Scene5
私と彼しかいないと思い込んでいた時にいきなり別人の声がして、押さえつけられていた手が急に離れた時のように、声のした方を見た。
ちゃんと伸ばせば背中からお尻付近まで長さの茶髪なものの、毛量が多いからなのかクセが強く、肩甲骨上部くらいまでの長さの髪型。前髪もクセがあるにもかかわらず目が隠れるくらいの長さで、かけている丸眼鏡のおかげでようやく目が見えるくらいだった。
そして、同姓の私でも思わず見てしまうような胸の大きさ。オーバーサイズ気味の厚めのセーターを着ている筈なのに、それでもとんでもないサイズをしているのが見ただけで分かる。
身長は私とあまり変わらなさそうなのに、理不尽なまでの格差を感じる。
小柄で可愛らしい…というのも変だが、二十代半ばくらいの女性だと思う。なのに、高校生の彼と知り合いなのだろうか。
「…」
彼の方を見ると、声をかけてきた女性を見て、苦虫を嚙み潰したような、若干恨みのこもった目で女性を見ていた。意図は全く分からない。
「はじめまして。彼の隣の部屋に住んでます」
私に向かって微笑みながら頭を下げた。それを見て、条件反射で私も頭を下げる。
お隣さんなのに「ここにいたの」という言葉に違和感を感じたが、それを先回るようにすぐに言葉を続けた。
「彼に本を借りてくるように頼んだんだけど、いつもより遅いし連絡も取れないしで心配になって来たんだ」
お隣さんという関係なのに距離が近すぎる気もするが、色々合点がいった。彼の事は以前から知っているので、毎回上限である十冊の本を結構な頻度で借りているし、メモを見ながら本を探している時もあった。あれは自分の分とお隣さんの分の本を借りていて、お隣さんがリクエストした本もまとめて借りていたのであれば納得できる。
それに、先週彼と話した際になんとなく彼の好みは分かったけれども、それとは大きく外れた本を過去に借りていたことも知っている。あれもお隣さんの好みだったのかもしれない。
彼はポケットに入れていたスマホを取り出してディスプレイの電源を点けた。私には見えないが、おそらくお隣さんからの連絡が来ていたのだろう。
「話も少しだけ聞こえてしまったけど、本の談義をし始めるところだったのかな?」
「…」
私は彼の言葉の後半は認識できていなかったので、どういう流れになっていたのかは正直分からない。でも、彼が否定せずに黙っているのでそうなのかもしれない。
「それならウチにおいでよ。どうせ私達も家で今週読んだ本の感想会をするだけだし、人が増えた方が感想会の質も上がる訳だ」
「いえ…」
言っていることは正しいと思うが、彼が私と仲良くしたいと思っていないことは明らかだった。それに、私と彼はまともに会話したのは先週が初めてという、ほぼ初対面に近い関係性なのだから、そんな人間を簡単に家に招くのは不用心にあたる気がする。
「ウチといっても、マンション共用のライブラリーラウンジだから部屋の中じゃないよ。声量を気にしなくていい小さな図書館のような場所なら、気にすることはないだろう?」
本でしか読んだことが無いので想像もつかないが、高級マンションの共用スペースのようなものなのだろうか。本好きとしてかなり気になるが、結局は彼は良い顔をしないと思う。
「っ!」
「あの子はどうでもいいよ。最悪自分の部屋に帰らせてもいい。私が君と話したいんだ。ダメかい?」
落としていた視線を合わせるように私の前にかがんで、真っすぐ目を合わせながら膝に置いていた手を握られて、私は声も出せずに頷くしかなかった。
◆
「…」
見たことのない光景を前に、私は無言で辺りを見回すしかできなかった。
辿り着いたマンションの大きさにも驚いたものの、中に入った時の綺麗さにも驚く。新築なのかと思うくらいに汚れは全く見当たらないし、エントランスや通路に見えるガラスはどれもピカピカで常に私がはっきりと映り込んでいた。
既にエントランスには先週のホテルで見たものと同じくらいに高級なソファが並べられていたが、お隣さんも彼もそこには目もくれず先に進んでいく。
進んだ先にドアがあり、中に入ると十五畳くらいの部屋になっていた。一面はほとんど全てがガラス張りになっていて中庭が見え、向かいの壁はびっしりと本が納められている棚が、他二面の片方は雑誌類が、もう片方は私達が入って来たドアと、もう一つドアがついていた。
部屋の中心にはテーブルが置かれていて、それを挟んでソファが置いてある。確かに、この部屋での読書が最高なのは体験しなくても見ただけで分かる。
「ふふ…いいねえ。本好き特有の顔をしてるねえ」
ニヤリと笑っているお隣さんの視線を感じて少し気恥ずかしくなるが、それだけ目の前の光景に心が躍っている。
「まずは座ろうか。読みたい本もあると思うけど、自己紹介もまだだからね」
お隣さんはドアの向こうに行こうとした彼を見ないままでがっしりと掴み、無理矢理座らせた。促されるままに私も向かいのソファに座る。
「っ」
お隣さんが私の隣に座ったので、驚いて身体に力が入った。彼の方に座るのだと思い込んで油断していた。
お隣さんは驚いた私を見て不思議そうな顔をしていた。あまりにも距離が近い気がする。
「…その人、耳が悪いから。一人で外に出るのが危ないレベルで聞こえてないんだ」
今までほとんど口を開かなかった彼が口を開いた。私の反応を見てお隣さんが彼の方を見たが、首を傾げながら私の方を見直した。私は聞き間違いをしないくらいにはっきりと聞こえるくらいの音量だったので、結構致命的なくらい聞こえないらしい。
私に対して、声が大きい方ではないというのは出会ってから今までで分かったのだろう。それなら確かに、私の隣に座らないと聞き返してしまう場面が多くなるだろう。
お隣さんは気を取り直したかのように咳ばらいをすると、出会った時のような飄々とした微笑みを私に向けた。
「私は矢代美月。あの子の保護者で、隣に住んでるんだ」
保護者?ということは…。
「先に言っておくと、血の繋がりもなければ親戚でもないよ。両親の代わりに私が保護者をしてるって感じかな」
部外者がこれ以上聞いてはいけない話だ。私も一度だけ頷き、深堀りはしないことにした。
「まあ、見て分かるように私も本好きでね。月に二回…少なくとも必ず一回は、この子と読んだ本を共有して感想を言い合う会をやってるんだ」
見て分かる…は正直分からないが、感想会をやっているというのは腑に落ちた。あれだけの頻度であれだけの量の本を読んでいるのは、感想会をやるほど好きではないとできない。
「私も成人はしているんだが、なかなか出不精な性格でね…休日に会う友人もいなければ、仲良く話せる友人もいない。彼を除いてね」
外に出られないほど耳が不自由となると、友人を作る機会も減るだろう。身体的なハンデのせいで、私が想像もできないような体験をしている可能性もある。
物理的な距離が近いのでよく分かるが、お化粧もしていない筈なのに肌がとても綺麗だし、身体つきが華奢なのに血色も悪くない。髪こそ放置している印象を受けるものの、人が寄ってきそうな見た目をしている気がする。
「彼のことは…知ってるか」
私はすぐに首を振った。
「いえ…」
「会ったのも先週が初めてで、友人って関係でもないですよ」
言い淀んだ私に対して、彼が助け舟を出してくれた。会ったのは初めてではないのだが、彼にとってはその認識で間違っていない。
「そうなのかい?じゃ、自己紹介しなよ」
悩むこともなく、平然と言ってのけた。友人でもないのだから、ここに招いたことを疑問に思うべきな気もするが…。
「神谷颯。…通ってる高校は知ってるだろうから、これ以上は特に紹介するものもないかな」
半ば投げやりな口調で、私の方を見ないまま彼が言った。投げやりと言っても攻撃的ではなく、どちらかというと自嘲気味な雰囲気だった。
お隣さん…矢代さんは、溜息をついて私の方を見た。彼も声が大きい方ではないが、矢代さんに伝わる声量を熟知しているのか、ちゃんと聞き取れているようだった。
「見ての通り、性格の捻くれた子でね。愛想はないけど、悪い子では…ない…とは言えないな」
茶化すわけでもなく、神妙な面持ちで言った矢代さんに対して、彼…神谷さんは目線も合わせずに肩をすくめた。出会い方が出会い方だったので、素行がとても良い訳ではないことは理解しているが、とんでもない悪人という訳でもないことは理解しているつもりだ。
「次は、君の事を教えてくれるかい?」
私に優しい微笑みを向けながら矢代さんが聞いてくる。特に面白みのない自己紹介になってしまう若干の引け目と、矢代さんに聞こえないという気持ちがせめぎ合いながらも、ここ半年くらいの中でも一、二を争うくらいの大きい声で言った。
「小崎、唯です。神谷さんとは違う高校に通ってますが、同じ図書館に通ってます」
変な事を言った自覚はないのだが、矢代さんは私を見て不思議そうな顔をした。声量に問題があったかと不安になっていると、矢代さんの方から口を開いた。
「…もしかして、学年が違うのかい?」
「いや、同級生ですよ」
何故それを質問されたのかと私が困惑していると、神谷さんが一拍置いて私の代わりに返した。
先週の帰り道で私と彼はお互いの学年を話したので、同い年だということは知っていた。
「ああ、なるほど。同学年が相手でも丁寧な話し方なんだね」
おそらく、神谷「さん」と呼んだから疑問に思われたみたいだ。丁寧な話し方…かは分からない。敬語を使わないと同級生から怒られるようなことは一時期あったが、言われてみればその頃から、母親以外は全員、後輩でも同級生でも全員に対して敬語になっていたかもしれない。
「じゃあ、早速…小崎ちゃんは、今週どんな本を読んだんだい?」
◆
ドアが開いた音で、会話を止めて二人ともドアの方を向いた。…正確には、ドアが開いたことによって途端に部屋に広がったバターとバニラの甘い香りで、思わず二人ともドアの方を向いた。
それに反応するかのように、矢代さんのお腹が鳴った。私もなんとなく掴めてきたが、音量的に矢代さんには聞こえない。
「さっきからずうっと、微かに良い匂いがしていたね。小崎ちゃんの興味深い話を邪魔しそうだったよ」
私には微かな匂いは分からなかった。自分でも鼻が悪い方とは思っていない。おそらく、矢代さんの嗅覚が私より優れている。
「先生が作れって言ったんでしょ」
神谷さんはボヤきながら、先生と私の前に一つずつ皿を置いた。匂いだけでも食欲をそそるのに、見た目でもさらに食欲を加速させる。
粉砂糖が塗された、こんがり焼かれた厚切りの食パンが一口サイズに切り分けられて皿に乗り、隣には綺麗に四角く切られたバターと、ソースカップに入れられたメープルシロップ。私自身経験はないが、女子高生であれば九割以上が興奮気味に写真を撮ってSNSに載せるであろう光景だった。
神谷さんは自己紹介の後すぐに、入って来たドアとは別のドアに入っては出てきてを何度か繰り返していた。時には会話に混ざりながら、自らのスマホで時間を確認しては席を立って…を繰り返している状態。どうやら、もう一つのドアはダイニングルームに繋がっているのだろう。今いる部屋も本来応接室目的で使用されると言っていたし、奥にあるダイニングルームもおそらくゲスト用だ。
「興味を惹くものが複数あるというのも困りものだね。贅沢な悩みだと分かってはいるけども」
矢代さんもニコニコしながら、既にナイフとフォークを手に取っていた。私が困惑気味に神谷さんを見ると、遠慮なくどうぞ、と言わんばかりに目を瞑って手を差し出しながら肩をすくめた。
目の前の光景と、矢代さんの満足気な横顔と、神谷さんの食事許可という三重の攻撃を受けて、私の食欲は即座に敗北を喫した。
フォークを刺しただけで、口に入れた時の食感が理解できるサクっとした音。相変わらず広がり続けている甘い香りが、近付くとさらに強くなる。口の中に溢れてくる唾液が限界にならないうちに、素早く口に入れた。
「―――」
粉砂糖の甘さを先に感じるものの、パンの焼き加減からくる若干のビターな風味。外は完全なカリカリに、中はフワフワとはいかないまでも柔らかさを感じる絶妙な食感だった。ビターな風味の方が強いものの、そのために隣にバターとメープルシロップがあるのだろう。
「うん、完璧だね。望んでたフレンチトーストと一緒だよ」
「素人は火を通すのが難しいらしいんで、焦がし系のを希望してくれたのが逆に作りやすかったみたいですね」
フレンチトースト…焦がしフレンチトースト、が名称なのだろうか。世間一般としては私も女子高生なのだが、今までの人生で一度も食べたことはないので詳しくは分からない。分かるのは、今まで食べたスイーツの中でも飛び抜けて美味しいということ。それだけは間違いなかった。
「リクエストした私はもちろん、小崎ちゃんも満足させられるみたいだからね。いつも通り高いクオリティだよ」
いつも通り、ということは矢代さんは日頃からこのレベルの食事をしているのだろうか。羨ましくもなるが、目の前の食事の美味しさがその感情すら掻き消す。
「君はいいのかい?」
用意された皿は私と矢代さんの分の二つで、神谷さんの分はなかった。もしかしたら、本来私の分は神谷さんの分だったのかもしれない。
「味見で食べたんで。買った時に自分の分も計算してるんでその辺は大丈夫ですよ」
「そうかい?まあ、元々君はこういうのはあんまり量は食べないしね」
ここに到着する前、一度スーパーに寄った。私と矢代さんは外で待っていたので何をどのくらい買ったのかは分からなかったが、私の分も自分の分もちゃんと考えて作ってくださったみたいだ。
矢代さんも私も、時間をかけることなくすぐさま食べ終えた。なくなるのが惜しいと思う程だったが、食べた満足感で矢代さんはニコニコだった。かくいう私も、口角が上がるのを必死で抑えている。
「ご馳走様でした」
「ご馳走様。手間がかからないのなら、頻繁に食べたいね」
「いいですよ。下準備で放置する時間があるだけで、やること自体は少なかったんで」
神谷さんは立ち上がり、私と矢代さんのお皿を回収して立ち上がった。ダイニングルームを行ったり来たりしていたのは下準備を行っていたかららしい。
「後片付けは後でいいよ。せっかくなんだから三人で話そうよ」
「…後で洗う時用に、水だけ入れてきます」
目も合わせずに呟くと、神谷さんはダイニングルームへ歩いて行った。
矢代さんはため息をつくと、私の方を向く。
「ごめんよ。誰に対してもあんな感じなんだ。小崎ちゃんを嫌ってるとか、そういうのではないよ」
真剣な表情で私を見ながら、矢代さんが言った。
「…はい」
嫌われている訳ではないのはなんとなく伝わる。長年の経験から、嫌われている場合は大抵雰囲気で感じ取れる。
彼は私を嫌っているのではなく、私と関わりを持つことを嫌がっている。今まで見てきた限りでは、おそらく誰に対してもそれは同じだ。
彼自身がそう思っているのなら、無理矢理にでも仲良くなろうとは思わない。面と向かって言われてしまうとさすがにショックは大きかったが。
私の反応を見て矢代さんはまだ何かを言おうとしたが、その前に神谷さんが戻って来た。言葉通り、お皿を水に浸けて戻って来たらしい。
「小崎ちゃんは、まだ時間は大丈夫かい?」
「はい。今日は閉館くらいまでは図書館にいるつもりだったので」
休日は全て読書に充てようと思っていたので、興味のある本を限界まで探そうかと考えていた。閉館時間は午後六時なので、五時半…少なくとも五時くらいまでは図書館にいるつもりだった。
現在は午後三時を回ったところだった。ここに来てから、既に三時間くらい経過している。二人との談義が弾みすぎて、本を読んでいる時よりも短く感じた三時間だった。
「…」
矢代さんが途端に怪訝な顔になる。何か変な事を言ってしまったかと不安になったが、矢代さんは怪訝な表情のまま神谷さんを見て、もう一度私を見た。
「もしかして、本を借りる予定だったのかい?」
「はい…」
当然、図書館から本を借りて家でも学校でも読むつもりだった。図書館に行って、本を借りない方が珍しいような気もするが…。
「…本を借りないまま、連れ出された?」
「…」
図書館から借りていた本を返すのは、図書館に到着した直後に行ったので完了していた。借りたい本を探そうとする前に神谷さんと会い、外に出た。
それ自体は別に良かった。元々私が彼を探したことが原因な上に、今日は土曜日なので明日も行けばいい。元々今日で見つからなかったら明日も図書館に行くつもりだった。
但し、質問に対しては事実だったので、否定ができなかった。フォローの言葉を探したが、それも思いつかない。何を言っても何かしらボロが出ることが自分でも分かった。
思わず目線だけ逸らした私を見て、矢代さんは冷たい目で神谷さんを見た。神谷さんも無表情に目を逸らす。
一瞬気まずい沈黙が流れたが、矢代さんは急に思いついた表情になって私を見た。
「丁度いいや。せっかくお勧めの本を紹介し合ったんだし、今日は私達が本を貸すよ」
「え、でも…」
「あの図書館で借りようとすると取り寄せが必要になる本もあるし、貸出済でしばらく借りられないなんてこともある。そもそも新作で半年待ち、なんてこともザラさ」
有無を言わせないような勢いで話す矢代さんに面食らいながら目線だけで神谷さんを見ると、神谷さんは私を見て矢代さんに気付かれないように首を振った。
要するに、「諦めろ」というメッセージだった。
「さっきまで話してたのを聞くに、小崎ちゃんは月に十冊前後の本を読む計算になるね。という訳で神谷君、話題に出てきた本と、話を聞いた限りで小崎ちゃんが好きそうな本を私の書斎から持ってきてくれるかい」
神谷さんは一つも文句を言わずに席を立った。私が戸惑いながら神谷さんの後姿を見ていると、矢代さんは構わず言葉を続ける。
「気になるものがあれば、このライブラリーラウンジの本も借りて行っていいよ。置いてあるジャンルは幅広いけど、ラインナップはそれぞれ名作だ」
立ち上がった矢代さんに、私は慌てて声をかける。
「あの、部外者の私が持って行ってもいいんですか…?」
マンションの物を部外者が持ち出すのは良くない気がする。
図書館とは違って、貸出の構造がしっかりしていないと借りた人間を追跡することもできない。
「大丈夫だよ。雑誌以外は私が所有しているものを置いているだけなんだ。文句は言わせないさ」
力強い回答が返って来た。矢代さんが本好きなのはすぐに理解できたが、ここに置いてある本だけでも相当な数がある。これが全て自分の物というのはすごい話だ。私が今までの人生で呼んできた本の総量に近い…か、それ以上の量の本がこの部屋にある気がする。
圧倒されている私に目もくれず、矢代さんは何冊か本を取りテーブルの上に積み上げた。思わず私も立ち上がり、本棚に近付く。
ドラマ化もされている過去話題になった名作もあれば、全く見たことのないタイトルもある。応接室として使われることもあって、誰もがタイトルだけは知っているような青春小説の古典もある。
「…」
私の記憶が間違っていなければ、ネットでプレミア価格になっている本の初版もある気がする。
怖いので見なかったことにして次の本の背表紙に目を移そうとすると、神谷さんが戻って来た。
二十冊前後の文庫本をテーブルに置き、既に置かれているテーブルの本を見定め始めた。
矢代さんも神谷さんが持ってきた本を確認し、二、三冊抜き取った。
「これがさっき話してたお勧めの作品だね。きっと小崎ちゃんの好みに合う筈だ」
「ありがとう、ございます…」
渡されるまま受け取ると、矢代さんは感心した様子で椅子に座る。
「うーん、やっぱり君は本選びのセンスがあるね。小崎ちゃんに刺さりそうなものばっかりだ」
「さあ、どうですかね」
神谷さんも矢代さんが選んだ本を見て同じく感心したような様子を見せた。これだけで、この二人がどちらも本好きなのがよく分かる。
「私が予想したものとは違うけれど、言われてみれば確かにこれも好きそうだねえ…」
呟くようにそう言うと、矢代さんは私を振り返った。
「興味を惹くものを数冊持っていくといい。期限も特にないから、多めに持って行っても焦って読み進める必要もないし」
「あの…」
「本の重量も気にしなくていいよ。神谷君が責任を持って、小崎ちゃんと本を送り届ける。懺悔も兼ねて」
特に何も懺悔してもらう必要もなければ、美味しいフレンチトーストまでご馳走になって私の方が何かしなければならないような気はするのだが、もう既に私が口を出せない程に話が進んでいた。
結局、神谷さんが持ってきた本の中から六冊、矢代さんが積み上げた本の中から三冊を借り、引き続き本の談義を続けてから、神谷さんと二人でマンションのエントランスを出た。




