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雑草に恋をする  作者: 晴れ


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6/7

Scene6

終業の鐘で席を立ち、足早に教室を出た。


今日は早めに帰って本の続きを読みたい。その気持ちでいっぱいだった。

正直、授業中にも考えてしまうくらいには本の世界に入り込んでいた。私に刺さると思うという言葉通り、一冊目から熱中して読み進めてしまった。日曜日で一冊読み切り、物語を噛みしめた後、欲が出て二冊目に手を出してしまったのが最大の過失だった。


なので、今日は早めに家に帰って二冊目を読み切ってしまえば、明日はきっと二冊目の物語を頭の中で反芻する程度で済む。明日は無理でも、少なくとも明後日からは正常状態に戻れるだろう。…多分。


土曜日は神谷さんに前回と同じ場所まで送ってもらった。マンションからの距離はさほど遠くないこともあってお互いにほとんど会話を交わさず、気まずい空気のまま歩いた。前回の楽しい時間が嘘のように重い空気で、彼はどうだったのか分からないが、前回と比べて半分くらいの距離だったのに、体感した時間は前回よりも長い気がした。


彼の事は遠くから見ているだけで、私の事は認識さえされなくても良かった。今となっては、認識されると嫌な顔をされる存在になってしまっている。本を読んでいる時は忘れることができているが、読んでいない時にどうしても嫌な現実を思い出してしまう。


…それはいつものことか。


靴箱でローファーを取り出す。念のため中身を見て、()()()何もされていないことを確認してから履いた。

そのまま玄関を出て校門に向かおうとするが、校門にいる集団を見て思わず顔を下げた。


ロングホームルームの時には既にいなかった五人組…に、さらにもう一人、違う制服の人物が立っていた。私にとっては、いつもの五人組。誰かを待っているのか、それとも誰も待っていないのかは分からないが、見つかると大抵面倒なことに巻き込まれる。

とはいえ、いなくなるまで待ったり、別の場所から帰ったりはしない。いつまでも待つような人達だし、逃げたとしても明日がさらに辛くなる。

そもそも、構造上この学校に校門以外から出る方法はない。


今日はおそらく私が目的ではない。一瞬しか見ていないが、違う制服の人物は全く見覚えがない男子生徒だったし、私の家とは反対方向にある学校の制服だったと思う。多分、私とは関係ない、と思う。


これまでに同じような状況に出会ったことはあるが、見逃してもらったのは…数回はある。いずれも他の人が標的にされていて、私に目が向かなかった時だけ。


近所迷惑になりそうなくらいに騒いでいる連中から距離を取りつつ、顔を上げないように俯いたままゆっくり校門に向かって歩く。関わりたくないからといってスピードを上げてしまうと、かえって見つかるのが早くなってしまう。


元々高校生の中ではかなり身長が低い方ではあるが、この瞬間だけはもっと小さくなれないかといつも思う。縮こまっているのでもしかすると今の身長は百四十センチもないかもしれない。


「あれ、『純情ちゃん』じゃん?」


五人組の一人が私を見つけたらしい。背中が熱くなるのを感じるが、今のところはまだ見つけたられただけなので、上半身を一切動かさずにそのまま歩き続ける。


「ちょっと。聞こえてんでしょ、『純情ちゃん』」


心の中の祈りもむなしく、呼ばれてしまったので顔を上げる。いつもの五人と、体格が良くて五人の中でも身長が一番高い、おそらく百九十センチくらいはある男子がいた。


「無視しないでよ。私達の仲じゃん」


「…すみません」


いつも通りのニヤニヤした表情で、前かがみになりながら言ってきた女子生徒に頭を下げる。「私達の仲」が何を指しているのかは知らないが、顔を合わせても挨拶をするような仲では決してない。そもそも顔を合わせないように俯いていたのだから。


「誰?」


低い野太い声で、違う学校の男子が呟いた。私が覚えていなかった訳ではなく、本当に知らない人だったみたいだ。

その隣にいた、もう一人の女子が淡白な口調で補足した。


修司(しゅうじ)が告ったのをオッケーした子」


「あ?修司、こんなのが好みだったのか?」


「…」


私は何も言わなかった。言葉を発する気さえ起きない。


「…違うって。罰ゲームでって、前話したろ」


修司と呼ばれた男子の声がした。私自身が俯いているので、表情は分からない。


「ああ、あったなそんな話。結構前だけど、笑った覚えがあるな」


私が見覚えのない男子すら知っている話らしい。学校中に広まっているのは知っていたが、学校外まで届いているとは思ってもみなかった。


「話で聞いただけだったからな。お前らが爆笑したっていう顔、俺も見たかったんだよな」


嫌な予感がすると同時に、目の前で薄い金属のぶつかる音がした。同時に、目の前にいた女子生徒が私の顔を覗き込むようにさらに顔を傾けた。何百回と見てきた女子生徒の薄ら笑いを避けるように、音の発生源である金属のピアスが光りながら揺れるのを見ていた。


「今も似たような顔してるよ。ほら、顔上げな」


私は、ここにいる意味があるのだろうか?




「唯」


急に名前を呼ばれて、上げたくなかった顔が思わず上がった。

この学校で私を名前で呼ぶ人間は一人もいない。というか、私を名前で呼ぶ人は母親以外に存在しない。


筈だった。


「結構待ってたけど、出てこないから。置いてかれたかと思った」


二日前にも見た顔。あの時は土曜日だったので私服だったが、今は先週のダンスクラブで会った時と同じく制服を着ていた。

彼のマンションと学校の間に、私の学校がある訳ではない。要するに、今いるこの場所は彼の登下校では絶対に通らない場所にある。

とうとう幻覚が見え始めたのかと思ったが、そうではないようだった。私の目の前にいる女子も、その後ろにいる五人も、驚いた表情で彼を見ていた。


「…汗かいてる?急いで出てきてくれた?」


私と女子生徒の間に手を入れて、優しい手つきで私の前髪を触って整えた。思わず少しだけ上体を反らしたが、彼はそんな私の様子を見て甘く微笑む。

顔が熱くなるのを感じて目を逸らすと、後ろの方にいる女子が彼の表情を見て顔を赤くしていた。今まで何度か見た、彼に見惚れる視線だった。


彼は顔が良い。普段は少しも表情を作らずに無表情や仏頂面をしている事が多いので人を寄せ付けない雰囲気があるが、取り繕う…と言うと聞こえは悪いが、愛想よく振舞った時は年齢の離れた図書館の受付のお姉さんに連絡先を渡されるくらいには、なりふり構わず接点を持ちたくなると思われるくらいの魅力がある。

それが年の近い同世代で、尚且つ初対面でこの優しい表情を見たら、目を奪われるのは仕方がないことだと思う。


「…唯?」


甘い声と甘い表情、それに甘い雰囲気のまま私の顔を覗き込んでくる。似たような状況なのに、さっきの薄ら笑いとは真逆にも近い感情が湧く。


「…神谷、さん?」


意図的に息を吹きかければ届くような、もう少しで吐息がかかってしまうくらいの距離だったので、なんとか声を出した。声が震えたのが分かったが、直近声が震えた要因とは全く違う感情からくるものだった。


「―――」


私を正面から見つめていた彼が、一瞬だけいつもの無表情に戻って目線を後ろに移動させた。当然、角度的に私にしか見えない。それを見て、私は彼の意図を把握した。

彼は傾けていた身体を戻すと、私の隣に立って六人の方を見る。


「俺が先約だと思ってたけど、何か用があった?」


「…」


一人は当然なものの、この六人は先週のダンスクラブにはいなかった。なので彼の事は知らないし、私と彼がどういう関係なのかは全く分からない状態だった。当然先約なんて何もないし、彼がここにいる理由は私自身もわかっていない。でも、この状況を打開するために彼の話に乗った方が良い。


優しい笑顔で六人を見た彼に対して、後ろにいた女子が依然顔を赤くしたまま、首を横に振った。それを見て、彼は柔らかい表情を保ったまま納得したように頷いた。


「ありがとね。…じゃ、行こうか」


「っ」


カーディガンの上から右手を掴まれて、心臓付近が強く痙攣したような衝撃を感じた。いつの間にか冷めていた背中がもう一度熱くなるのを感じながら、棒のように固まりかけている足をなんとか動かして歩き出す。


「おい―――」


修司と呼ばれた男子が何か言おうとしたが、違う学校の男子に肩を掴まれて止められたのが横目で見えた。

一瞬だけだが、見たことのない男子の顔は青ざめていたように見えた。熊のように大きい筈の身体が、小さく縮こまっているように感じた。


そんなことよりも、小学校低学年の遠足の時ぶりくらいに男子と手を繋いだ事実の方が私の脳に強い衝撃を与えていた。指先に触れている温かい人肌の感覚が安心感を与えてくれると同時に、もしももう少しだけ私の身体が大きくて、指先だけでなく掌もカーディガンの袖から出ていたら、という(やま)しい気持ちが出てくる。


彼は私を引っ張ることなく、私に歩幅を合わせて隣に立ちながらゆっくり歩いてくれている。表情も雰囲気も、さっきまでとはいかないがまだ甘いものを感じる。

触れている指先と、歩くたびに接触する腕が、だんだん麻痺してくる。私を気遣って優しく握ってくれている筈で、私の脳も少しでも指先の感覚を感じ取ろうとしている筈なのに、身体は言う事を聞かない。


でも、脳が正常に動いていて良かったと心の底から思った。今この時間だけは、体感時間を早めることなく、ちゃんと長い時間に感じることができた。















「…久しぶりに表情筋使った」


ベンチに座って、項垂れながら呟いた。腿に腕を押し付けて身体を支えていたことで腿が痛くなってきたので、ベンチの背もたれに寄りかかった。

もう少し演技を続けていたら明日には表情筋が筋肉痛になっていた。危なかった。


隣に座る女の子は顔を赤くして、飲みかけの緑茶を両手で握ったまま呆然としていた。俺も、いつも仏頂面の知り合いが急に自分に対して馴れ馴れしくにこやかに接してきたら何か裏があると思ってしまう。

事実裏はあったのだが、意図は伝わっていると思う。


「落ち着いた?」


さすがにもう演技をする必要はないので、いつもの感じで聞いた。彼女は驚いたように身体を震わせると、背筋を伸ばして緊張した顔で俺の方を見た。


「…色々、悪かった」


少し考えたが、さっきまでの出来事を振り返るのも嫌になってきたので放棄した。どうせこの言い方でも伝わるだろう。


「いえ、助かったので…。こちらこそ、ありがとうございます」


助かったのかどうかは分からないが、なんとなく困っていたようだったので勝手に出しゃばってしまった。

敷地外とはいえ、違う高校の校門の前で長い時間待っているのも変な目で見られるのでさっさと用事を済ませたかったというのも要因の一つではある。


敷地内に入ることも躊躇したのだが、明らかに違う制服を身に着けた、どこかで見たことのある男子が既に敷地内に入っていたので問題ない気がした。

さすがに二メートル近く身長のある巨漢な男子は珍しすぎて忘れようとしても難しい。それが一度殴ったことのある人間であれば、攻略法を考えるので尚更記憶に残る。当然顔は覚えていないが、二メートルという特徴があればさすがに体格で覚えている。


「あの、なんであの場所にいたんですか…?」


まだ本来の目的を達成していない。演技による精神的ダメージと表情筋への肉体的ダメージで既に疲労感があるが、本題はこれからだった。


「本貸したけど、返す時のこと何も決めてなかったから。それの話」


彼女も思い出したかのような顔になった。普段図書館から本を借りていると、図書館以外から本を借りた時に返し方を忘れそうになる。


「あの人は俺と君が連絡先を交換してると思ってたみたいで、その辺は気にしてなかったらしい」


美馬のバーで起きた出来事を詳細に話した…聞き出されたこともあって、彼女から連絡先を受け取ったことを知っていた。だが、その連絡先を失くしたのは次の日の出来事だったのでもちろん話していなかった。昨日、俺と彼女に連絡手段がないことが発覚し、長時間に及ぶ小言説教を受けた結果、今に至る。


「…あの紙失くしちゃったし、今度は俺が連絡先教えようと思って」


言いながら、ポケットのスマホを取り出して自分の番号を表示させた。書くものも渡せればいいのだが、生憎鞄を持ち歩かない学校生活を送っているので何もできない。


彼女は怪訝な表情で俺を見たままだった。俺のような人間に連絡先を渡されると警戒する気持ちも分かるが、そもそも最初に連絡先を渡してきたのは彼女の方なので大丈夫だとは思う。

…連絡先を失くして彼女の高校まで行った挙句、人間関係にまで出しゃばった事によって信用が地にまで落ちていなければ。


そもそも、彼女の連絡先は家電なので俺からの連絡はしにくい。連絡を取り合うなら、彼女の方から俺のスマホに連絡してもらう方が助かる。


「…いいんですか?」


質問の意図が分からなかった。


「…悪用する人ではないでしょ」


初めて会ったのも十日前、関わったのも片手で足りるくらいだが、彼女の人となりはある程度理解したつもりだった。本の話をしている時はただただ純粋で、取り繕う様子もなく真っすぐに、楽しそうな表情をしていた。食事をしている時は本人は隠したそうにしていたが美味しそうな表情を出していたし、喜怒哀楽が良い意味で表に出やすくて、分かりやすい子だと思った。


だからこそ、この子のさっきの表情を見た時は、条件反射でほぼ迷いなく校門を跨いでいた。


「はい。それだけは」


力強い返事が返ってきた。出会った時から感じる不思議な魅力も、行動と振る舞いで分かる誠実さからくるものなのかもしれない。

だからこそ、日は浅いのに何故か信頼できる。理由はやっぱり分からない。


彼女が鞄を開け始めたので、俺はスマホをベンチに置いてもう一度背もたれに寄りかかった。

彼女の学校と家の間にある公園ではあるが、俺が通学に使うルートに近いこともあって知っている公園でもある。当然人通りの少ない、高校生どころか中学生や小学生すら、言ってしまえば猫やカラスもいない静かな公園。


彼女は相変わらず相当な距離を歩いて通っているようだった。冷静になって考えると、彼女の家からは二番目に近い学校ではある。一番近いのは俺が通っている高校なのだが、偏差値がししゃも一尾のカロリーと同じくらいの数字なので、おそらく学力的に論外だったのだろう。俺と同じく普通科だったとしても、ししゃも一尾に大根おろしが付属した程度のカロリーにしかならない。


彼女の通う高校も超進学校って訳ではなく、所謂中堅…それよりも下の学校になる。有名大学への進学実績はあるものの、数は多くないというレベル。

家から近くてそこそこの学力、という条件なら充分当てはまる。土曜日に聞いた彼女の本への理解と感想を話す語彙力を聞いた限りでは、それでも彼女の高い学力に見合わないような気はするが。


「ありがとうございました」


気付けば彼女は番号をメモし終わっていた。スマホをポケットにしまい、立ち上がる。彼女も同じく立ち上がった。


「一応、試しに連絡してみた方がいいかもね。繋がらなかったら…どこかでもう一回俺が行くよ」


無いとは思うがメモを間違えていたり、何かの過失でメモを紛失する可能性もある。その場合はもう一度、どこかで俺が彼女の学校に行けばいい。


「いえ、さすがに申し訳ないので…。通り道ですし…」


「俺の学校に来ると、この間のバーみたいに見境無い奴が話しかけてくるよ」


「…」


彼女は困ったような表情で黙り込む。嘘ではないが、誇張しているかと聞かれるとギリギリ頷くくらいには大袈裟に言った。

相変わらず彼女と一緒に行動するのは極力避けたいが、俺の学校よりも彼女の学校の方がまだ()()()()()()()ので騒ぎにはなりにくい筈だった。彼女の学校の敷地内にいた約二メートルは既に手遅れだが、偏差値の差なのか進学校に近くなればなるほど情報が広がらない。


「まあ、問題なく繋がれば大丈夫なんだし。深く考えなくても」


「そう、ですね…。今日の…七時くらいに連絡しても大丈夫ですか?」


「オーケー。じゃあ、今日連絡が無かったら明日同じ時間に行くよ」


かなり遅い時間を指定された気がするが、彼女の家の状況的にそんな時間で大丈夫なのだろうか。今日は先生のところに行く必要もないので、俺の方は全く問題はない。

だが、なんだかんだでこのまま帰ると家に着くのは午後六時半くらいだろう。俺の事を考えてくれたのかもしれない。


公園を出て、辺りを見回す。前のように、()()()どこかで見られている可能性はある。この子といる時は気が緩みがちで、この公園まで歩く時もちゃんと警戒はできていなかった。この子のためにも、家路についている時はちゃんと周りを見ておこうと思った。















午後七時前、やることを一通り終えてリラックスしていた。

シャワーを浴び、上下はスウェットに着替え、食事はスーパーで割引になっていた弁当を買い、あとは温めるだけ。

机に向かって、デスクトップのパソコンでニュースを眺めながら、スマホから音楽を流してワイヤレスイヤホンで聞いていた。何故かいつもより集中できず、五分前に見ていた筈のニュースの内容は覚えていない。


いつもより気が抜けていることは自覚しながらも、改善はできないだろうと諦めながらニュースをひたすらクリックしている。モニターの右下に表示されている時間を確認すると、午後六時五十九分と表示されていた。

視線を移したその瞬間に、モニターの表示が午後七時に変わった。同時に、キーボードの左側に置いていたスマホのディスプレイが点き、市外局番から始まる知らない番号が表示された。


理由はないが、少しだけ待った後に通話ボタンを押した。スマホはそのままで、静かに声を出す。


「…もしもし」


「あの…神谷さんのお電話番号で間違いないでしょうか」


予想していた人物と同じ声がワイヤレスイヤホンから聞こえた。多少年季の入ったスマホなので、スマホ本体のマイクよりもワイヤレスイヤホンに付属されるマイクの方が質が良い。


「合ってるよ」


短くそう伝えると、イヤホンから短い安堵の吐息が聞こえた。


「良かったです…」


これで、明日余計な距離を歩く必要はなくなった。こちらも安心感を覚えつつ、椅子の背もたれに体重を預けた。


「…」


「…」


たった十数秒のやり取りだが、お互いの目的は果たした。故に、次の言葉がどちらからも出てこない。

このまま適当に別れの言葉を切り出しても良かったのだが、なんとなく声を出していた。


「…そっち、家電だよね?メッセージでのやり取りはできないってことでいいのかな」


「はい、すみません…」


彼女の声が暗くなった。出した話題を間違えたかと後悔しつつ、言葉を続ける。


「いや、電話だとお互いにいつも出られる訳じゃないから。その時にどうしようかなって」


彼女が本を読み終わるタイミングなんて分かる訳がない。さすがに平日学校がある時に着信が来るとは思わないが、生活リズムが狂いがちの俺と時間が合うかと言われると正直怪しい気はする。メッセージのやり取りができるのであればその辺もすぐに解決できるが、そうもいかなさそうだ。


「連絡をするときは必ず午後何時以降、みたいに決めるのがいいですかね…」


少し考えて、目の前に人がいる訳でもないのに首を振った。


「夜遅くても反応できない時はあるね。不定期に…」


思い直して、思いついた。


「いや、金曜の夜なら大体反応できるかな。…毎週金曜、決まった時間に電話するのは?」


金曜の夜は、大抵隣の部屋で片付けをしていることが多い。美馬のバーに行った日は帰り道の出来事にやられて土曜日の朝になってしまったが、基本金曜の夜に片付けと掃除、ゴミ出しを行っている。その時間は先生も基本書斎から出てこないし、掃除しながら会話もできる。


彼女が本を返す日が平日になるとは思えない。金曜の夜に連絡すれば日を開けることなく、次の日かその次の日には対応ができる。

金曜の決まった時間に彼女から連絡がなければ、来週の金曜日までは彼女からの着信を気にする必要もなくなるし、お互いに分かりやすいのではないだろうか。


「…いいんですか?」


何に許可を求められているのか理解できず、数秒黙った。先に彼女の方から口を開く。


「私は嬉しいですが、その…毎週だと、邪魔になってしまいませんか?」


さっきの自分の発言が、間違った意味で捉えられているのを理解した。というよりも、俺が間違った言葉選びをしたことを理解した。

『読み終わったのがいつだったとしても電話をするのは必ず金曜日の決まった時間で、着信が無ければ次の金曜の決まった時間まで連絡はしない』という意味で言ったが、さっきの言い方だと『毎週金曜日の決まった時間に電話をかけて、返すか返さないか確認する』という意味で受け取れる。頭で考えたことを省略して口に出してしまった。


否定して説明することはできる。でも、説明が面倒だと思った。


…いや、これは嘘だな。面倒だからっていう理由だけじゃない。


「まあ、大丈夫かな。周りの目を気にしなくてもいいから話しやすいし」


「…」


また、言葉選びを間違えたのが分かった。慌てて言葉を繋ぐ。


「俺、自分の学校とか、その辺の地域だと評判悪いんだ。今日、君の学校にいたデカい奴も俺の事知ってて、関わろうとしないくらいには」


「…はい」


「だから、俺と仲が良いっていうのが知られると厄介事に巻き込まれるかもしれないんだ。その点、電話なら気にしなくてもいい筈だから」


確信を突いていないが、嘘をついてもいなかった。()()を知っているパパラッチのような人間がこの子との接触を確認して脅しをかけてきたり、評判を冗談だと思い込んだ人間が教科書を盗んで焼却処分したり、評判が伝わった他校の人間が関わらないように他の人間に伝える等、まともな評判が出回っていないことだけは疑いようのない事実だった。


彼女をできるだけ遠ざけようとしていたのもこれが理由だった。俺と関わりがあると知られると、パパラッチのような人間に付きまとわれたり、教科書を焼くような人間に面白半分で嫌がらせをされたりすることが考えられる。

但し、先生が彼女を気に入って本を貸してしまった時点で関わりは作らざるを得ない。できるだけ人目に付かない所で関われるのであれば、俺としても問題はない。


かなり早口で喋った気がするので伝わったのかは分からない。ハッキリ言って今までの彼女に対する俺の態度が悪かったのは割と自覚があるので、今更取り返さなくてもいいとは思っている。…一応は。


「…じゃあ、本のお話も、お電話ならできますか?」


言われてみれば、美馬のバーからの帰り道以外ではほとんど本の話をしていなかった。先週の土曜は先生がひたすら話していたので邪魔するのも悪いと思って時折口を挟むくらいだった。先週の帰り道も今日も、周りの警戒ばかりで会話すらほぼしていない。


「うん。貸した本はもう読み始めた?」


「はい。一冊目を読み終えて、今は二冊目の第二章を終えたところで…」


彼女の声が明るくなったのを明確に感じた。どんな表情をしているのかもなんとなく想像がつく。

彼女と会話を続けながら、明日は表情筋が筋肉痛になるのを確信した。それはもう、どうでも良くなっていた。

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