M02 鬼族の娘、語られし過去
マイラ・ヴォン・ルネットは鬼族であり、その中でも誇り高いヴァンパイアであった。
始祖の血を継ぐ偉大な父の一人娘としてこの世界に生を受けた彼女は、同士から惜しみない愛情を受けてすくすくと育ち、この孤島で過ごしてきた。
ヴァンパイアは子や孫が生まれにくい鬼族の中でも輪をかけて子孫を残しにくい種族のため、マイラに同年代の子どもはいなかった。
可愛がられるのは嬉しいし好きだ、でもつまらなくて寂しいのだと幼い我が子に訴えられた父は、信用のおける売り手から奴隷を一人購入し、娘に与えることにした。
遊ぶもよし、躾けるもよし、最悪の場合壊してもよしと娘に自由にさせたのは、その奴隷が人族の子どもだったからだ。
この世界には大きく七つの種族とそれに連なる生物が存在しており、住処や価値観は種族ごとに明確に線引きされている。
中でも人間という種族は、個々に力はないが繁殖力と野心が強いことが知られている。
傲慢にも人族は同士で争いながら、長い年月をかけてガイアデルツ大陸の大半を占拠するに飽き足らず、暗黙の了解で守られてきた他種族との境界線を越えて暴れまわってきた。
その上、都市部に住む者はともかく辺境に住む者は貧しく、食い扶持を稼ぐために産んだ子どもを金に換えることもあるという。
人間以外の種族にとって子は宝であり、同士全員で守っていくべきか弱きものだ。
ゆえに信じられない野蛮な種族だと認識され、他種族からは忌避傾向にあった。
もちろん鬼族も大なり小なり迷惑を被っている、そんな種族が自ら差し出した生贄だ。
多様な奴隷の中で子どもを選んだのは娘のためだが、その奴隷へのせめてもの慈悲ともいえる。
碌な扱いをされてこなかったのだろう、ボロボロに薄汚れた雄の子どもの翡翠の瞳に希望はない。
まあ娘に与えるにあたっては、病気持ちでなく反抗心がなければそれでよかった。
ヴァンパイアの中でも高貴な立場である父にとってそれは所詮二束三文の買い物だったが、娘のマイラはたいそうお気に召したようで、身を清めさせたあとはいつも傍に置いていた。
マイラとしては、最初はお人形遊びの一貫だった。
ぼさぼさの黒髪や擦り切れた手足、少ない食事でやせていた身体も、身綺麗にすれば外見が整っていくので面白く、もちろん奴隷なので言うことも聞いてくれる。
マイラは十にも満たない己とほとんど変わらない少年と遊ぶのが純粋に楽しかった。
ここで過ごすうえで気を付けないといけないのは食事だけだった。
なぜなら、ヴァンパイアと人間では食べるものが違うからだ。
雑食で火を通したものを好んで食べる人間とは違い、ヴァンパイアに必要なのは血液である。
そのためこの島には血液採取専用の家畜が飼われていたし、時には商人から取り寄せるなどして生活をしていた。
この奴隷の少年に与えるため、ヴァンパイアがめったに食べない植物や肉類を割高でも取り寄せてくれたのは父である。
同士の誰から見ても、一人娘に甘い優しい父親と元気でかわいらしい娘、それに従順な少年の三人は穏やかで素敵な家族だった。
しかし、その悍ましい事件は日の高い真昼に起こった。
海洋の中浮かぶ島々に住む鬼族の話を聞き、めったに来られないはずの孤島へと徒党を組んで人族が強襲してきたのだ。
招き入れたのは、口が堅いはずの商人だった。
商人は海を簡単に越えられる魚族の出であり、普段であれば人間に加担する理由はないのだが脅されでもしたのだろうか。
彼の命もそこで潰えたので、今となっては真偽は不明である。
ともあれ日の出ているうちは外出を嫌う鬼族の性質を利用した奇襲だったので、嫌になるほど円滑に事は進んでしまった。
数少ない同士たちは打ち取られ、家は燃やされ、家畜もたくさん殺された。
森の奥に建つ洋館も例外なく、人間たちは見つけ次第襲い掛かった。
館にいる者のうち、最初に異変に気づいたのはあの奴隷の少年だった。
引き取られて十年、成長期を過ぎてもはや青年となった彼、ハルヴェンスは、お嬢様つきの召使として教育を受けながら日々励んでいた。
しかし昼の作業中のこと、ふと窓の外を見ると木々の向こうには煙が立ち、遠くからだんだん金属的な騒音が近づき、やがて――ここでは見かけないはずの同族たちの姿が視界に映った。
ありえない現実だったが、青年の判断は早く、咄嗟に近くの警報を鳴らし大声をあげ執事長や当主を起こす。
従者たちが手分けして主人を逃がす算段をつけ、青年はマイラの無事を確認し守ろうとした。
しかし多勢に無勢、力は強かろうと合わせても十五人程度しかいなかったヴァンパイア側は、何十と集う人族に圧し負けた。
マイラのミスは、大きな音に驚いて目を覚まし、何事か確認しようと急いで窓へ寄ったことだった。
彼女の自室に駆け入ったハルヴェンスは、窓を割って魔力の籠った矢がマイラへ襲い掛かるのを身体を張って防いだ。
致命傷に蹲る青年の横で、無情にもマイラの右胸に矢が刺さる。
二人に刺さったのは、種族で効果が違うとされる呪いの矢だった。
それは今回の奇襲において人族側のとっておきの武器であり、マイラを殺さず持ち帰るための手段だった。
鬼族を眠りに誘い、人族には毒であるそれを受け、いよいよもって全滅の危機に瀕したそのとき、マイラはひとつの切り札を切った。
膝をついたマイラへにじり寄り、なお必死で守ろうとしてくれる瀕死のハルヴェンスの首元へ、マイラは自ら牙を立てる。
途端に濁る彼の瞳を横目に、首から抜いた牙を今度は自らの舌へ深く突き刺し、口内へ溢れた血をそのままにマイラはハルヴェンスへと口づけた。
――ごめんなさい。せめてあなただけでも、生きて。
それは吸血し血を与える限定的、循環的行為による対象の眷属化。
誰にも知られていない、父から受け継いだ彼女だけの秘密だった。
この際自分はどうなってもいいが、ハルヴェンスが死ぬのだけは嫌だった。
彼から一生恨まれることも覚悟して決行したマイラは、それがどうしようもない自己満足であることに自嘲の笑みを浮かべた。
そこで限界が来たのだろう、美里音のマイラとしての記憶は、倒れた彼女へ涙を零して声をかけ続けるハルヴェンスの姿が次第に薄れるところで途切れている。




