K02 鳥族の青年、窮屈な日常
夕暮れ時、日が落ちかけて空が赤く染まっている。
あのあと双子が無事にファルエイユを一輪ずつ採取したのを確認し、エヴェリアーノは一足先に里へと戻っていた。
今回は不当な扱いを受けた友人を見捨てたくない一心で手を出したが、本来は試練への他人の介入はご法度である。
万が一にも共に行動したと知られてはいけないと、近くの泉で身体の泥や汚れを洗い落とし、予め用意していた服に着替えて帰宅する。
家にたどり着く頃には、周辺の木々も斜陽に照らされていた。
古ぼけた懐中時計を懐から取り出して、門限の十分前であることにほっと胸を撫でおろす。
「ただいま帰りました」
エヴェリアーノは重い気持ちを抱えたまま、木製の扉を開けて身を滑り込ませる。
両親には学業の一環で森の実地調査を行うからと理由をごまかして外出したため、少し後ろめたいが仕方がない。
「おかえりなさい。今日はいつもより少し遅かったわね。そんな様子ではあの子に負けて次期族長は務まらないわよ。お父様にきちんとご報告しなさい」
「……はい」
珍しく居間で彼を出迎えた母はなにやら紙の束を整理しているようで、目も合わない。
門限には間に合ったのに、一言でも小言を言わないと気が済まないのだろうか。
過干渉の割に愛情の感じられない母親の態度にはもう慣れたが、逐一行動内容を報告しなければならないのは勘弁してほしい。
溜息をつきそうになるのをこらえて返事をし、エヴェリアーノは夕飯の前に父のもとへ足を向ける。
平屋建てで二階が存在しないファータの民の一般的な住居の中でも、我が家は一等広い土地をいただいて家を構えているので、父のいる工房へは少し歩かねばならない。
土地とはわかりやすい財産の一つで、物々交換と配給で成り立つようなこの集落でこれだけ広い土地をもらえるのだから、父はまさしく優秀なのだろう。
目的の扉を二度叩き、返答を待ってから静かに工房へ入室したエヴェリアーノは、手元の作りかけの弓を作業台に置き椅子をひいてこちらを振り向いた父と顔を合わせた。
「ただいま戻りました、父上」
「ああ」
「報告します。本日は学び舎にて授業を受け、実地調査の課題が出たので放課後は西の森へ向かいました」
「今日の同行者は?」
「いません、単身で調査するように言われておりましたので」
「今日は特に遅かったな」
「課題に必要な薬草が近場になく、少し遠くまで足を向けてしまいました。申し訳ありません」
尋問のようなやり取りにも淡々と答え、頭を深く下げる。
「全く、本来なら優秀な射手として名を馳せるべきところを、お前の我儘を聞いてわざわざ学び舎なんて通わせてやっているんだ。お前の本業を誤るなよ」
「……はい」
ふん、と鼻を鳴らして父がくるりと作業台へ向き直るのを確認し、今日の報告への詰問が長引かなかったことに安堵したエヴェリアーノはさっさと退室する。
機嫌が悪いとあることないことでネチネチ嫌味を言ってくる父のことだから、今回すぐに解放されたのは恐らく目下製作中の弓の出来が良いか、もしくは何か他に良い知らせがあったのだろう。
案の定、父はその後の夕食時に顔を出さなかった。
村一番の弓師を目指している父は熱中すると寝食を忘れて黙々と作業を続ける傾向にあり、母も慣れたもので声もかけない。
給金は人一倍だが家のことは一切省みない職人気質の父と、愛のない見合い結婚で父を気にかけることのない母からよく子どもなんぞが生まれたものだ、と自分のことながら謎だと他人事のように思う。
彼らはそのくせ世間体だけはいいものだから厄介だった。
エヴェリアーノも物心ついた時から『ゆくゆくは優秀な射手として長になるのだから付き合う友人を考えなさい、門限を守りなさい、間食しては駄目、親の言う通りに動くいい子に育ちなさい』と干渉され続けてきて大変迷惑していた。
現在、母は言うことを聞くいい子として問題を起こさなければそれでいいとばかりに我が子への関心がないようで、食事中の会話は一切ない。
愛がほしいと嘆いたのはとっくの昔で、もう寂しさを覚えるような年でもないのでそれは構わないが、エヴェリアーノがなにより不満なのは食事の量だった。
毎日たいして変わらない献立は根菜を煮たスープに黒パンを浸して食べる質素なもので、ファータの民がいかに食事に興味がないか、そして各家庭に配給される食材がいかに少ないかがうかがえる。
今は空腹をしのぐ手段を確立させたため隠し通せているが、毎食たくさんの量を必要とする自分の異端さに同族の目は厳しく、幼いころはよく叱責されて縮こまっていたものだった。
別の人生の記憶を思い出した今となっては、自身の食欲旺盛さは体質なのだろうと納得がいくのだが。
食前と食後の先祖への祈りを終え、エヴェリアーノは食器を洗い片づけて自室にこもった。
母は夕食後にどこかへひっそりと出かけることが多いので、これ以降の彼の行動に邪魔が入ることはない。
どうせ父に内緒でどこぞの年若い青年と楽しい夜を過ごすのだろう、実の親の爛れた関係のことなど考えたくもない。
寝台の端に腰かけて、暗い窓の外を眺めながら思案に暮れる。
あの沼地からの帰路の間でも状況の整理に努めていたのでもう混乱することはないが、二つの記憶を持っているというのはどうも不思議な感覚だった。
この世界で生きてきた彼、エヴェリアーノは今年で八十歳を迎える。
兄弟はおらず、ファータの民が先祖代々隠れ住む森の集落で両親の管理のもと暮らしている。
ファータの民とは妖精の民という意味だが、七の種族としては正式には鳥族と呼ばれる存在で、どの種族よりも数が非常に少ないらしい。
排他的で他種族との交流はなく、ほとんど娯楽もなく、社会主義のような体制で日々質素に生きている種族。
長い寿命をただ消費するように、時の止まった鳥籠で暮らすことに自ら甘んじている様は、もうひとつの人族の記憶と比較するとあまりにもつまらないし馬鹿馬鹿しいと感じた。
そう、駒戸律夏という人族の男の記憶はたったの十七年分だが、幼馴染二人や友人に恵まれ裕福な国で学生として過ごしてきた日常がよほど輝かしく思えるほどである。
もっとも、残念なことにあちらの人生でも両親には恵まれていなかったようではあるが。
思考を巡らせているうちに、いつの間にか寝台に寝転がっていたようだ。
エヴェリアーノには密かな夜の日課があるので、懐の懐中時計で時刻を確認し身体を起こす。
誰にも知られてはいけない密会の時間である。
いつもの黒い外套を目深に被り、音も立てず窓から飛び出した。
希少な明かりは集落の入り口と各家の玄関程度にしか存在しないため、簡単に夜闇に紛れてしまえるのをいいことに、一直線に森へと駆ける。
もちろん誰にも見つからないようにと気配の消し方は師匠から教わっているし、靴にまとわせた風の魔力で足音も消してある。
息をするように自分が操作しているこの風の魔力というものも、人族の頃は使えなかったのだからこの世界の鳥族が使える恩恵か、と再確認するように独りごちる。
さらに彼は同族の中でも異端な能力を二つほど持っている自覚もあったが、吹聴してはならないと師匠から言われているため、今のところは怪しまれずに過ごせているはず、とひとり頷いた。
目的地である森の中の開けた泉に辿りつき、静かに息を整えたエヴェリアーノは、魔力の音を乗せた指笛を吹く。
ノッドとソルドを呼んだ際と同様、こうすることで音に指向性を持たせて対象にのみ確実に響かせることができる便利な技である。
短く、数種類を奏でて待っていると、木々の開けた上空から星を遮るようにして幾羽もの鳥がやってきた。
夜の帳の中でも迷うことなく、鳴き声ひとつ上げず、訓練されたようにエヴェリアーノの肩や頭、枝の上や足元へと待機する数種の鳥たちは、大小その体に見合った草花や果実などを携えている。
こちらからも慣れたもので声を交わすことなく、一羽ずつ丁寧に贈り物を受け取っては鞄に入れ、お礼に指と手のひらを差し出して風の魔力を彼らに流し与えていく。
これは彼にとってまさしく物々交換の取引だった。
同年の子らに疎外されがちな幼少期からなぜか鳥類には好かれやすかったエヴェリアーノは、本来獲物とされている彼らを隣人として歓迎し、こっそりと交流する日々を過ごした。
その結果、魔力による意思疎通を経て、様々な鳥たちと対等な立場で協力関係に持ち込むことができたのである。
風の魔力が空を司る鳥たちと相性の良い、彼らにとっての滋養回復薬のような扱いなのだと判明してからは、こちらの慢性空腹状態を察した彼らが栄養価の高い食物を持ってきてくれるので都度こうしてお礼にと魔力を分け与えている。
「いつもありがとうな。また、よろしく頼む」
小ぶりなプルーニャの実、油分の多いマンドラの種、この辺りでは取れないなんでもなおしのようなアルテミジアの葉など、個人で探すとなると広範囲を歩き回らねばならないような貴重な物ばかり。
それでいてこちらから分け与える魔力など微々たるもので済むのだから、正直ありがたいことこの上ない。
最後に、特別怪我などをして治すべき個体がいないことをきちんと確認してから密会は終了となる。
再び羽音を最低限に飛び立った彼らを見送ってから、周囲に気配がないか注意しながら自室へと帰宅した。
密会専用の鞄も、大事な交換品も決してばれないように、改造した机と椅子の中にこっそりと仕分けて隠す。
手元に一つだけ残したプルーニャの実をかじり、口内に広がる甘酸っぱさを噛みしめて、彼は思う。
母親は一から十まで言うことを聞く都合のいい人形としてしか自分のことを見ておらず、ゆくゆくはと息子を次期族長の座に就かせる未来を勝手に夢見ている。
父親は、ファータの民が弓を射る以外で生きるなどもっての外だと取りつく島もなく、学より仕留めた量だと言って聞かない。
しかし幸か不幸か記憶を思い出した以上、エヴェリアーノでもあり、律夏でもある彼の心を縛るものは消えた。
このまま両親の言いなりで一生を過ごし、生き延びるために必死になってこっそりと飢えを満たすような窮屈な日々を送ることを是としていいわけがない。
だから、エヴェリアーノは決意した。
「よし、家を出よう」
なによりまずは、同じ境遇の可能性がある消息不明の幼馴染二人を探し出す。
ついでに自身の幸せとは何かを見極めることにして、集落を出て旅に出よう。
素早く入浴を済ませたエヴェリアーノは、さっそく頭の中でいくつかの計画を立てながら持ち出す荷物を準備し始めた。
<今日の豆知識~律夏の戦利品編~>
プルーニャの実
:すもも
マンドラの種
:アーモンド
アルテミジアの葉
:よもぎ
……のようなもの。




