表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/24

M04 鬼の従者のひとりごと

 鋭い痛みが背から体の中心を貫いた衝撃でたたらを踏む。

 耐えきれず膝をつくも、ついで攻撃を受け目の前で蹲ったお嬢様へと手を伸ばす。

 そのおぼろげに霞み始める意識の中で、お嬢様を守るように抱えた刹那、首筋への痛みと口づけによる強烈な感覚に翻弄される。


 僕はあの時のことを、生涯忘れることはない。

 憎たらしいほど明るく暑い真昼の悲劇を、あのどうしようもなく胸を締め付けた絶望を、毒の回りかけた熱い身体がさらに熱く甘美な衝動により塗り替えられていく、あの夢のような心地を。

 僕はきっと、忘れることはない。


***


 「あなた、お名前は?」


 マイラお嬢様との出会いは、あの悲劇が起こる約十年前。

 ハルヴェンスは、まだ肉体労働が出来ない幼い身体を見限った親に奴隷商へと売り払われた。

 もう少し年齢が上ならばきつい仕事ができただろうし、逆にもう少し幼ければ期待をその肩に乗せて食わせてもらえただろう。

 しかしたくさんの兄弟に囲まれた彼は、不運なことに、その年の厳しい冬越えに耐えられなかった家計の犠牲となった。

 さらに扱いの悪い奴隷商のもとで数ヶ月過ごしただけで、体重は減り、やせ細り、薄汚れた。


 生まれてこのかた希望なんて持てやしない人生だったのだ、誰に買われようとも未来はないと諦めきっていたハルヴェンスを手に入れたのは、同じ年頃の子、それも鬼族の少女だった。

 生気のない瞳でじっと見つめられたにもかかわらず、対面した少女マイラは純粋な心のまま尋ねてきた。

 どうにかどもりながらも自分の名前を名乗るハルヴェンスに、次に向けられたのは大輪の花のような笑顔だった。


「ハルヴェンスっていうのね! あたしはマイラ・ヴォン・ルネット、よろしくね!」


 窓から入る春の暖かい風に吹かれてふわふわと波打つ茶髪が揺れ、喜びに細められた赤い瞳がキラキラと輝いている。

 ハルヴェンスは呆けたような顔のまま、彼女の美しさに見とれた。


 その後、いったいどんな扱いをされるのかと戦々恐々と過ごすハルヴェンスに対し、マイラはひとつひとつ怖くないよ、こうするんだよと丁寧に教え、お互いの些細なことについてお喋りを重ね、惜しみない笑顔を向け世話をした。

 失敗を責めることなく次に生かすこと、身体を鍛えて健康を保つこと、種族ごとの常識や世界について知識をつけることなど、マイラとともに学ぶことはたくさんあって日々目まぐるしかった。

 奴隷という立場にもかかわらず、いつだってマイラはハルヴェンスに真摯に向き合い、友愛を向け、全幅の信頼を寄せてくれるのだ。

 ハルヴェンスは次第に絆され、心が満たされていった。

 幸せとはこういうものなのかと温かい気持ちに包まれ、そうして辛い境遇を乗り越える意志を持つことができた。

 いつしか彼は、彼女の役に立ちたい、恩返しをしたいと強く思うようになった。

 理解ある養い親であるマイラの父の助力もあり、ただの奴隷から彼女専属の従者へと転身させてもらい、さらなる知と力を求め邁進していった。


 そして生まれてから二十年余り経ち、ハルヴェンスは立派に成人し一人の青年として足を踏みしめる日々。

 決して楽とは言えない人生でも後悔はない、そんな毎日を、お嬢様たちと。

 ……いつまでも過ごしていたかったのに、その願いは叶わなかった。

 

 日差しが照りつけるある夏の真昼のこと、日が落ちてから活動を始めるヴァンパイアたちのため日中からできることをと作業をしていたハルヴェンスは、洋館二階の廊下の窓から外を見てふと目を細めた。


 ――森の木々の向こう側で、煙がいくつか上がっている?


 この建物は森に囲まれており、その森の先には他のヴァンパイアの方たちの居住区がある。

 マイラとともに何度も足を運び交流したのだから地理的情報は確実だ。


「……っ!」


 瞬時に駆け上がる悪寒。

 彼が走り出すのとほぼ同時に森から飛び出してきた人影を窓越しに目視し、襲撃を確信したハルヴェンスは各部屋につながる警報を鳴らす。


「敵襲! 敵襲だ!!」


 壊すと音が鳴る装置を床に叩きつけ、そのまま大きな声を上げ、駆ける。

 自身が向かう先はただ一つ。


「っお嬢様!」


 バン、と普段なら絶対にしないような従者の力任せの入室に対し、すでに起きていたマイラは窓際に寄った状態でこちらを驚き見た。

 視線が合う、駆け寄ろうと足を向ける、だがハルヴェンスが辿りついたそのとき、勢いよく窓が割れ飛び込んだ矢がマイラをかばったハルヴェンスの背を貫いた。

 かは、と息を零したハルヴェンスが床に崩れ落ちた次の瞬間には、無情にもマイラへと矢の脅威が向く。

 逃げる間もない追撃に、ハルヴェンスは襲撃者たちの狙いが彼女だとわかった。


 焼けるような痛みが患部だけでなく全身に回る、ということは毒性を持つ攻撃である。

 マイラお嬢様にも同じ矢が使われているのをみて、ハルヴェンスはその特徴ある形状からこれが呪いの矢と呼ばれるものであると見当がついた。

 そうなると、鬼族に対する効果は人族と違い、たしか抗えない深い眠りに誘う催眠効果があるはず。

 彼女を不当に連れていく気なのだ、そして利用する気でいるのだ。

 焦りや怒り、悔しさと悲しさでごちゃまぜの思考が毒に冒されていき視界が霞む。

 諦めたくない一心で手を伸ばしマイラを抱え込んだハルヴェンスの気持ちに応えるように、彼女が動いた。


 そして彼は目まぐるしく翻弄された。

 痛みに鈍くなった身体、首筋に刺さる痛み、快感、ついで口づけを受けた驚き、喜び、甘い血の味、急激に変化する体内部、頭痛、寒いような熱いようなくらくらする感覚、一瞬の酩酊。

 患部が急速に回復し、矢は抜け落ちた。

 数分も経っていないかもしれない。

 しかし劇的な変貌だった。

 それに脳内が混乱するより先に、目の前で気を失った主の目視安全確認と後ろから聞こえてくる野蛮な複数の足音の処理を行わなければ、と思考が動いた。


 やるべきことはすべからく理解していた。

 侵入者の排除と、お嬢様の守護。

 ドタドタと部屋に押し入った野蛮人どもを次々と沈めて、矢を取り除いたお嬢様をベッドへと寝かせると、ハルヴェンスは過敏な神経で敵の位置を見出し、身軽になった身体一つで敵を殲滅した。

 放たれた火は燃え盛る前に消化した。

 攻め込まれた建物はところどころ焦げつつも、どうにか住居としての形を保つことができた。


 しかし、住人は誰も助からなかった。

 従者としての心得を厳しく指導してくれた執事長、お嬢様直属の召使としてあらゆる知識を授けてくれたメイド長、日々の勉学指導をしてくれた先生、共に働いていた仲間たち、そして養い親であったご当主様。

 彼らの亡骸を見つけるたびに、思い出が鮮やかに蘇り、胸をついた。

 ハルヴェンスは、森の一部燃えてすっかり開けてしまった土地を更地にして、大切な人たちの墓を作り、埋めた。

 激しい戦闘によりできた傷とぽっかり空いた心の傷がじくじく痛むのを感じながらも、作業の手は決して止めなかった。


 同士の埋葬、敵の死体の処理、清掃とすべての作業を終え、ようやく一息ついたハルヴェンスはそこでずっと感じていた違和感に目を向けた。

 この状況で飲み食いする余裕もなかったのは確かだが、絶食状態で数日過ぎた今も、己の身体に問題はないように思える。

 また、最初に受けた矢の傷はあの時に一瞬で治ったのに、その後受けた傷はなかなか治ってくれない。

 極めつけは、日中の作業がひどく怠く感じるのに、夜には己の領域だとばかりに動く身体と、暗闇でもよく見える視界、かつての限界以上に使える技能と力。

 学んだ知識の中に該当するものはないが、ハルヴェンスは本能的に判断した。

 自身の身体は人族の理から外れ、お嬢様のもつ何らかの方法でヴァンパイアと同じ特性を得たのだと。

 試しに貯蔵庫に残っていた保存血液を舐めてみて、次々と傷が治り、同時に腹を満たす歓喜に震える自らの身体をもって、彼は確信したのだった。


 毎日日が昇っては沈み、春夏秋冬と季節を何度も越えて、お嬢様の体の具合を見ながら、墓守をつとめ、わずかに残った家畜の世話をする。

 ここは孤島であり、海からやってくるものはほぼない。

 まれに遭難者が辿りつくこともあったが、大体が人族であったため、ここの証拠を残されてはたまらないと問答無用に命を刈り取った。

 ただその中でも一度だけ、命を救った魚族の父子に協力を取り付けることができたのは僥倖だった。

 家畜の餌や衛生用品などをひそかに流通してもらうことができたからだ。

 この場所を離れることはできないため、かの青年越しにはなるが、いくつかの情報や現在の情勢なども仕入れ、世界から取り残されないよう努めた。


 そうして、気の遠くなるような時の流れを、狂いそうになりながら数え続けて六十年。

 ご当主様に選ばれて、お嬢様からいただいたこの命は、生涯かけて彼女のために使うと決めている。

 今宵も安らかに眠っているであろう我が主の部屋へと足を進めたハルヴェンスは、開けた扉の先、部屋の中にかかる月明りの向こうで、愛しい彼女の意識が戻ったのを、見た。


 従者は知る由もないが、美里音の存在により、マイラとハルヴェンスを縛る封印はたった今解けたのだ。


 ――同士を奪った人族に、絶望を与える鬼となることを許してね。


「かしこまりました。すべてお嬢様の御心のままに」


 確固たる決意、そして報われた幸福を胸の内に秘めて、ハルヴェンスは深く深く礼を捧げた。


ここまで一日一話投稿でした。次話より二日に一話となります。

やる気アップにつながるので、ぜひ感想や評価などお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ