愛人の存在
愛人が街歩きをしているときに、石を投げつけられた。
ほんの小さな石がドレスに当たって跳ね返っただけだが、国王は激怒した。随行していた侍女も護衛も処罰された。
捕まったのは、痩せ細った孤児院の少年だった。
孤児院の予算が、愛人のドレスに使われたと聞いた。孤児の一人が病気で寝込んだが、薬も買ってもらえない。
それが犯行動機として語られた。
その情報がどこから漏れたのか、弱小新聞社が記事として掲載した。
潰れる寸前だったので、王命で廃業させられたとしても痛くも痒くもないと開き直ったらしい。
愛人への批判が噴出し、世論は孤児を擁護する。
「わたくしは傷害事件の被害者よ!」
愛人はそう叫んだが、それに同情する者はいなかった。
「なぜ、孤児院の予算を使ったのだ?」
国王は、財務卿を呼びつけた。
「元々予算を組んでいないお客様が贅沢をされているからですね。国が未払いなどとみっともないことはできないので、苦肉の策で絞り出したのです」
財務卿は怯える様子もなく、堂々と答えた。
「だからといって、福祉政策にしわ寄せがいくのは……」
「ええ、暗愚の策ですね。では、他にどの予算から切り崩すおつもりですか。ぜひ、素晴らしい案を出していただきたい」
「……いや、それを考えるのがお前たちの仕事だろう」
「ものには限度というものがございます。正しく使われるための割り振りなら、知恵を絞って考えますが……。
それなら国王陛下が私費で賄われればよかったのでは?」
「無礼だぞ!」
国王は執務机を叩いた。
「はっはっは。私をクビにしますか? 予算と決算は、王立図書館に行けば閲覧できます。
一昨年からのあなたとお客人の振る舞いは、公的な書類にしっかりと残されておりますよ」
とどめの一言を財務卿は告げた。
「公文書ということは、国王陛下が承認したものということです。きっちり署名と印璽をいただいておりますのに、お叱りをいただくとは心外ですな」
「予算は、宰相とそちらが決めたものではないか」
「それをたたき台として、決定するのは陛下です」
「今までは王妃が……」
国王は口ごもった。愛人を連れ込んでから、王妃が一歩引いた。その影響を、今、思い知らされた。
「それを堂々と国民の前で説明できますか? 人任せにして確認を怠っていただけで、自分の責任ではないと。国王の職務を全うしていないと、自白なさるおつもりですか」
「そんなつもりでは……」
国王は財務卿から目を逸らした。
「私が喜んで孤児院の予算を削ったとお思いか?
立場のよくわからない女がその金を身に纏い、王妃陛下を侮辱するのを快く眺めていたとでも?」
「……待ってくれ。それは……」
「罷免されるなら、どうぞ。あの女にたぶらかされないように部下に目を配るのも疲れましたし。
王妃陛下や宰相閣下のように、あなたが傷つかぬよう真綿で包んで、甘やかす気はございません」
「たぶらかす? ――甘やかす?」
愕然としている国王に、財務卿はため息で答えた。
「これから釈明の会見です。主要な新聞社を招いて行う予定です。
ご令嬢が自らを被害者だと喧伝したので、名前を伏せることは不可能です。ご承知おきください」
「しょ、承知できるはずが、あるか!」
「それではご自身で説明されますか? 一時間後ですので、想定問答を読む時間はございますよ」
「……いや、そなたを信じて任せる」
「ふっ。信頼ですか。承知いたしました」
財務卿は軽く頭を下げることもなく、部屋を辞した。
投石をした孤児は、世論の高まりを受けて、数日の労役刑で釈放された。
国王が頭を抱えている間に、宰相の指示で孤児院に査察が入り、孤児院長の着服が発覚した。
新しい孤児院長が手配され、すぐに食事の改善に乗り出した。
「あの孤児院は、院長の先祖が開設したものだから介入が難しかったのよね。それでいて補助金だけは請求するのだから、腹立たしかったの」
そんな孤児院長が、孤児たちに教育を施すはずがない。王立図書館の存在など知らない。
では、なぜ予算が付け替えられたことを知っていたのか。
修繕の見積もりのために孤児院を訪れて、顔見知りになった職人がいた。その職人は、「可哀想だけど予算がなくなったってさ。ごめんな」と謝り、着工することなく去って行った。
怒りは、その予算を奪った相手へ向けられた。それだけのことだ。
「さて、これで国王陛下の目は覚めますかな?」
「……」
わたくしは宰相に答えることができなかった。
目を覚ましてわたくしと共に歩もうとする?
それとも、愛人との世界に閉じこもり、わたくしをいない者のように扱う?
この状況で、愛人を手放す決断が繊細な彼にできるだろうか?
もう、目が覚めなくてもいい気がしてきた。




