M07 契約成立
封印される前の話になるが、応接室には主に尊敬する父が商談や来客の対応をするために使う大人の部屋という印象があった。
すました顔で豪奢な長椅子に座るミリーネは、まるで自分が父の立場のようだと面映ゆく感じる一方、実際に自分が計画上では一国一城の主になる予定なのだと気を引き締める。
それから改めて、訪問してくれたルイジェと名乗る魚族の青年を不躾にならない程度に観察する。
薄手で伸縮性が高く乾きやすそうな上下の出で立ちなのは、船旅で海水に濡れることを想定しているに違いない。
腰に大小さまざまな瓢箪を美しい飾りひもでぶら下げており、ヒレのような特徴的な耳を筆頭に、灰色の硬質な短髪を逆立てて、覗く首元にうっすらといくつか線が斜めに走っているのは魚族の証であるエラだろう。
それにしても、幼いころに見た魚族の民と顔だちがほとんど変わらないような気がするのはなぜだろうか。
「ルイジェさんね。ありがとう、どうかお座りになって」
浮かんだ疑問はひとまず置いておいて、彼に着席を促した。
気品ある丁寧な口調を意識しているのは、もちろん初対面の他人相手だからである。
「ワイのことは呼び捨てで、ルイジェでええですよ。ぜひ堅苦しゅうなくいきましょ」
「そう? じゃあそうさせてもらうわ」
爽やかな笑顔が似合う商人に早くも好印象を持ったミリーネは零れる笑みを隠さず切り出した。
「さっそくだけど。ルイジェは、あたしたちの状況をどこまで把握しているかしら」
「ハルヴェンスの旦那から、ある程度は聞いとります。ワイらがここに辿りついたんより十何年も前に、お仲間様を亡くしておられると」
ミリーネの問いかけに口角を戻して目を細めたルイジェは、あえて淡々と言葉を紡ぐ。
「……それも、ワイらと同じ魚族の民がやらかしおったと。本来ならワイら商人が客の揉め事に首突っ込むんは契約違いやし、そんなことしたらすーぐに風評が立つはずやのに。実はこの話、長らく仲間内では聞いたことがなかったんですわ」
言い切って、きっぱりと謝罪のため頭を下げるルイジェ。
「おそらく、これは箝口令が敷かれたんやないかとワイは推測しとります。つまり、背後にどでかいやつらが潜んでるっちゅーわけです。それでもとにかく同じ民の一人として、お嬢様には一度謝らんと気が済まんとずっと思っとったんや……ホンマ堪忍なあ」
ルイジェにはどうしようもない古い過去の話にもかかわらず、その口から発せられるのは後悔と真心のこもった声音であった。
ミリーネは背後に控えるハルヴェンスと視線を交わして頷き、商人の謝罪を受け入れた。
「顔を上げて、ルイジェ。あなたのせいではないけれど、その言葉と気持ちはありがたく受け取っておくわ」
そして、心なしかほっとした表情の彼には酷な話かもしれないと思いながらも本題に入ることにした。
「あなたがここに流れ着いたのは偶然だと聞いているけれど、その後も今に至るまで、必要な物資や情報を届けてくれたことにあたしたちはとても感謝しているの。その繋がりをいっそう強化したいと言ったら、あなたは賛同してくれる?」
「それは商人冥利につきるってもんやけども。そうおっしゃるってことは、なにか大きな目的があるんでっしゃろ?」
「ええ。その鋭いところもとても魅力的ね」
「ははは、光栄ですわ」
より真剣な瞳で探りをかけてくる商人の姿に、下手な嘘はつかずにありのまま話すべきだと直感したミリーネははっきりと切り出すことにした。
「そんなあなたなら、きっと考えつくのも容易いはず。あたしたちはね……同士たちを滅ぼした人族に復讐がしたいの」
「……具体的に伺っても?」
「他種族へ見境なく攻撃して好き勝手に荒らしまわる彼らの残党や後継を探し出して、二度とそんなことができないようにこらしめたいの。方法はまだ考え中だけど、相手の規模が大きいなら仲間を集める必要があると思っているところよ。ハルヴェンスがもつ情報だと、当事者たちはもう生きていないとしても未だに組織的な動きは衰えてないようだから、ね」
ミリーネの瞳に揺らめく憎悪や悲哀の色を感じ取ったのだろう。
小さく唸るルイジェは否定せず聞いてくれたが、それだけでもありがたいことである。
慎重になるのは当然のことで、通常、誰だって好き好んで悪事や後ろ暗いことに手を貸そうとは思わないだろう。
「ひとつ、ええですか」
「なにかしら」
「その『組織的な動き』について、お嬢様はどこまで把握されとります?」
「……いえ、あたしはさわりを聞いただけ。この機会にルイジェ、あなたを含めたこの場で詳細を知りたいと思っているわ」
昨日ハルヴェンスから情報の一端に触れさせてもらっただけなのだから、ここで見栄を張っても仕方がない。
正直に伝えると、しばらく難しい顔をしていたルイジェはあらかた考えをまとめたのか、ふむと息をついて身を乗り出した。
「先ほどもお伝えした通り、一般的には客ごとの揉め事には関与しないもんやねんけど……この件に関しては、少々話が変わってくるんですわ」
「そうなの?」
「ええ。その話、もともと別件で長らく探っとりまして。それをここに持ってきたんもワイなんでね」
足の上に肘をついて両手を組んだ商人はそう言ってひょいと片方の眉を上げる。
どうやらきっぱり断られるということはなさそうだと思ったミリーネは、視線で続きを促した。
「そもそも昔から、人族の方々っちゅーのはどの種族より先に魚族と協力して海に出て冒険ないし貿易をしてきた歴史があります。せやけど、だんだん一部のもんが陸も海もと我が物顔で独占しようとしはじめたようで、調べたところによると百五十年ほど前から各地でいさかいや、ややこしいことの起きる頻度が上がってきとるようなんですわ。……なのに、罰則や注意があるどころか、組合からはむしろ情報規制を疑うくらいには特に何の音沙汰もないまま今に至るっちゅーわけです」
ルイジェはそこまで言うと、困ったように頭を掻いて溜息をついた。
「せやから、ワイはその背後には魚族のお偉いさんに圧力をかけられるような大~きな団体さんがおって、ドロドロ~な関係を築いとるんちゃうやろかと考えとったんです。……な? どっかで聞いたような話やろ?」
「……共通する黒幕が、同じようにあたしたちの事件をも隠した可能性があるわけね」
つられてミリーネも溜息をつきたくなる程度には、自分たちが相手取ろうとしている敵の規模はどうやら相当でかいらしい。
彼女のそんな固くなる気持ちを察したルイジェは、安心させようと一転明るい声を出した。
「せやせや。ワイは商人として各地を回る傍らで、このきなくさい状況が気に食わん思て昔から調査を続けとったんですわ。つまりその嫌~な黒幕さんに泡を吹かせられるんやったら、一商人として目的は同じっちゅーことで手を貸したるで!」
結論、ルイジェとしてもそう長くない一生のうちに手を入れたいと思っていた厄介な案件だったため、この機会に残りの生をかけて暴いてやろうという思いから承諾したというわけだ。
再び二カッと笑う彼の顔に嘘はなかった。
「まあ、あんま見境なく暴れられるとワイの立場も即悪うなってまうから堪忍して、と言いたいとこやけど。あんさんらなら罪のないもんに手え出したりせんやろ」
「もちろん、対象は絞るから安心してね」
おどけたような口調にはこちらも笑顔で頷いた。
信頼してくれるのなら、応えなければ鬼族の名が廃るというものだ。
「せやったら、同じ敵さんを相手取るのに協力は惜しまんってことで、交渉は成立やな。情報物資調達、運搬なんかはワイに任せとき。最優先で取引したるわ」
「ありがとう。勧誘や実働部隊の指揮はあたしたちが執るわ。……念のため、契約書を交わしても?」
「もちろんええで。魚族の商人が他種族より信用されとるんは、水の魔力を用いた専用の契約書があるから! ってな」
ルイジェは腰元の瓢箪のひとつに手を当てて二枚の紙を取り出したかと思うと、魔力をまとわせた右手を重ねた紙にかざして小さく唱える。
『我ここに契約を交わす』
するとみるみるうちに紙上に文字が浮かび上がっていく。
そして手渡された一枚を眺めてみると、先ほど口頭で交わした内容が簡潔に記されていた。
なおこの世界の文字や言語は日本語ではないが、どの種族内でもほぼ統一のものが使用されている。
しいて言うなら各種族ごとの呪文や物の名称の一部に違いがあるようだが、美里音としては日常生活で解読できず困るようなことはないのがありがたかった。
控えているハルヴェンスにも契約書の内容を見てもらい、確認がとれたのでルイジェへと向き直る。
「確かに間違いないわ」
「ほんならここに親指で血判の署名を願います」
「ええ」
血も液体のひとつであり、水の魔力との相性がよいため整合性のとれる証になる、とのことである。
なるほどよくできているなあと思ったミリーネは小さく噛み切った指の血を紙面に押し付けた。
こうして彼女の初勧誘における書面契約はここに成立したのだった。




