M03 現状確認
美里音が感謝の気持ちを伝えたところ、ハルヴェンスは感無量といった様子で「もったいないお言葉です」と返答し、何やら準備のためと言っていったん退出していった。
過去を思い出した美里音はひとり、マイラの人生が恐ろしいやら、最後にやらかして恥ずかしいやらで頭を抱えて唸る。
「うーん。我ながら、なかなかに強引な手を使ったものだ……」
マイラとしては眷属化の儀を行うことで、彼の存在を作り変えて寿命を延ばす作戦だったのだろう。
弊害としてヴァンパイアの特性を引き継ぐことになるので、本来は何の説明もなしに行うものではないのだが。
――でもハルが怒ってなくてよかった、生きていてくれてよかった。
マイラとして安堵する気持ちと、美里音として少々呆れる気持ちと両方持ち合わせている今の精神状態は複雑である。
ともかく、思い出した知識のほかに、ほしい情報がたくさんある。
これから詳しく調べるつもりだが、自分はいったいどれだけの間意識を失っていたのか、また彼はどうやって生き延びたのか。
そして何より、幼馴染二人はどうなったのか。
過去を知り、現在に至るならば、これからどうするべきか、と思考を巡らせていると、再びハルヴェンスがノックののち入室してきた。
「お嬢様、お食事をお持ちいたしました。召し上がれそうですか?」
彼が持つトレイの上にはワインのような瓶とグラスが乗っている。
マイラとして馴染み深いそれを目にした途端、唾液が出るほどの空腹を感じる。
一方、美里音としてはオタク心に火が付き一気にテンションが上がった。
「ありがとう、いただきます」
満足に動けないので支えてもらいつつ、グラスに注がれたそれを一口、味わう。
不思議と忌避感はなく、ああこれが、と美里音はすとんと納得した。
目の前の赤い液体は言わずもがな、血液である。
懐かしい味に安心する気持ちと、人間だったころにはありえない状況に興奮する気持ちが湧き上がる。
「おいしい」
ふう、と息をついてゆっくりと目を閉じて余韻に浸る。
正直なところまだ乖離しがちなややこしい内心は、そのうち落ち着くだろうと脇に置いておくことにした。
「お嬢様はおよそ六十年もの間、矢の呪いにより眠っておられました。久方のお食事となりますので、少量ずつ摂取して様子を見ましょう」
「え……六十年?」
「そうです。その一杯を飲み終わりましたら、現状をご説明いたします」
信じがたい言葉に身体が固まるが、マイラの従者は嘘をつかない。
オウム返しのように呟く美里音を見て、ハルヴェンスの瞳に悔しそうな色が乗った。
空いたグラスを手早く片付けた従者は、美里音に一言断ってベッド近くの椅子に腰かけた。
それなりに気安い仲であっても彼は同じ席には座らなかったことを覚えているので、腰を据えて話したいという気持ちの現れであることは美里音にもわかった。
「まずは今日の日付から。テデス歴二五六〇年、雨月第三週の花の日です。あの事件があった日はテデス歴二五〇〇年の夏でしたので、約六十年経っています」
この世界、マイラが住むこの地域は少なくとも四季があり、一年は十二ヶ月、一ヶ月は四週間、一週間は七日だ。
美里音の感覚に翻訳すると、今日は六月第三週の月曜日であり、日が高く暑かったあの夏に比べるとまだ涼しい。
「残念なことに、あの襲撃を受けたあと、島内各地を捜索しましたが、この地の鬼族の生き残りは他に確認できませんでした」
「……そっか」
残酷な結末を知り、美里音は俯き、ぽつりと零した。
あの優しかった父は亡くなったのだ。
よくしてくれた皆も、もういない。
ハルヴェンスも未だ心の傷が癒えないのだろう、表情には出なくても語る間は膝の上で両手をきつく握りしめている。
「死ぬはずだった僕はあのときなぜか命を繋ぎ止めたので、追手や残党を片っ端から始末し、身体が癒えるのを待ちながら、島の鬼族の皆様を弔うため墓を作りました」
ハルヴェンスは「僕、しばらくは傷だらけでした」と小さく苦笑する。
自分の身に起こったことを処理するのにも時間がかかっただろうと思うと、美里音は申し訳なくて胸が苦しくなった。
「唯一息をしていたお嬢様は深く眠っていらしたので、このお部屋でお守りすることにしました。それから僕はお嬢様が目覚める日を待ち続け、墓を守る番人としてこの島で過ごしてきたのです」
言い切って、目を瞑り重く息を吐くハルヴェンスの手を、美里音は動かしにくい自身の手でそっと握った。
人族から強制的に眷属になったことで、食事も活動時間も何もかもが変わる。
驚きと戸惑いと試行錯誤の連続だったであろうことは想像に難くない。
「……ハルは、一人で生き延びたことを後悔してる?」
「いいえ。お嬢様がおりましたから」
「どうしてそこまでしてくれたの? 所詮鬼族の末路だと、逃げても良かったのに」
「僕は、この家に買われたことを感謝していますから。命ある限り、受けた恩を返したかったのです」
「元はと言えばあたしの我儘で連れてこられたようなものなのに……そう。ここでの生活はあなたの為にもなっていたのね」
美里音がぽつぽつと落とす質問に、迷いなく答える従者の瞳の輝きのなんと強いことか。
本心であることに泣きそうになりながら、美里音は優しい従者にきちんと説明することにした。
「ハル。あなたはあの時、あたしが血を与えたことで、あたしの眷属となった。これはあたしだけが行使できる呪いのようなもの。あなたは死を免れた代償に、人族として生きる時間を奪われてあたしの支配下となった」
美里音はハルヴェンスへはっきりと視線を合わせて、真摯に語り掛ける。
「恨んでもいいよ。でも、あなたの命はもうあたしのもの」
一蓮托生だ、諦めてついてきてほしい、と言外に訴えた美里音を見てハルヴェンスは身体を震わせる。
推測はしていたのだろう、腑に落ちたという顔をした彼は、それから涙ぐんだ。
「やはり……それは、これからもお嬢様と同じ時を過ごせるということですね。ありがたき、幸せ……!」
噛みしめるように呟く従者の姿に、美里音は彼からの好感度の高さをひしひしと感じた。
なぜこのタイミングで眠りから覚めたのかはまだわからない。
だが、美里音は一通りの話を聞いて心を決めた。
当面の目標は、同じ魔方陣でこちらの世界に来ているだろう幼馴染を探すこと。
そしてその過程で、この悲劇を生み出したろくでもない人族たちにも復讐してやる、とも。
そのためには体力を回復し、能力を検証し、反撃するための力をつける必要があるだろう。
すでにひとり味方がいるのだ、これほど頼もしいことはない。
だから、彼女は動く。
「ハル、あたしの第一の従者。今まで守ってくれてありがとう。でもあの時、あたしの心は同士とともに死んだ。幸せの証であり、同時に枷となるマイラ・ヴォン・ルネットの名は同士たちの墓に埋めるわ」
――だからそうね、今後あたしのことはミリーネ、と呼んで。
にっこり笑う主は可愛い。
奇しくも、元の名を短縮したような呼び名だとハルヴェンスは思った。
「かしこまりました、ミリーネお嬢様」
若干アクセントが異なる気もしたが、美里音はそれでいいと頷いた。
名前を変えることにしたのは、これで幼馴染も自分を見つけやすくなるかもしれないという打算があるからだった。
この日、違う世界の意識が混ざったことで、マイラの中のこの世界における暗黙の規律は自然と薄れた。
そして美里音は自分がいた平凡で優しい世界の人間と、この世界に住む人族は全く違う生き物なのだと判断した。
マイラがもつ恐怖と憎悪に加えて、優しい美里音からこの世界の野蛮な人族への侮蔑と嫌悪の気持ちが生まれ、その火は大きく燃え上がり周囲を巻き込んでいくことになる。
「同士を奪った人族に、絶望を与える鬼となることを許してね」
鬼族、吸血鬼の始祖の血を継ぐミリーネは、この世界に復讐劇を望む。




