Call.10「業務の属人化は、組織にとって重大なリスクです」
「お、俺自身が腐っているだと……!?」
料理長が一歩後ずさった。
しかし、かつて天才と呼ばれた料理人のプライドが、彼を激昂させる。
「なに言ってやがる!ゾンビが腐っているのは当たり前だろうが!アンデッドだぞ!?」
私は小さくため息をつき、バインダーでそっと鼻を覆った。
「……それでは、先ほど申し上げました『二点の認識のズレ』について、順を追ってご説明致しましょう」
私は一つ、指を立てた。
「まず第一に。当食堂を利用されるお客様――つまり魔王軍の社員は、最前線の屈強な戦士だけではございません。魔力消費の激しい魔導士や、一日中座りっぱなしの事務職、果ては徹夜明けのSEまで、多種多様な人材がいるのです。それに対して、一様に高カロリーな食事を提供するのは、短絡的と言わざるを得ません」
「なっ……!だ、だがな!ここは魔王軍だぞ!魔族が戦うためには、大量のカロリーと脂が必要なんだ!お前らみたいなひ弱な連中が好むような、草や酸っぱい汁なんか知ったことじゃねぇ!!」
「いいえ、知っていただかなくては困ります。いえ――厨房を預かる責任者として、知る義務がございます」
「食べる側の胃袋の許容量を無視し、連日大量の脂と塩分を強要するのは、お食事の提供ではなく、ただの『消化器官への暴力』です。食後の深刻な胃もたれや強烈な眠気は、組織全体のパフォーマンスを著しく低下させます。これは単なる好みの問題ではなく、明確な労働環境の悪化ですよ」
「ぐっ……!だ、だが、この極限まで熟成された肉の旨味は――」
「――第二に」
私は言葉を被せ、まな板の上の変色した肉塊を一瞥した。
「料理長。貴方はそれを『熟成』と仰いますが……温度管理もされず、あろうことか貴方ご自身の体から滴り落ちる『腐った体液』が鍋や食材に入っている状態を、熟成とは呼びません」
「な……っ!?」
「それは危険な雑菌が繁殖した、ただの『腐敗肉』です。これを全社員に提供するなど、もはや社員食堂を騙った無差別なバイオテロに他なりません」
「ば、ばいおて、ろ……?ふ、ふざけるな!俺のこの舌が、これが極上の味だと保証しているんだ!!」
激昂し、ナタを振り上げる料理長。
しかし、私は一切動じることなく、スッと左耳のヘッドセットに手を当て、彼に無慈悲な事実を突きつけた。
「……左様でございますか。ご自身の『舌』で保証されている、と。それは大変、興味深い証言です」
「……は?」
「天才的な味覚、ですか。……料理長。大変申し上げにくいのですが、貴方のそのお口の中に、味を感じる器官は残っていらっしゃいますか?」
「…………え?」
「さらに申し上げますと、風味を感じ取るための鼻は?……どう見ても、完全に腐敗して削げ落ちているようにお見受け致しますが」
料理長の動きがピタリと止まった。
その今にも零れ落ちそうな眼球が、凍りついたように私を見つめている。
「提供されるお食事が異常に塩辛い理由。そして、厨房に漂う強烈な異臭に貴方自身が気づいていない理由。……現場の社員の味覚が変わったからではありません。貴方自身の味覚と嗅覚という『品質保証のセンサー』が、完全に死滅しているからです」
「ち、違う!俺は……俺の舌は……っ!!」
「……ご自身の肉体の劣化から目を逸らすのはご勝手ですが、お客様を巻き込まないでいただけますか?」
私は一歩踏み出し、逃げ道のない二者択一で彼を追い詰めた。
「味が分からないまま『過去の勘』だけで調理し、お客様の胃袋に劇物を流し込んでいるのか。それとも、ご自身の感覚器の『故障を隠蔽』し、品質保証を放棄したまま現場に立ち続けているのか。……料理のプロとして、どちらの『過失』を認められますか?」
「あ……あぁ……っ……!」
天才料理人としての根幹を論理的に破壊され、ゾンビの料理長はついにナタを取り落とし、ガタガタと崩れ落ちるように膝をついた。
「そ、それじゃあ……俺はどうすればいいんだ……!このままじゃ、料理人としての俺の存在価値が……っ!」
「……ご安心くださいませ。これより当窓口にて、根本からの『業務改善』を行わせていただきます」
私はニッコリと微笑み、右手に眩いばかりの純白の魔法陣を展開した。
それは、アンデッドを塵一つ残さず消し去る、最上位の『浄化魔法』の輝き。
「ひぃぃぃっ!?裏の魔王様、や、殺っちゃダメですぅぅ!!お料理できる人がいなくなっちゃいますぅぅ!」
「ひっ……!ま、待ってくれ!浄化は……消える、俺が消え……ぎゃああぁぁぁっ!!」
ティティナの悲鳴と、死(二度目)の恐怖に絶叫する料理長。
私は躊躇うことなく、その純白の光を料理長の巨体へと叩きつけた。
――数秒後。
光が収まると、そこには消滅することなく、しかし全身の腐敗が見事にストップし、謎の清涼感(爽やかなミントの香り)すら漂わせる、やけにツヤツヤとしたゾンビの料理長がへたり込んでいた。
「な、なんだ……?俺は、生きて……あ、いや、死んだまま……?」
「――規定に基づく『高圧洗浄』、および『防腐処理』、完了です」
「……え?」
私はバインダーを開き、彼に向けて真っ白な羊皮紙の束を差し出した。
「表面の腐敗菌の浄化と、今後の進行を止める防腐処理を施しました。これで少なくとも、厨房の異臭問題は解決致しました」
「あ、あぁ……」
「……しかしながら、貴方の味覚が戻ったわけではありません。もはや貴方の舌で『品質の担保』は不可能です」
私は今日一番の、最高に美しい営業スマイルを彼に向けた。
「というわけですので、料理長。貴方の頭の中に眠っている生前の『天才的な味覚の記憶』……そのデータだけを頼りに、今から私と一緒に、魔王軍公式の『標準調理マニュアル』を作成致しましょう」
「マ、マニュアル……?俺の、この天才の匙加減を、誰にでも作れるようにする、と……?」
「左様でございます。品質の『属人化』……つまり、貴方だけしか料理ができない仕組みというのは、組織にとって重大なリスクです。味見ができないのなら、味見をせずとも……塩のグラム数から火加減の秒数までを徹底管理し、見習いサキュバスでも寸分違わず同じ味が作れる『仕組み』を作らねばなりません」
私は彼にペンをスッと差し出した。
「さぁ、貴方の全盛期の味を、今度こそ全社員に見せて差し上げましょう。美味しい食事をお客様が笑顔で頬張る……。それこそが貴方の本当の望みではありませんか?」
「……うぅぅ、裏の魔王さまぁ」
ティティナが胸の前で手を組み、グスッと涙を流した。
「……そうか、そうだったな。あんたの言う通りだ!俺がいつか消えてなくなった後も、俺の味がみんなを笑顔にさせる……!それこそが俺の料理人としての矜持だ!!」
こうして、魔王城の社員食堂は、一人の天才の勘に頼る時代を終え、お客様の笑顔が絶えない憩いの広間へと変貌を遂げたのだった。
「――あ、できれば『酢の物』もメニューに加えていただけると、大変ありがたく存じます」




