Call.12「『権力』と『役割』を混同している上司は、単なる無能です」
ある日の午後、魔王城の地下最下層にある『お客様相談室』での業務を一時中断し、私はバインダーを片手に城内の定期監査(という名の散歩)に出向いていた。
目的の場所は、魔王城の食糧と薬草を一手に生産している『第三屋内農園』。
広大なドーム状の空間に足を踏み入れると、土と緑の匂い……に混じって、焦ったような泣き声が聞こえてきた。
「ど、どうしよう……!第四区画の収穫担当の子たちが、誰もいない……!このままじゃ貴重な薬草が枯れちゃうのに……!」
土の上を滑るようにこちらに向かってきたのは、植物型の魔物『アルラウネ』だ。
彼女はこの農園の現場リーダーである。
土から離れられない彼女にとって、手足となって働く部下たちの存在は不可欠なはずだった。
「……お困りのようですね。お客様相談室の麗野まおと申します」
私が声をかけると、アルラウネはパッと顔を上げ、涙目で訴えてきた。
「あ、最近噂になっている……。あの、助けてください!私が持ち場に配置したはずの部下たちが、全員いなくなってしまったんです!誰かに攫われたのかも……」
「おいおい、騒々しいな。ただの雑草係が勝手にいなくなるわけがなかろう」
その時、ドスドスと重い足音を立てて、二本角の巨漢――ミノタウロスの小隊長が農園に入ってきた。
アルラウネの直属の上司にあたる、この区画の管理者だ。
「小隊長!ちょうどよかったです、ここで働いていた部下たちが――」
「あぁ、あいつらなら俺が呼んだぞ」
「……え?」
アルラウネが間の抜けた声を漏らす。
ミノタウロスは巨大な斧を肩に担ぎ直し、悪びれる様子もなく鼻を鳴らした。
「来週の遠征に向けて、俺の部隊の武具の研磨と、武器庫の整理に駆り出している。こっちの用事の方が、ちまちました草むしりよりよっぽど『軍のため』になるからな」
「そ、そんな……!なぜ、現場リーダーである私に何も言わずに、勝手に連れて行ってしまったのですか!?」
アルラウネが悲痛な声を上げた。
「せめて持ち場を離れさせるなら、事前に一言伝えてください!そうしてくれれば、別の区画から応援を呼ぶなり、スケジュールの調整ができたのに……!」
現場を預かる責任者として、極めて真っ当な、そして切実な嘆願である。
しかし――ミノタウロスは不快げに顔を歪めると、信じられない言葉を吐き捨てた。
「はぁ?誰に口を利いている!なぜ、お前らの管理者であるこの俺が、下っ端にわざわざ『報告』して、許可をとらねばならんのだ!」
「っ……!」
「俺の命令が絶対だろうが!お前は黙って、俺に従っていればいいんだよ!」
アルラウネは絶望に顔を歪め、悔しさに唇を噛んで俯いた。
圧倒的な階級と力の差。現場の悲鳴など届かない、理不尽なトップダウン。
――あぁ。なるほど。
前世から数えても、私の大嫌いな『無能な管理者』の典型例が、今、目の前に立っている。
私は湧き上がってくる怒りを噛み殺し、二人の間にスッと割り込んだ。
「――お話の途中、大変失礼致します」
「あぁん?なんだテメェは。よそ者がなんの用だ!!」
不機嫌に鼻を鳴らすミノタウロスを見上げ、私はドレスの裾を優雅につまんで一礼した。
「魔王城お客様相談室の、麗野まおと申します。……少々、業務フローの確認をさせていただいてもよろしいでしょうか」
私は一切の感情を交えず、事務的なトーンで問い詰める。
「はっ!テメェか!最近勝手に『裏の魔王』だかを騙ってるって噂のヴァンパイアは!」
「『麗野まお』です。……それより、小隊長殿は『自分は管理職であるため、現場の責任者……つまり自身の部下に対して、人員を引き抜く際の一切の報告・連絡は不要である』。……そのように明言されたという認識で、お間違いないでしょうか?」
「あぁ、そうだ!当たり前だろうが!上司が下っ端にわざわざ『連れて行っていいか』とお伺いを立てる組織がどこにある!命令するのは俺だ、こいつは黙ってそれに従えばいいんだよ!」
誇らしげに胸を張るミノタウロス。
なるほど。見事なまでに、自らの無能さを声高に宣言してくれた。
「……左様でございますか。ご自身の権力を大変誇りに思っていらっしゃるのですね」
私は手元のバインダーを開き、羊皮紙にスッと羽根ペンを走らせた。
「しかし小隊長殿。貴方は決定的な『はき違え』をしておられます。彼女は貴方に『許可を求めてほしい』と頭を下げたのではありません。業務を止めないための情報共有……つまりは『連絡をしてほしい』と申し上げたのです。……役職の上下と、情報のインフラを混同するのは、管理者として極めて危険な『瑕疵』と言わざるを得ません」
「はぁ?なに小難しい言葉を並べてやがる。情報だろうがなんだろうが、俺が下っ端に教える義理はねぇ!」
「『義理』ではなく、組織を回すための『義務』なのですが……では、少し視点を変えてご説明致しましょう。貴方も戦士ならば、こちらの方が想像しやすいかと存じます」
私はペンを止め、今日一番の冷たい視線をミノタウロスに向けた。
「……ここは『戦場』です。敵兵が迫る中、最前線の分隊長であるアルラウネさんは、与えられた兵士たちだけで、必死に防衛陣形を組んでいました。……しかし、その背後で、あろうことか総大将である貴方が、分隊長に『一切の連絡をせず』に、背後から兵士たちをこっそり全員引き抜いてしまった」
「なっ……!?」
「さて、振り返った時に誰もいなくなっていた分隊長は、どうなりますか?陣形を組み直す猶予も、他部隊へ応援を要請する時間も与えられず、そのまま敵に蹂躙されて『部隊は全滅』するでしょう。……お分かりですか?貴方が今、この農園でやったのは、まさにそういう事です」
ミノタウロスの顔から、余裕の笑みがスッと消え失せた。
「現場の責任者は、与えられたリソースを元にスケジュールを組み立てています。事前に『いつ、誰が、どのぐらい抜ける』という『情報』さえあれば、彼女は別の区画から応援を呼ぶなど、いくらでもリスクヘッジができました。しかし、貴方が連絡を怠り、無断で人員を強奪したせいで、そのリカバリーの機会すら完全に奪われたのです」
「ぐっ……!だ、だが、たかが草むしりだろうが!武具の手入れのほうが戦いには大事なんだよ!」
「『たかが草むしり』?……呆れました。現場の業務の重要度すら把握されていないのですね」
私は深くため息をつき、震えるアルラウネを手のひらで示した。
「彼女たちが管理しているこの薬草は、前線で戦う兵士たちの命を繋ぐポーションの原材料です。……確かに武具の手入れは重要でしょう。ですが、貴方が『自分の部隊の都合』だけで人員を奪い、収穫のタイミングを逃してこれらが枯れ果てれば……明日、前線で死ぬ予定ではなかった兵士たちが、ポーション不足で命を落とすことになります」
「…………っ!」
「貴方の、その致命的な視野の狭さと連携不足のせいで、魔王軍の補給線は今、決定的なダメージを受けようとしている。……己の部隊の体裁を整えるために味方の命を売り渡すなど、ただの『利敵行為』、いえ……無自覚な分、悪質な『反逆』と言わざるを得ませんが?」
「な、なんだと……!?お、俺が反逆者だと言うのか!!」
ミノタウロスは顔を真っ赤に怒張させ、ギリギリと歯を鳴らした。
「俺は……俺は小隊長だぞ!偉大な戦士なんだ!自分の思い通りに部下を動かして、何が悪い!!」
「役職とは、『部下を己の思い通りに動かせる権利』でも、ましてや『偉ぶるための飾り』でもありません。現場を円滑に回すための『責任の所在』です」
私は一歩踏み出し、巨漢のミノタウロスを真っ向から見据えた。
「現場の状況も把握できず、部下との情報共有すら怠り、目先の武功に囚われて|サプライチェーンを破壊する。……貴方は『偉大な上司』などではありません。ただ魔王軍の内部に寄生し、組織の足を引っ張るだけの『無能な欠陥品』です。直ちに人員を現場へ戻し、彼女に謝罪してください」
「き、貴様ぁぁぁっ……!!」
論理的な逃げ道を完全に塞がれ、自らの無能さをこれでもかと事実によって叩きつけられた。
言語による反論が不可能になった単細胞な生き物が最後に行き着く先は、いつだって一つしかない。
「ごちゃごちゃと、偉そうに……!だったらテメェごと叩き斬って、俺が正しいと証明してやる!!」
ミノタウロスは完全に理性を飛ばし、血走った目で巨大な斧を高く振り上げた。
アルラウネが「危ない!」と悲鳴を上げる。
――その時だった。
「騒々しいのぅ。農場で刃傷沙汰とは、何事じゃ」
凜とした、しかし絶対的な威圧感を伴う幼い声。
その声を聞いた瞬間、ミノタウロスの巨体がビクンッと跳ね、振り上げた斧が床にガランと落ちた。
「…………!!」
そこに立っていたのは、豪奢な着物を身に纏い、背後にふさふさとした狐の尾を優雅に揺らす、幼い少女――以前に当窓口で相談を受けた小隊長だった。
しかし、その小さな体から放たれる魔力は底知れない。
魔王軍の最高幹部である『四天王』に直属し、同じ小隊長という肩書きでありながら、ミノタウロスなど足元にも及ばない圧倒的上位の存在。
「……おぉ、相談室の。この様なところで会うとは、奇遇じゃな。……また何らかの厄介事か?」
「お久しぶりでございます、小隊長殿」
私は優雅に一礼し、手元のバインダーを開いた。
「よい。ぬしには世話になったからの。『九重』と呼ぶことを許す」
「承知致しました。ココノエ様」
「……して、何があったのじゃ?」
「えぇ。こちらのミノタウロス小隊長殿が、現場の指揮系統を私用で破壊し、農園の生産ラインに多大な損害を与えようとしていた件につきまして、当窓口から『業務改善』の指導を行っていたところでございます」
「なっ……!ち、違う!こいつが俺の部下の教育にケチを――」
「――黙れ、愚図が」
九重が一瞥しただけで、ミノタウロスは喉を締め付けられたように声を失い、その場に平伏した。
彼女はアルラウネの涙と、無人となった区画を見渡し、すべてを察したように冷たく目を細めた。
「……なるほど。現場の配置を無断で崩し、あまつさえその責任を末端に押し付けたか。軍の規律を乱す、極めて愚劣な行為じゃな」
「あ……あぁ……っ」
「四天王殿は、現場を乱す『無能な輩』を最も嫌悪される。……この件、直ちに四天王殿へ報告し、貴様の処遇を決定してくれよう。首を洗って待っておれ」
――四天王への直訴。
それは魔王軍における完全なる社会的な死、あるいは文字通りの物理的な死を意味する。
ミノタウロスは完全に顔面を蒼白にさせ、ガタガタと震えながら絶望のどん底へと突き落とされた。
九重は、平伏するミノタウロスには一瞥もくれず、背後の尾を優雅に揺らして踵を返した。
去り際。私にだけ「またな」とでも言うように小さく頷いてみせ、彼女は悠然と農園を後にした。
「あ、ありがとうございます……っ!本当に、ありがとうございます……!」
アルラウネが、土まみれの手を胸の前で合わせて、ポロポロと感謝の涙を流している。
「これで、連れていかれた部下たちの配置も、すぐ元通りになりますよ」
「……すみません。こんな作業のために……」
私はバインダーをパタンと閉じ、今日一番の笑顔で彼女に微笑みかけた。
「誰が何と言おうと、貴方の『作業』はこの城で最も尊い、命の防衛線です。どうか、その手にある仕事に誇りを持ってください」
「……っ!はい……はいっ……!」
私の言葉に、アルラウネは土に汚れた自らの手を愛おしそうに見つめ、力強く頷いた。
「……本日は、麗野まおが担当致しました。これからも、農園の管理をよろしくお願い致しますね」
現場の誇りと尊厳を取り戻したアルラウネの笑顔に見送られながら、私は再び魔王城の監査へと足を進めるのだった。




