美沙 ⑥
…自室のドアノブを回し、部屋の中にトボトボと入る。
壁際にある電気のスイッチを点けて、そのまま備え付けのバスルームに向かい、そこで鏡に映った自分の姿を…見つめて、みる…。
…。
「…ヤダ、なんて酷い格好…なの?」
あたしは独り小さくそう呟いて、鏡の中に映っている自分のあられもない姿を…まじまじと凝視する。
パーティー用の黒いドレスは、あの酔っ払いのおじさんの放った雷撃の魔術で、ところどころ引き裂き破かれ…ストレートの長い黒髪は、軽くパーマを掛けたようにチリヂリに傷み縮んでいて…もちろん顔は、煤だらけ。
…。
ほんとにもう…あのおじさんってば。
相手は美人で可愛い十三歳の女の子なんだから、もう少し手加減してくれたって…いいじゃない?
あたしはそんなことを思いながら…自嘲気味に微笑んでみようとするのだけれど、顔の筋肉がそれを拒否するかのように全く言うことを聞かず…。
…。
あたしは仕方なくそうすることを諦め、このあられもない姿から脱出するべく、履いていた底の低い黒いパンプスとドレスをゆっくりと脱いで…全裸に、なる。
チリヂリに縮んでしまった髪の毛を元に…そして、顔の煤をキレイに洗い落とさないと…。
あたしは顔の煤を、全身に取り付いている “何か” を洗い流そうと、自分の背丈より少し高い位置に掛けてあるシャワーヘッドの前までやって来ると…その栓を静かに、捻った。
勢い良く噴出した水が…あたしの髪に、顔に、肩に、そして全身に滴っては…流れ落ちて、いく。
普段なら水がお湯に変わるまで…それを避けるようにして、しばらくの間待ってからシャワーを浴び始めるのだけど…今は、そんな温度変化さえどうでもいいくらいに…とても全身が、そして背中の雷撃が直撃した箇所が… “痛い” 。
いつの間にか、水からお湯に変わったシャワーのそれを浴びながら、あたしは…当たり前のように、雷撃が直撃した箇所の背中の痛みを、確かにそこに感じつつも…
“痛い” …という感覚があるということは、あたしにはまだ、痛みを感じるだけの “心” …が、何かを感じるだけの “気持ち” …が、ある…ということだ。
…。
…でも。
あたしはシャワーヘッドから次々と吹き出してくるお湯を全身で受け止めながら…。
ふと右手で、自分の胸の辺りをそっと…押さえて、みる。
…もっと、痛い、この “辺り” …が。
全身の、背中の傷み…よりも、もっと… “痛い” 。
…。
その瞬間に、堪えきれずに溢れ出て来た涙を、シャワーの音と共に奏でられた自分のその嗚咽を…心が上手に受け止めきれないまま、あたしは排水口に流れ落ちていく悲しみを…悲しみを超えた “何か” を、ただただ独り感じながら…そのまま動かずに…いや動けずに、それをじっと聞いていた…。
………。
……。
…。
…どれくらいの間、そうしていたのか。
“涙には、心の浄化作用があるという”
…そんな、何かの本で読んだことがある一文を、あたしは必死に自分に当てはめるようにして思い出しながら…シャワーの栓を静かに閉めると。
傍らに掛けてあるバスタオルを手にして、それで全身の水分を軽く拭ってから…鏡の前にゆっくりと、戻る。
鏡の中を覗き込むようにして、そこに映った自分の姿を見てみれば
…。
少しだけ、目の周りが腫れているけれど…。
顔の煤も取り除けたし…。
うん、元通り…美人で可愛いあたしに、戻った。
そこに映っている自分のことを、まるで勇気づけるようにしてあたしは、そんな風に懸命に思う。
…。
でも…こんなときは正直、双子である自分のことが恨めしい…。
だって、この顔を見る度に…美玖の、妹のことを思い出さずにはいられないのだから…。
あたしはその場でゆっくりと、首を左右に小さく振ると
今は、考えては、いけない。
だから、他のことを…。
…そう、全く別のことを考えて…。
必死に脳に、そう命令してみる。
…。
…例えば、雷撃の魔術で傷み縮れてしまった長いストレートの髪の毛のことなんか、どうだろう。
あたしは、鏡の中に映る自分の髪の毛を見つめてから、それを人差し指と親指で挟むようにして少しいじった…後。
決心したように、バスルームを出て部屋の中に戻り…勉強机の上のペン立てに入れてあった柄の部分がモスグリーンのハサミを手にすると、再びバスルームの鏡の前に舞い戻る。
…。
切ってしまおう…すべて。
…。
あたしは瞳を閉じて、ゆっくりと深呼吸をしてから…次の瞬間、閉じていた瞳を、サッ…と開く。
そしてまるで、今まで黒川家で過ごしてきた思い出の一つ一つを、さっき起こった出来事のすべてを、断ち切るようにして…自分のストレートの長い髪にハサミを入れ、静かにそれを切り始めた…。




