K01 北の沼地にて
――齢五十の儀にて、北沼地のファルエイユを採取し持ち帰ること。
その知らせを聞いた時から嫌な予感がしていた。
我々ファータの民は長寿であり、幼子からの一区切りとして五十歳にいわゆる元服の儀式を執り行うのが慣例のため、これが誰もが通る道であることは理解できる。
しかし、北沼地がいかに危険な区域であるかは皆もよく知っているはず。
また、その近辺にしか咲かない特殊な白い花であるファルエイユが、その希少性と危険性から採取することが極めて難しいということも。
それなのに、誰からも異論が出ないのは一体どういうことだ。
ファータの民には子が産まれにくいため、通常このような場では命を落とすほどの試練は課さないはずなのに。
普段は意見を挟まないようにしていた彼も、これには異議を申し立てた。
しかし、公平な視点が差し出されたにもかかわらず、明らかに私情が含まれた決定に関して上の意見は変わらなかった。
この儀式の対象である、彼にとって馴染み深い双子の兄妹を思い浮かべて奥歯を噛んだ。
ファータからは産まれないはずの双子――忌み子を、上がこの機会に始末するつもりなのは明白だった。
それを許すことができず、儀式を行うため森を歩く双子の足取りを追い、怪物に襲われそうになっていた彼らの前に庇い出たのが数瞬前のこと。
三人もろとも鋭い一撃に吹き飛ばされ、木々へとしたたかに打ち付けた背と頭が痛む。
いや、物理的な痛みとは別に、脳に負荷がかかったような重い痛みも酷い。
瞼をきつく閉じて蹲り、ぐうと唸る彼に流れ込んできたのは大量の記憶だった。
「う、ぐっ……なん、だ、これ……」
こめかみに手を当てて呻くも、多量すぎて眩暈さえ感じるそれを対処するより先に、鋭い気配を感じた方向から半ば反射的に素早く距離をとった。
先ほどまでいた場所を風切り音が通り過ぎる。
今は脳内の処理よりも目の前の状況を突破するべきだと判断した彼――エヴェリアーノは、痛みと混乱をむりやり片隅に押しやって左右を見渡す。
足場は沼地でぬかるんでいるので移動速度はおそらく半減するだろう、また共に吹き飛ばされた双子は右側後方にいるが、何とか起き上がったのか驚いた顔でこちらを凝視している。
そして目の前にいる、魚と竜を足して二で割ったような禍々しく巨大な存在がこの沼地の主に違いない。
尾びれのついた長い尾で攻撃してきたのだろうと全身を見たエヴェリアーノは、その造形に見覚えがあるような気がして思わず呟く。
「……ナマズ、か?」
この世界の生物にはいないはずだが、脳内検索には引っかかる。
信じがたい現象だが、惑わされている場合ではないと一度頭を振った。
「「エーヴェ兄ちゃん!」」
「二人とも、下がってろ!」
再度振るわれた泥を抉るような長い尾の攻撃に後ろから悲鳴が上がるのを聞き、エヴェリアーノは避けつつ端的に避難指示を出して反撃に入る。
尾の攻撃はあくまで牽制で、おそらく獲物を丸呑みするほうが得意なのだろうと推測し、ぐわんと体勢を変えてこちらを向こうとしている怪物の横面へと、右手の指先を向けて、放つ。
『放て風の矢』
ドウッと鈍い音を立てて怪物がのけぞり倒れる。
これは瞬間的な魔力の流れを不可視の一撃に変えて、矢のように飛ばす技だ。
あまり多用するものではないが、エヴェリアーノにとっては込めた魔力と範囲の調整次第で、叩く衝撃か貫く攻撃かなど自由に変更の効く攻撃手段である。
今回はこちらに大口を向けさせないようにするため、範囲を広げて衝撃を与え、その間にとっておきの援軍を呼ぶ作戦だ。
すぐさま左手で魔力を乗せた指笛を吹き、それから双子のもとへ駆け寄って怪我の有無を確認する。
「二人とも、大丈夫か」
「に、にいちゃ……!」
「こわかった……!」
涙をにじませて抱き着いてくる二人を受け止めて、それぞれ頭と背中を撫でてやる。
擦り傷や打撲はあるだろうが、致命傷はなさそうだ。
このまま安心させてあげたいところだが、まだ戦闘は終わっていない。
エヴェリアーノは少し声を潜めて二人に囁く。
「この場は俺がなんとかする。だが、いいか、俺がここに来たことは内緒にしてくれ」
彼の強い眼差しに、きゅっと口を結んだ双子はわかったと頷いた。
それを確認したエヴェリアーノはひとつ微かに笑うと、怪物のほうへと身体を向ける。
「それと――あいつらのことも」
彼が呟いた言葉と同時に、双子は怪物に向かって急降下してくる二つの影を見た。
黒く大きな翼を広げ、首回りの白い毛を逆立てながら怪物へと突撃したのは二頭の巨大な鳥だ。
通常、森の中や集落で見かける小鳥とは似ても似つかず、体躯も相まって非常に凶暴そうに見える。
双子が震えて眺める中、二頭は難なく連携をとりながら怪物を足蹴にし、突き、羽ばたきによる風圧の攻撃を仕掛けていく。
沼地を荒らしながら苛立ったように暴れる怪物を、魔力を構成しながら目を細めて観察していたエヴェリアーノは、頃合いを見てもう一度指笛で合図を出した。
途端に二頭は一鳴きして怪物の身体を抑えにかかる。
彼の出す指示は的確で、寸分の狂いなく二頭と意思疎通しているように見える。
構成していた魔力を円形に構築し終わったエヴェリアーノは、間髪入れずその仕掛けを怪物の顔周りへと展開させた。
『止めろ息の根』
苦しそうにのたうち続ける怪物が次第に痙攣し、動きが鈍くなっていく。
空気を極限まで薄くする範囲攻撃なので、いくら巨体でも成すすべはない。
そしてついにピクリとも動かなくなり、周囲に静寂が訪れた。
この技は展開に時間がかかるので、やはりあまり使い勝手は良くないのだが、今回は二頭が怪物を消耗させてくれたおかげで確実に仕留めることができた。
エヴェリアーノはほっと息をつき、二頭の傍に寄って首を撫でてやり功績を労った。
「ソッド、ノルド、よくやった。助かったよ」
彼らは肉食で仕留めた獲物や腐肉を好んで食べるため、この沼の主とやらをそのまま褒美に与えてやることにする。
荒れた沼地も雨が降ればぬかるんで目立たなくなるので、あとは双子と自分が黙秘すれば証拠が残ることはない。
そう思考し、ひとたび翼を広げれば自分の体長と変わらないほど大きい二頭を改めて眺めて、そういえば頭に毛がないこの二頭はコンドルに似ているのだなと考えた彼は、自分の記憶に再び違和感を感じて首を傾げる。
あの沼の主の時もそうだった。
あれはめったに出会うことのない生物の成り損ないの魔物であるため、種別名は特に存在しないのに『ナマズ』のようだったと記憶は言う。
また、目の前の二頭はアーブルという名前を持つ鳥だ。
気を許してもらえた証として愛称で呼んでいるが、決して『コンドル』という存在ではない。
そうして顎に手を当てて黙り込んだエヴェリアーノの傍に、近寄る影が二人。
「兄ちゃん、すげえや! あんなにでっかい怪物を倒しちゃうなんて!」
危険が去ったと判断したのか、興奮ぎみにそう言って双子の兄のカチェリアーノが後ろから駆け寄って抱き着いてくる。
「兄ちゃん……ごめんね、巻き込んじゃった。怪我はない?」
一方、心配そうにゆっくり歩いてきたのは妹のトルディアーネだ。
ファータの民の証である輝かしい金髪を肩上で緩くなびかせる二人は、見た目の相貌こそそっくりだが瞳の色が左右非対称のオッドアイだ。
兄のカチェリアーノは右が青色、左が緑色で、妹のトルディアーネは右が緑色で、左が紫色。
もとより性格が違うので、彼らと日頃から交流しているエヴェリアーノには簡単に見分けがついた。
「……ああ、大丈夫だ」
彼らの特徴的な髪、白い肌に尖った耳は、もちろん同種族の自分も持ち合わせている。
己を見上げてくる双子をまじまじと見て、見慣れているはずの容姿に新鮮さを認めた彼は小さく溜息をついた。
――物語に出てくるエルフのような見た目、妖精の民、鳥族か。だが……俺は。
そう、先ほど打ち付けた頭の痛みとは別に、鈍い痛みとともに蘇ったのは駒戸律夏という人族の人生の記憶だった。




