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N02 龍族の娘、逃走と邂逅

 晶の短くざんばらに切られた赤い髪を橙色の朝日が照らす。

 崩壊した建物の傍でしばしぼんやりと立ち尽くして空を眺めていた晶だったが、やがてゆっくりと視線を下げておもむろに自身の両手を見やり、それから深く吸い込んだ息を大きく吐き出す。


「さすがにこれは、いくら私でも対処に困るぞ……」


 拘束具はおろか、被検体として辛うじてまとっていたぼろ布すら跡形もなかったので、ひとまず意識が正常に戻ったあとすぐに、全裸はまずいと落ちていた鱗の残骸を自身の火の魔力で加工して胸と腰に巻きつけておいたが。

 それにしても怒涛の展開がすぎる。


 晶が覚えている限り、あの薬品の影響で強制的に巨大化したドラゴンとなってしまった自分がひとしきり暴走した結果がこの惨状だった。


「……周囲に生物の反応はないから、全滅、か」


 未だ煙が薄く立ち上るのを見て、鱗と毛に覆われた自らの耳に手慰みに触れながら俯いた晶はぽつりと零す。

 すべて忘れてしまえたらよかったのだが、夢を見ていたかのようにおぼろげな記憶が残っている。 

 湧き上がる怒りに任せた本能的な破壊衝動。

 鋭い牙に凶悪な爪、羽ばたけば暴風など軽く起こせてしまえそうな二対の翼を力任せに振り回していた。

 龍化したあとは意識が繭のような泡のような膜に包まれたように閉じ込められて、晶の意思は介入できなかった。


 結局あの人族の女が言うような理想的な制御下には置けなかったのだろう。

 そうして実験は大失敗し、この醜悪な研究施設は人族の思惑もろとも潰えることになったわけだ。

 しかし同時に、自身でも制御できないのであれば大問題である。

 彼らは連続投与前提での安定した変化を想定していたようだが、中途半端に薬効が残っているせいで今後も暴走してしまう可能性は十分あるのだから。


「うーん、一度どこかに腰を落ち着けて考えをまとめたいが……」


 適当な岩に腰かけた晶は腕を組み、眉間にしわを寄せ目を閉じて唸る。

 過酷な実験続きの身体には負担がかかるが、まずここから出来る限り離れなければならないだろう。

 この惨状が人族に伝わるのも時間の問題だろうし、貴重な実験体を捕まえるため追手がかかるかもしれないからだ。

 幸いなことに、龍化はひどく魔力を使う代わりに、各所の傷が癒えていることから肉体的にはむしろ回復している様子がうかがえた。

 だから、体力に問題がないならばひとまず逃げるしかない。

 どこかもわからない山の中を当てもなくさまようのは気が引けるが、つべこべ言ってはいられない。

 よし、と気合を入れた晶は山を下ることに決めた。

 あわよくば、川や泉などの水源を見つけたいところなので、意識して耳を澄ませながら歩き始めた。


 生い茂る木々の隙間から光が差し込み、その光源を取り合うかのように様々な植物が低く茂っている中を晶は素足で進む。

 通常人族よりはるかに鋭い感覚を持つ龍族の身ではあるが、実験の後遺症か今は触覚が鈍く、鼻もあまり利かなくなっているようだった。

 人生とはままならないものだ、と鼻を鳴らす。

 感覚のマヒなど一時的なものであることを祈るばかりである。

 ともかく聴覚と視覚に異常が見られないのは僥倖だったな、と独り言ちた晶は、しばらく歩いた結果感知した水の流れの音の方向へと足を進めた。


 道中、邪魔な枝葉を鋭くとがらせた爪で払いながら辿りついた川は、水量と澄み具合からして上流域と思われた。

 しゃがみこみ、浅く流れる水に手を浸してみるも触覚が鈍いためあまり冷たくは感じない。

 水中や石の下にいる小さな魚の熱量は気配として感知できるのになあと思いながら、晶はそっと両手ですくい水を飲んだ。

 龍族の身体はよほど魔力を消費しないかぎりは燃費がいいため、水も食料も一度少量を摂取すれば長く活動することができるのだ。

 何度か繰り返し水を飲み、これで数日はもつだろうと判断し口元をぬぐう。

 それから川から少し離れた場所に生えていた大木に寄りかかり、一息つく。

 周囲に人影や熱源は見当たらないので、晶はここで少し思考を巡らせることにした。


 まず己の過去について。

 相当痛めつけられた直近の記憶は据え置くことにして、霞みがちな昔の記憶を辿ってみる。

 日本という国に生まれた高校生の晶としては、幼馴染とともに触れた祠が光るという謎の現象以降の記憶はない。

 さらに悲しいことに、この世界で数十年生きたであろう記憶や、この身の名前もうまく思い出せないことに気づいた。

 唯一ふわりと浮かぶ風景は、雪深い山奥、幾人かで囲んだ暖炉の火の暖かさ、そして薪を背負った己を見送る優しい誰かの笑顔。


「……ふむ。どうやら私には、ちゃんと故郷があるらしい」


 もしかすると同族たちも、不当な理由により連れ去られ行方不明になった晶のことを探してくれているかもしれない。

 記憶がなくてもそう思える程度には、優しい感覚が残っていた。


 続いて現状について。

 期間はわからないが誘拐、監禁されて幾年月。

 番号で呼ばれ慣れるほどには長い時間が経ったのだろう。

 何もかもが瓦礫に埋もれてしまったが、『No.一〇五九』ということは少なくとも自分の前に千を超える犠牲があったのだろうか。

 そういえば晶の誘拐の際、ハンターたちはやけに捕縛に手馴れていた。

 人族による拉致や人身売買が恒常的に行われているならば、あの崩れた施設以外にもいくつもの研究施設が点在しているのかもしれない。

 晶は目を瞑り、自分のせいで潰えた命たちへと静かに黙祷を捧げた。


「しかし、どこの世界にも不埒者は溢れているものだな」


 溜息をつきたくなる程度には、晶としての人生でも様々巻き込まれてきているので、今更だが。

 時折口を動かして、魔力不足と睡眠不足のせいで瞼が落ちそうになるのを意図的に防ぎながら、晶は頭を働かせ続ける。


 さて、龍族としての身体特徴や能力は、今まで自然と行ってきたようだから使いこなせているのがわかる。

 試しに魔力を流すことで、爪が伸びがっちりとした鱗をまとった右手を眺めて晶はひとつ頷いた。

 龍族が行使できるのは火の魔力だ。

 直接炎を出したりまとったりするほかにも、うまく応用することで身体強化や熱源探知などができる。

 あの拘束具が厄介で実験施設では力をふるうことはできなかったが、鈍ってはいないようだった。


 それでも全身が完全に龍化するなど聞いたこともないし見たこともなかった、と晶は首をひねる。

 あの女は、この変化を『龍族の伝承にある眉唾な能力』と言っていた。

 それならば、今一度その伝承とやらを確認する必要があるだろう。


「毎日のように摂取させられていた薬物にどんな副作用があるかわからない以上、体調変化にも注意しないと……」


 呟いて瞼を擦り、思い浮かべるのは幼馴染二人の顔だった。

 彼らはいまどうしているだろうか。

 自分のように厳しい思いをせず、どこかで元気に過ごせているだろうか。

 早く二人に会いに行って、巻き込んでしまったことを謝って、また三人でバカなことをやったなと笑い合いたい。


 いつのまにか大木の根元に座り込んでいた晶は、強い眠気に逆らえないでいた。

 うとうとしかけた彼女の前に、大柄な男が現れたことにも気づけないまま。


「おい……――か……」


 誰かが目の前にいる。

 何か、話しかけられている。


 この状況はまずいな、と辛うじて頭の片隅で考えるも、晶の意識は再び底へと落ちていった。


***


 ――ぴちゃん、と水の落ちる音がする。

 その音にはっと意識が浮上した晶は、ごつごつした地面の感触を背中に感じ、ついで天に明かりに照らされた岩肌を仰ぎ見た。

 どうやら洞窟内部の空間に寝かされているようで、明かりが等間隔に天井からぶら下がっているのを見る限り、誰かの手が入った人工的な場所のようだった。


 「……この短期間で、意識が飛びすぎでは……?」


 思い通りにいかない身体に呆れて、思わず独り言が漏れた。

 残念ながら一朝一夕では実験の後遺症は治らないのだろう。

 かけられていた毛布をよけて上半身を起き上がらせた晶が部屋の中を見渡していると、入口らしき穴から声がかかった。


「起きたか。体調はどうだ?」


 気配が薄く存在に気付けなかったことに驚いて晶が声の主へと顔を向けると、そこには晶と同じ金の瞳をした大柄な男が立っていた。

 額上部に生える角も晶と同じ。

 晶の感覚でいうと五十から六十代の壮年であろうその男は、赤髪交じりの白髪をオールバックにまとめ、長髪を後ろで一つに結わえており、顔に刻まれたしわや片目の傷が歴戦の猛者であることを示している。


「龍族……?」

「ああ、お前さんと同じ里の者だ。……見たところ体調は悪くなさそうだが。もしやお前さん、記憶が曖昧か?」


 呆けたように呟く晶を見て、訝しげに男が問いかけてくる。

 恐る恐る頷くと、男はいかつい顔をほんのわずかに気の毒そうに歪めた。


「そうか……。まあ、ひとまず無事でよかった」


 そのまま入口の脇に腰を下ろした男は、複雑そうな声音でこちらを見やる。


「そんじゃあまずは、軽く自己紹介といくか。俺の名前はローベルト。お前さんの名は?」


 目を伏せた晶は素早く思考する。

 聞かれたところでこの世界での名前も思い出せず、同族とはいえまだ警戒を解くことができない。

 どうせなら違和感のないようにと考え、自分にとってはもうひとつの馴染み深い名前を口にした。


「私は……ナーシャ」


 この名は幼馴染ならわかってくれる、秘密の暗号のようなものだった。

 このまま状況に流され続けるわけにはいかないのだと、晶――ナーシャは気合を入れ直してローベルトをまっすぐに見つめた。


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