。……さて、お茶の続きをいただきましょうか」
酢豚で満たされた胃袋と、完璧にクローズした営業成績。
今日のお客様相談室は、いつになく爽やかで、心落ち着くハーブの香りに包まれていた。




