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K03 問われし覚悟と決意

 早朝、日が昇り始めるころには起床して準備運動を終えたエヴェリアーノは、毎朝の日課として体技と術技の訓練を行う。

 基本的には型の反復や脳内再現訓練などの個人練習になるが、週に二回ほど、監督兼対戦相手として指導してくれるのは集落の外れに居を構える一人の小柄な老人だ。

 エヴェリアーノが初めて彼と出会ったのは自身の元服の儀の直前のことで、付き合いはもう三十年になろうというところか。

 彼はひょんなことからその老人のことを師匠と呼び慕うことになり、現在も周囲に隠れて技能を学んでいる。

 また運動の他にも、師匠の家の地下にはたくさんの書物が保存されているので、エヴェリアーノは時間の許す限り知識も深めようと努力していた。


 というのもこのように閉鎖的な集落では、いくら学び舎が設置されていても教わる知識や常識には偏りがあるということにエヴェリアーノは幼いながら気づいてしまったからだ。

 草木の名前、歴史、計算など、疑問点や穴があることを指摘しても曖昧に濁されたり、教師も理解していなかったり、挙句の果てには対応するのが面倒な気味の悪い子ども扱いされるなど散々な状況だったので、エヴェリアーノの知的好奇心を満たせるとは到底言いがたく、当時は大人しくしている他なかった。

 今思えば、律夏としての記憶の名残で教育の差に不自然さを感じていたのかもしれない。

 いずれにせよ、師匠と知り合ってからは彼に聞けば知りたいことは大抵教えてくれた。

 その知識の大元がこの書物の山だというので、エヴェリアーノは喜び勇んで読みふけったのだった。


 現状、律夏としての記憶や知識が増えたことにより裏付けられた情報もあれば、世界の違いにより真新しく感じる情報もある。

 従来通りならば記憶をすり合わせつつ引き続き書物を読み進めていったのだろうが、なにせ昨夜集落を出ることを決意した身なので、ここはもう頼りにはできない。

 家を出るにあたり親には置き手紙でも残せばいいと考えているが、お世話になった師匠には直接伝えておきたいと思ったエヴェリアーノは、本日の自主訓練を早めに終わらせて師匠の家を訪ねることにした。

 師匠が暇さえあれば裏庭で瞑想をしているのを知っているため、家の裏を覗き声をかける。


「おはようございます、師匠。今、お時間よろしいですか」

「……ああ、エヴェリアーノか。おはよう。どうした?」

「本日は、お伝えしたいことがあり参りました」

「ほう」


 エヴェリアーノはそう言って、周囲より一等大きな木の根元に座る師匠の前に少しの距離を開けて立つ。


「俺は今日、日暮れまでに集落を発ちます」

「……ほう。当てはあるのか?」


 目を瞑り微動だにせず座ったまま、静かに話を聞いていた師匠からいくつかの問いが飛ぶ。

 相談もなしに唐突に世界へ飛び出すとひとりで決めたのだ。

 無茶を言っている自覚はある。

 しかし師匠のことだ、頭ごなしに否定するのではなく、これで覚悟を問われているのだとわかる。


「いえ。しかし書物で読んだ限りでは、この森を西に抜けた先には複数の村があると」

「地理は頭に入っているようだな」

「はい、師匠の教えのおかげです」

「だがいずれも他種族の村だ。現在、こちらとの交流はほとんどないぞ」

「はい、ですのであちらに価値あるものを、と。そのため師匠には持ち出しの是非を教えていただきたく」


 エヴェリアーノは師匠の書物や彼からの口伝で知ったことだが、この世界の物の価値は律夏の思う以上に様々に変動する。

 大まかに都会と言われる街や人口の多い場所でもっぱら通貨が流通していたとしても、この集落や辺鄙な村などではまだまだ物々交換が主流だった。

 フン、と鼻を鳴らし、師匠はエヴェリアーノが挙げたいくつかの薬草や加工品の持ち出しの可否を判断してくれた。

 あまりに馴染みのないものや、希少すぎるものなどが争いを生むだろうことはエヴェリアーノでもわかる。

 だからこそ、その長い生の中で世界をも見てきた師匠に最終判断を頼みたかった。


「エヴェリアーノ、一つ助言だ。種油、岩塩、花蜜あたりは瓶に小出しにしておけ。色々な使い道がある」

「承知しました。ありがとうございます」


 結果として自分の挙げた品々の大半が許可された。

 そのほとんどが師匠に習いながら抽出、加工して自作したものでもあるため、エヴェリアーノはほっと胸をなでおろす。

 そうして頭を下げた彼を一瞥して、師匠が立ち上がった気配がした。 


「それで、あいつらはどうするつもりだ?」

「……!」


 その一言で師匠の言いたいことを理解したエヴェリアーノは、はっと顔を上げた。


「気まぐれに手を出し、束の間の休息を与えて、それで終いか」


 師匠の低い声が裏庭に静かに響く。

 彼らの事情も昨日の出来事も、師匠はすべてお見通しだったのだ。

 目を瞬かせて、そうだ、とエヴェリアーノは自身を省みる。

 むざむざ知っている命を散らしたくないという一心で、昨日は沼地へ駆けた。

 しかしそもそも彼ら双子は、両親を早くに亡くし孤児として過ごす中で幾度となく陰湿ないじめや妨害に遭ってきた過去を持つ。

 なぜなら双子というだけで忌み子であると集落の掟に烙印を押されてしまったから。

 つまり、このたびの一つを防いでも根本的な解決にはならないことを意味する。


 浅はかな考えだったと目を伏せたエヴェリアーノに、師匠は厳しさと同時に優しさも感じさせる表情で語る。


「今回の齢五十の儀の条件は、本来あいつらに到底こなせるものではなかった。だが、怪我はあれど五体満足でファルエイユを持ち帰ることに成功した。ゆえに、疑念を抱いた上層部は昨晩時点であいつらの追却を決定したようだ」


 エヴェリアーノは衝撃の事実に驚いて視線を上げた。

 追却とはファータの民の刑罰の一つで、追放刑に処するということ。

 それは同族を殺してはいけないという掟に縛られる鳥族の苦肉の策であり、閉鎖的で排他的なこの集落で外部を遮断する者たちにとっては最も恐れる最終手段である。

 儀式に成功してもしなくても、排除という結果は変わらなかったというわけだ。


「彼らは今どこに」

「集落の西方の外れにある小屋に隔離されているようだな」


 ということは、昨日の時点で双子にも処遇は伝えられ、遅くとも数日のうちにこの集落を追い出されることになる。

 律夏の記憶の世界のような公平で厳格な裁判など行われず、弱きものは権力に屈して終わりだ。


「昨日の今日で手を回すのが早いですね……でも、それなら」


 顎に手をやり、エヴェリアーノは思案する。

 それほど、最終手段を使ってでも集落から排除したいのならば。

 状況に違いはあれど、自身も集落を出ようとしている今ならばちょうどいい。


 エヴェリアーノが一つ頷き、考えがまとまったのを顔つきで判断したのだろう師匠は、やはりすべてをわかっているような表情で口を開く。


「進むべき道が見つかったようだな」

「はい。師匠、ありがとうございました」

「……儂は、自ら考え動く者でない限り面倒は見んことにしている。エヴェリアーノ」

「はい」

「昔のお前が選び、掴んだ今だ。そして今のお前が動くことで未来は如何様にも変わる」

「……! はい」


 未だ本名も教えてもらえず出会った時から謎の多い老人だと認識していたが、もしかすると蘇った記憶まで見透かされているのかもしれない、とエヴェリアーノはひそかに戦慄する。


「自分を認め、かつ過信せず。信頼できる仲間を頼り、支えていけ」

「はい! 今よりもっと成長した暁には、またお会いできますよう」

「フン、おいぼれに先を期待するな」


 くるりと背を向けた師匠に再度一礼して、エヴェリアーノも帰路につくため足を踏み出した。

 師匠がいたおかげでこの窮屈な日々に屈せずに済んだのだ。

 今一度心の中で感謝を捧げてから、彼はこの先へと目を向ける。 


 本来、今日は学び舎へ調査報告書を提出しに行き、その後射術を磨く時間を取る予定を親に言い渡されていた。

 よって、学び舎には報告書を出すついでに退学届けも出すことにして、弓の調整のみ終わらせて荷物を持ったら双子に会いに行くことに決めた。


 ――彼らがこの手を取るかはわからないが、俺は自分にできる限りのことをする。それだけだ。


 二つの記憶の両親のように、ろくでもないと感じる人たちはたくさん存在する。

 しかし、幼馴染たちや師匠のように、頼りになり尊敬できる人たちも確かに存在するのだ。

 その事実が世界を跨いでも変わらないのなら、自分は自分に誇れる存在でありたいとエヴェリアーノは強く思う。

 そのためにはもっと知識をつけ、経験を積まなければならない。

 種族の違い、各土地の歴史、裕福な者と虐げられている者の差は、弱きものはどうしたら抗えるか、正義と悪の定義とは。

 幼馴染たちがどこにいるかはまだわからないが、彼女たちと再会したときにこの世界も捨てたものじゃないと胸を張って言えるように。


「俺たちの幸せを探す旅になる。せっかくの機会だ、あらゆるものを見極めてやるさ」


 鳥族、ファータの民きっての変わり者エヴェリアーノは、この世界で倫理の是非を問い、幸せを探求する。


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