M06 能力の開花、訪問せし商人
次の日、一時的に雨が上がり廊下の窓から夕焼けが差し込む中、ハルヴェンスは起床を促すため主の部屋の扉を等間隔に叩いた。
「おはようございます、お嬢様。お食事をお持ちしました」
中から短く返事があったので起床済みだったかとハルヴェンスが入室すると、ミリーネは寝台の上にはおらずすでに席についていた。
そして腕を組んで何やら考え込んでいる様子だったため、従者はグラスをミリーネの前の机上に置き、控えめに声をかける。
「ミリーネお嬢様、どうかされましたか?」
「あ、おはようハル。うーん、ちょっと気になることがあってね……」
可愛らしい顔に似合わず眉間に小さくしわを寄せたミリーネは、そう言うと肩のあたりまで持ち上げた右手に自身の魔力をまとわせる。
「そろそろ体調も回復してきたからいいかなと思って、昨日の夜から魔力循環の訓練をしてみてるんだけど、なんだか調子が良いみたいで」
そのままうっすらと黒く光る手のひらからポンポンと小さな魔力の塊が飛び出したかと思うと、それはコウモリを形取り彼女の周りを飛び始める。
これは遠隔操作用の魔個体で、闇の魔力に簡単な命令を与えることで作ることができるものだ。
通常、熟練者でないと成功しない難しい技であるが、ミリーネは息をするように何体も顕現してみせた。
「ほらね。あの事件が起こる前までは正直苦手な技だったのに、今はこの通り。あとは影渡りも、収納術も、難なくこなせちゃったからなんでかなーと思ってさ」
ハルヴェンスの前で実践まではしないものの、挙げた二つとも「使いこなせれば便利だ」と父から聞いていた大技であり、昔は魔力の総量が足りずに使えなかったものだった。
それが使えるようになったということは、すなわち封印前より魔力量が増えているということに他ならない。
「ハルも人族のころは使えなかっただろうけど、今は眷属化したからやろうと思えばできるかも」
そう言って従者の用意したグラスを傾けるミリーネに促されて、ハルヴェンスも自身の魔力を操作してみる。
すると小さな魔力のネズミのようなものが何匹か手のひらから飛び出し、足元を駆け回り始めた。
「これは……ノルバジクスでしょうか」
「印象の強い生き物の形を真似て顕現するらしいから、ハルの記憶に根強い存在なのかな?」
「ふむ、なるほど。確かにかつての家に頻繁に現れては食糧をかじり漁っていた厄介な生物でした。これはそれを模しているのですね」
納得ですと呟いて魔力を消し去るハルヴェンスを観察しながら、ミリーネも得心がいったとばかりに頷く。
「ああ、そっか。今ハルが魔力を行使したのがあたしにも直接伝わってきたけど、それは眷属化の儀式によって魂の一部が繋がったからわかること。同様に、こうして眷属が増えると、おそらく配下の管理の関係であたしの魔力総量も増えるんだわ」
「つまり、眷属化した配下が増えればミリーネお嬢様はよりお強くなられるということですか」
「そういうこと!」
ミリーネはにやりと企むように笑う。
相手がどんな種族であれ、眷属にしてしまえば対象も闇の魔力が使えるようになる上、ミリーネにも大きな利点があるというわけだ。
信用の問題でどんどん増やせるというわけではないが、仲間集めに積極的になるには十分な動機といえる。
あくどい笑みを浮かべる主も可愛いなと思いながら、ハルヴェンスは本日の予定を伝えるため口を開いた。
「では、僕も今一度使える技を精査することにいたします。……さて、もうすぐ魚族の彼が到着する手筈となっておりますので、お嬢様はそれまでこちらの部屋にてお待ちくださいませ」
「玄関でお出迎えしなくていいの?」
「こちらの威厳を保つため、あちらに出向いてもらうほうが得策だと考えます。今後、お嬢様は配下の上に立つものとして振る舞っていくことになりますゆえ。参りましたら応接室へ案内いたします」
そう述べる従者の真剣な顔を見て、相手に舐められないよう今後の対応も重要になってくるのだと気づいたミリーネは気を引き締めた。
美里音の記憶が戻ってからこの世界で会う初めての他人である。
ドキドキする胸をそっと押さえて、ミリーネは了承した。
***
玄関口で半刻ほど待機していたハルヴェンスは、大扉の仕掛けへ反応があったのを確認して両開きの玄関を開けた。
すっかり日が落ちた夜闇の中、入口前の明かりに照らされて佇んでいるのは、棘のように逆立った短髪に魚のヒレのような特徴的な耳を持つ青年だ。
彼はハルヴェンスの姿を認めると、気安い動作でひょいと片手を上げた。
「よっ! 呼ばれて飛び出てルイジェ様のお出ましや! ハルヴェンスの旦那、元気にしとったか?」
「ええ、おかげさまで」
突然呼び出されたにもかかわらず気力体力を損ねた様子もない彼に、ハルヴェンスは内心、商人の強さとしたたかさを感じながら洋館へと迎え入れる。
「お忙しい中よくおいでくださいました。お嬢様がお待ちです。どうぞお入りください」
「うぇっ? なんや慇懃無礼な態度取ってからに。ワイらの仲や、いつもはもっと気安う話しとるやろ!」
「……」
ルイジェはハルヴェンスの態度に驚き、大仰にのけぞった。
それもそのはず、二人の出会いは大嵐の中流れ着いた瀕死のルイジェたち父子をハルヴェンスが見かねて助けたのが始まりであり、ルイジェは幼少期から彼の素の姿を見てきたのだ。
いちいち動作の大きい訪問者を半目で睨みつけたハルヴェンスは、いまさら猫を被っても仕方がないかと溜息をひとつ。
顎で中を指し示し、ルイジェが中に入ってから玄関の扉を閉めた。
「それにしても、基本的に定期連絡しかよこさんかった旦那がどういった風の吹き回しや? ひょっとして愛しのお嬢様になんかあったんか?」
ハルヴェンスの案内で廊下を歩きながら、腰にひっかけた瓢箪の数を数えつつルイジェは気になっていたことを尋ねた。
口調は軽いが心配の色がうかがえる声音に、ハルヴェンスはちらりと視線を投げかける。
「ああ。お嬢様が、ついにお目覚めになられたんだ」
「なんやて! それは喜ばしいことやなあ」
「本当に……感無量だよ。それでお嬢様の体力も戻ってきたし、近況報告ついでにお前のことを話したら興味を持たれたようだったから、ちょうどいいかと思って呼ばせてもらった」
「ってそんな理由かーい!」
しんみりした空気が流れたと思ったら、やはりぞんざいな扱いをしおった! とルイジェの右手の突っ込みが炸裂する。
「あんなあ、連絡来たときはホンマ焦ったんやで……最悪、命の危険まで考えて準備してきたこっちの身にもなれーや、全く……」
「……だからお前は憎めないんだよ」
「ん? なんや言ったか?」
「気のせいだろ」
ぶつぶつと不満をこぼす商人に、わずかに目を細めたハルヴェンスの独り言は聞こえなかったようだ。
「ともかく、お嬢様が回復なさった以上、これから僕たちはある目的のために動く。そして今までのお前の働きには感謝しているからこそ、今回のこれははっきり言って勧誘に等しい」
「勧誘やと?」
きょとんと首を傾げるルイジェを一瞥して、ハルヴェンスは応接室の扉を開ける。
「詳細はミリーネお嬢様が来てから話す。呼んでくるからお前はここで待ってろ」
「お、おう」
自分が予想した以上に重要な話が飛んできそうだと気づき、普段はお喋りな商人も思わず神妙な表情になる。
そのまま、従者と応対する際にいつも使用させてもらう部屋で、ルイジェはいつもとは違う相手を待った。
今まで会ったことはないが、ルイジェはよくハルヴェンスから主である彼女の話を聞いていた。
最初は不愛想で口が堅かった従者も、親子で根気よく通い続けた結果、惚気にも似た内容や不安な心境などをぽつりと零すようになっていったという経緯がある。
彼がどう思っているかはわからないが、「ワイらは商売相手かつ友人やろ!」と考えているルイジェにとってはなんだか認めてもらえたようで、ひそかに嬉しく思っていたのだ。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか。……いや、相手はホンマもんの鬼やったな!」
幼いころから一人前の商人となってからも、こんな辺鄙なところへ通い続けている身である。
あっはっは! と自らの発言を笑い飛ばす程度の度胸はあった。
そしてほどなくして応接室の扉が叩かれ、この洋館の主がハルヴェンスに伴われて入室してきた。
緩やかな茶髪をなびかせながら、レースがふんだんにあしらわれた黒いドレスを着た女性が対面に座る。
「ようこそ、はるばるいらしてくれてありがとう」
見た目は人族に近いが、決定的に違うのは尖った耳と怪しく輝く赤い瞳、そして美しく笑う口元から覗く鋭利な牙。
「あたしはミリーネ。鬼族の一員にして、ヴァンパイアの始祖の血を継ぐ者」
――あなたのお名前を聞かせてくれる?
小首を傾げた幼さを残す見た目に反して、いっそ妖艶にも聞こえる声音が紡ぎだされる。
他種族に恋情を抱いたことのないルイジェでさえ、一瞬見とれてしまうほどだった。
問いかけに、はっと正気に戻った商人は立ち上がったまま姿勢を正して口を開いた。
「ワイは主に中央海とこの島々を担当しとる魚族の一員にして商人のルイジェと申します。かねがねお話は聞いておりました。お会いできて光栄ですわ」
一礼し、ルイジェは朗らかにニッと笑う。
その笑顔は、彼の性格を表すような隠し事のないまっさらなものであった。




